奥州街道 松前道24 平舘宿→三厩〔完〕
2025年春、薩摩街道を南下し鹿児島の地に辿り着きました。
次はどの街道を歩こうかと迷っていた頃、還暦を迎えた街道歩きの仲間から体力のピークの話をよく耳にする様になります。
現在57歳、体力があるうちに歩ける道を考えたら、一番過酷な道が頭に飛び込んできました。
いざ出陣、津軽半島最北端の三厩まで行けるか、年齢との戦いが始まります。
2025.09.17
1.平舘宿

朝食はスペアリブ弁当。
昨夜は魚尽くしの和食でしたが、オーナー兼板長は元々洋食シェフなので、とても美味しかったです。
肉が欲しかったので最高でした。

さぁ、最終日の始まりです。
怪我する事なく三厩まで着きますように。




申し遅れましたが、平舘と書いて、“たいらだて“と読みます。



白い柱に赤い屋根、梁には薄緑の波が彫られ、白いうさぎが波に乗っています。
小さいながらも美しい拝殿でした。







平舘台場。
大陸から攻めてくる外国船対策に、弘前藩が設置しました。





砂浜に文字を書く青春漫画みたいな事、やってみたかったのです。








どよんとした、低い雲が空いっぱいに広がってっています。
青森県はカラッと晴れた日が、少なかった気がします。

2.聞法寺

キリストの再臨は近い



山と道と海。
この様な風景がずっとずっと20kmくらい続きます。


人の肉に罪が宿る

聞法寺(もんぽうじ)。
船の上に2人の銅が立っています。

日持上人(にちじしょうにん)は、鎌倉時代に、日蓮聖人の臨終に際し指定された六老僧の一人。
日蓮の教えを東北・北海道・中国広めた際にこの地に立ち寄っています。

説明書きを読んでいると驚きの事実が判明しました。
日持上人の隣に立っている船頭は、北海道に渡る際に案内した蠣崎甚兵衛。
上人は船で北海道まで見送ってもらった御礼に、海上安全 大漁を祈願し、海に向かって法華経を唱えました。
その後のある日、今まで見たことがない大魚が浜に近づいてきました。法華の偉いお坊さんが授けた魚ということで、ホッケと名付けたそうです。


説明書きを読んで感動していると、いつの間にか、隣で住職が朝の御勤めで海に向かって、念仏を唱え始めました。

住職に挨拶をし、日持上人の話を聞いた後に、「お気をつけて」とあり難きお言葉を頂きました。


お別れした直後に、雲の間から光芒が。
心が洗われました。

不義をあがなうイエスキリスト





3.岩屋観音堂






だるま滝。
雨が降らないど滝にならないようで、岩肌に這うように水がヒタヒタと流れているだけでした。


キリストは神の御子





心から神を信じなさい










赤岩。
迫力満点、昔は沢山取れたのでしょう。





4.高野崎






この先は立ち入り禁止。
残念ですが引き返します。














高木恭造。
津軽弁の方言詩人。石碑の横にボタンがあり、押すと本人の流暢な津軽弁の肉声が流れてきます。




袰月港。
高野崎と鋳釜崎に囲まれた天然の港。
江戸時代には津軽海峡のヤマセ(東風)の避難港として利用されていました。



画像ではわかりづらいですが、三厩方面から物凄い雨柱が迫ってきます。

レインコート上下を装着して、雨雲に向かいます。

5.三厩宿





滋賀県発祥の飛び出し坊や、今のところ観測最北端です。




激しい雨が降る中歩いていると、向こうから走ってきた車がすれ違った後に、「乗って行きますか?」と声をかけてくださりました。
すごく嬉しかったのですが、自力で歩く旅をしているので、お気持ちだけ頂きます!と御礼をして別れました。
そのお気持ちが本当に嬉しくて、幸せな気持ちに包まれながら、最後のスパートをかけます。










なんと、お昼に入った店のカウンターに、先程乗って行きませんかと声をかけてくださった男性が座っていました。
お話をしていると、休みを取って錦石を拾いに津軽に定期的に来られているそうで、今いるお店にいつも食べに来るそうです。
錦石とは、青森県伝統工芸品に認定されている石で、磨くと美しい色彩に変化する津軽産の天然石の総称。
江戸時代には幕府に献上した記録が残されていたり、伊能忠敬の測量日記にも紹介されています。
今日歩いて来た海岸線は、高い確率で拾うことが出来るそうです。
その戦利品を見せてもらいました。

大きさは5mmくらい、拾い始めると時が経つのを忘れるそうです。

錦石の本もあります。
お昼代をご馳走になってしまい、御礼に連絡先をお聞きしましたが、「また何処かで会えますよ」と言葉を残して去って行きました。
寅さんって、きっと彼の様な人なのかもしれませんね。
ご馳走さまでした。
いつかお会いしましょう!
6.終点






津軽線。
2022年の豪雨の影響で、蟹田〜三厩間が運休。
代行バスが鉄道路線上以外にも拡大して運行しており、鉄道よりも利便性が高そうなので、復旧は困難だと思われます。

この中から錦石を探すのは大変そうです。
昨年の夏、北陸道を歩いていたときに、翡翠を探す人々を見ました。
歩いた付近は親不知・子不知海岸。
天下の剣として有名で、この地の波打ち際を歩いた親子があまりの荒波に、親は子を忘れ、子は親に頼る暇がなかったために、この様な地名になったとの説があります。

新潟県糸魚川市
街道跡は波に侵食され殆ど残っておらず、上の画像の様に、断崖絶壁に這いつくばる歩道の無い国道を歩く事になります。
最低限の道幅であるため、車が来ると居場所が無く恐ろしい反面、日本海の絶景はお釣りが来るくらいの美しさです。

新潟県糸魚川市
その断崖絶壁の下にある、まさか人がいないと思われる海岸線に、時々人の姿が見えます。

新潟県糸魚川市
その人たちは、釣り人でもサーファーでも無い、石拾い人でした。

新潟県糸魚川市
途中、親不知ピアパークという道の駅の前に広がるビーチは、翡翠を拾う人々で賑わっていました。

新潟県糸魚川市
達人の様な人も座っていました。
高い石を買わされるのかと思いつつ、思い切って声をかけてみたら、親切に翡翠の話をしてくださりました。
北陸道の翡翠海岸を歩いた時の記録はこちら↓

昨日泊まった場所が外ヶ浜町で、今別町を歩いていたので、不思議に思い地図を見ると、飛地になっていました。

©️Google Maps
地図の赤い点線内が外ヶ浜町になります。

風の岬にようこそと書かれたウェルカムモニュメント、よく見ると風力発電所の風車の翼です。












厩石(まやいし)。
義経北行伝説では、源義経は兄の源頼朝により平泉で生涯を終えたのではなく、頼朝の追撃を逃れ北海道を目指したと伝えられています。
義経が津軽海峡を渡ろうとしたところ、海が荒れていたので鎮めようと三日三晩祈り続けた際に現れた、龍馬三頭が繋がれていた岩が厩石です。



そして、厩石の下に松前道終点の碑がありました。


往時はこの地から津軽海峡を船で渡り、松前を目指していました。いつの日かこの続きを歩く事になると思います。
日本橋から三厩まで、延べ32日の行軍はこれにて終了。
街道を本格的に歩き始めて5年目、はじめて自分を褒めても良いかと思いました。
7.竜飛岬
さて、最終の新幹線まで半日弱あるので、ここからは普通に馬車(公共交通機関)を利用して観光をします。

義経寺(ぎけいじ)。
三厩湾と津軽海峡を見下ろす高台に立つ、義経伝説所縁の寺。

北海道の松前半島が微かに見えます。
今回の行軍は、三厩で終わりではなく、松前が終点なのです。
対岸の福島町はヒグマ出没地域、安全になったら歩きます。




義経寺を後に、バスで津軽半島最北端の竜飛崎を目指します。

龍飛崎の石碑の奥に、石川さゆりの津軽海峡冬景色のメロディモニュメントがあります。ボタンを押すと大音響で、龍飛岬が歌詞に入っている2番が流れます。
青森駅近くには、青森駅が歌詞に入っている1番が流れるモニュメントがあるそうです。



階段国道339号、降りようとしましたが362段あり断念。
何故こうなっているのか、国道339号は弘前市から津軽半島の先端迄を縦断する道でしたが、最後の龍飛崎周辺の高低差が激しすぎて自動車用の道路が作れず、やむなく歩行者用の道路として、階段の区間を国道に指定してます。

階段村道を登り展望台に向かいます。




この付近が青函トンネル工事の基地跡。
工期は1964年から1988年までの24年間、携わった作業員は延べ1400万人。
往時の賑わいは凄かったのでしょうね。

帰りは町のタクシーを予約。
津軽線代行バスサービスの一環で、500円で町内の指定された好きな場所までいけます。
補助金を出しているJR様々ですね。



太宰治の津軽に出てくるワンシーンが紹介されていました。

帰宅後に読みましたが、太宰治の人柄が伝わってくる津軽半島の紀行文、最後のシーンが泣けます。







神社の参道が津軽線の上を跨ぎます。
見下ろしましたが草に覆われて線路が見えません。もう復旧はしないと思われます。




今別の街歩きを終えて、最終の新幹線までお昼に入った店で少し飲んでいきます。


日本酒は何を飲んだか忘れました。
お隣に座った常連さんと相撲を観ながら、ゆっくりと津軽の夜を過ごしました。
カウンターで私を挟んで両隣の人が話すと、殆ど理解できませんでした。

締めは青森のニンニクが沢山入ったチャーハン。不思議と匂いがキツくありません。
帰ろうとしたら、女将さんが最寄りの新幹線の駅まで送ってくださりました。
ありがとうございました!






場所は青森県ですが、JR北海道の駅でした。


昨日、蟹田で差し入れで頂いたほたての干物をつまみに、行軍の思い出に浸りながら帰ります。
