鮮魚(なま)街道 松戸河岸→布佐河岸
GoogleMAPの道には、旧街道が高い確率で記されており、街道歩きの際はとても役に立ちます。
先週千葉県松戸市八柱駅前で、喫茶店を探そうと地図検索をしていたら、MAP上に"鮮魚街道"と書かれた道を発見。調べてみると銚子で水揚げされた鮮魚を、江戸まで運ぶ最短ルートの様です。
面白そうなので、往時の鮮魚の配達人が歩く姿を想像しながら、歩いてみる事にしました。
2025.05.11
1.スタート地点まで

霧の朝。
30年近くさいたま市浦和区に住んでいますが、こんなに霧が深い朝は初めてです。
上の画像、iPhoneの性能が良いので、奥の方まで写っていますが、肉眼で見ると半分くらいしか見えません。




こんなにも視界が悪いのに、何事もなかった様に、定刻にホームに滑り込んでくる電車の姿を見て、鉄道会社の凄さを痛感しました。
本日の街道歩きの裏目的があります。
それは5日後に控えた、東京エクストリームウォーク。小田原から東京までの100kmを夜通し歩き続ける変態ウォーキングイベント。
街道歩きの仲間、内田さん3回、大高さん2回、大谷さん1回、東さん1回が既に歩いており、過酷さを何度も聞かされていました。
昨年10月にボスの内田さんが3回目の完歩を仲間で迎えた際に、その姿に感動してしまい、次は歩こうと決意したのでした。
というわけで、今日いつもより撮影を少なめにして、どのくらいのペースで歩けるか試しながら歩きます。
▽本日の目標
歩程距離:30km
歩行開始:06:00
休憩間隔:55分歩き5分休憩
歩行終了:12:00
神社参拝:鳥居前一礼のみ
食事休憩:無し
信号待ち・地図の確認・遺構に感動するなど、そんなに上手く行くとは思えませんが、できる限りの努力をしてみます。



橋の親柱を机にして短めの朝食。




2.松戸宿

納屋河岸。
スタート地点になります。
利根川沿いの布佐から運ばれてきた鮮魚が、この場所から江戸まで船で運ばれていました。本日はその道を逆に歩きます。
気持ち的には、往時の魚の運搬人とすれ違うシーンを想像しながら歩きます。




水戸街道は3年前の5月に歩いておりますので、詳しい記録はこちらをご覧ください↓







この先の追分で、左が鮮魚街道、右が水戸街道の江戸方面となります。
水戸街道は日光道中の千住宿から分かれており、水戸から先は陸前浜街道として、福島県浜通りを縦断し、宮城県の岩沼宿で奥州街道と合流します。
昨年の3月11日は、東京電力福島第一原子力発電所がある、福島県双葉郡の大熊町と双葉町を歩きました。
時速4kmで歩くからこそ見えてくる風景が多々あり、行き場のない大きな衝撃を受けました。
一度は行かれる事をおすすめします。
国道6号沿いを、広野町から双葉町まで約30km、宿泊施設は廃炉関係者向けにたくさんありますので、1泊でゆっくり巡れます。ご興味がある方はメッセージください。お勧めのルートを紹介します。
陸前浜街道を歩いた時の記録はこちら↓










時計台煙突。
松戸市 和名ケ谷クリーンセンターの煙突、よく見ると中腹に時計が付いています。メンテナンスが大変そうですが、煙たがれる煙突が、近隣のの人たちからみると、大切な存在になってるのかもしれません。
3.八柱

ロイヤルホームセンター。
ダイワハウスの工事関係者だけで、どの位の売り上げシェアを占めるのか気になります。



大きな工場が続きます。


神の饗(もてなし)。
看板見ただけで入りたくなる店。通勤ルートに近いので、いつか行くことになると思います。





八柱駅付近を通過しました。
隣接してJR東日本武蔵野線の新八柱駅があります。
通勤で上記の2駅で乗り換えていた時期があり、ある日衝撃の事実に気がつきました。


八柱の読み方が違います。
調べてみると、かつてこの地域は八柱村(やはしらむら)であったことを考えると、濁音がつかない方が正しいです。
しかし、先に開業しているのが京成松戸線の八柱駅なので、当時の訛りが影響していたのかもしれません。
同じような事例としては、東海道新幹線の米原(まいばら)駅が有名です。
開業当時は新幹線唯一の、町にある駅として知られてました。米原(まいはら)町にあったのに、米原(まいばら)駅と濁ってました。
市町村合併で町から市に変わるタイミングで、駅名に合わせて、米原(まいばら)市に変えたそうです。
名神高速道路と北陸自動車道の追分である、ジャンクションの呼び方は、米原(まいはら)です。
米原駅は昨年夏に北陸道を歩いた最終日に、駅の近くを通過しました。その際の印象は、昭和時代の鉄道城下町でした。

JR東海と西日本の広大な車両基地の間を歩きます。

こんなアングルで列車を見たことありません。

鉄道総合技術研究所もあり、新幹線保存場には3種類の新幹線テスト車両が展示されていました。

一番の見どころは、北陸道と中山道の追分の道標。
街道・新幹線・高速道路、三つが揃っている米原は、時代を超えて現役で居続ける交通の要衝です。
北陸道、米原駅近くを歩いた時の記録はこちら↓

常盤平陣屋前。
歴史を感じされる素晴らしい地名です。
鮮魚街道沿いに何故陣屋があるのか不思議なので調べてみると、江戸時代、幕府は荷役や軍役用に馬を飼育するために、各地に直轄の"牧(まき)"と呼ばれる現代でいう牧場を設けていました。
松戸周辺は"中野牧"と呼ばれ、管轄する陣屋が常盤平にあった名残が、現代も地名として残っている様です。

ラシバヤクリニック、ヤバシラを逆さにしてます。こちらは濁ってますね。

八柱霊園の正式の呼び方は濁らずに"やはしら"の筈なのに、道路標識は京成と同じでYABASHIRAと濁ってました、地名は本当に面白いです。
4.五香

千葉県は日本一のピーナッツの産地で、シェアは8割を超え、煎餅・最中・クッキーなど、様々なお菓子が県内各地で販売されています。


子和清水。
貧しい酒好きの老人が、いつも酒に酔っている事を不思議に思った息子が後をつけると、ここで湧いていた泉を手ですくって飲んでいたそうです。
それを聞いた地元の人が、「親は古酒、子は清水」と呼んだ泉の跡地が、子和清水の名称で今に伝えられています。

歩き始めて90分、京成松戸線との交差が踏切3回と駅1回で、早くも4回目です。
鮮魚街道が蛇行しているのではなく、京成松戸線が蛇行しているからです。
その理由は戦前に遡り、陸軍の鉄道第二連隊が使っていた演習線を、戦後旅客用に転用したから。
進軍する際に鉄道の建設が伴う場合に備えて、演習線が必要だったそうです。
直線だと運転の練習にならない、爆撃のリスク回避、一定の距離が必要であったなど、いくつかの条件が重なり蛇行したそうです。

琴櫻関は松戸市出身。
優勝の時はさぞ盛り上がった"琴"でしょう。
北陸道の石川県津幡町を歩いていた時は、大の里関の優勝のポスターを目にしました。次は綱取りですね。

石川県津幡町)
街道を歩いていると、地元出身の力士が地域に与えている影響の大きさを感じます。
とはいえ、熱心に大相撲を観ている人口は限られていると思われますので、今後はどのように進化して行くのか、気になります。
北陸道、大関大の里の故郷、石川県津幡町を歩いた時の記録はこちら↓







日本一の梨の産地に入ってきました。
面白いので記録に収めていきます。
梨園を"りえん"と読んで、歌舞伎の世界を称することがあります。
その由来は、中国の唐の時代に宮廷内の梨を植えた庭で、演劇の脚本など教えていた習慣があり、江戸時代の漢学者が歌舞伎界をさして梨園と呼ぶようになったと言われています。
梨と歌舞伎の競演、ストーリーがあっていい演出ができそうな気がします。



すき家。
"毎日清掃3〜4時"、と貼られています。
街道歩きでは、朝食で何度もお世話になっているので、頑張って欲しいです!


5.六実

松戸市六実。
ここまでの地名、八柱→五香→六実と続き、おや?と気がついた方がいらっしゃるかと思います。
偶然ではなく、その歴史は江戸時代に遡ります。
馬を飼育していた、牧と呼ばれた場所を開拓するために、入植した順番に番号のある地名が付けられました。その数は13まであり、今も千葉県内各地に地名として残されています。
ちなみに、八柱は関係なく、ピーナッツで有名な八街市がその地名に該当します。











街道は基地で寸断されているので、大回りして迂回します。

デコトラとは、デコレーショントラックの略称。ここまで立派なデコトラには、なかなか出会えません。
薩摩街道を歩いているときにも、ひっそりと休んでいるデコトラに出会いました。

福岡県 筑前町
個人的には、夜のイルミネーションがとても綺麗なので見てみたいです。








海上自衛隊 下総航空基地。
教育航空集団司令部、第3術科学校、 下総教育航空群司令部、第203教育航空隊、第203整備補給隊、下総航空基地隊など、教育系の機能が集結しています。
私の職場が、ここから西に9kmに位置しており、訓練飛行中と思われるのP-3C哨戒機をよく目にします。


6.藤ヶ谷台町


この付近は鮮魚街道の中間地点、休憩する商人で賑わったそうです。
緩やかな坂の途中の常夜灯、風情がありますね。


















水切り場とは、魚の鮮度を保つために、湧水に魚を浸して冷やす場所。
かつては水が沸いていた様です。


ポピーと街道


7.赤い百庚申





今まで街道を歩いてきた中で、最も新しいと思われる二十三夜塔と道標が建っていました。
石碑に対する信仰が、今も深い地域かもしれません。






車に轢かれそうなくらい狭く、普段は人が歩かない場所なので、歩く際はご注意ください。





庚申塔。
旧暦では60日に1度巡って来る庚申(かのえさる)の日の夜に眠ってしまうと、人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、悪行を報告すると言われていました。
この日は、虫が抜け出せないようにと夜通し起きて祈る習慣が、江戸時代に全国の農村などで大流行しました。
庚申塔は3年連続18回、祈った記念に建立されたと言われています。
やがて目的が変化し、皆で飲食して過ごす集まりになっていった様です。

百庚申。
その名の通り、百の庚申塔が並んでいます。こんな風景見た事がありません。
それだけでも壮観なのに、全てが赤く塗られています。



庚申の日の夜は、庚申塔の周りは、どんな感じになっていたのでしょうか、
さぞかし賑やかだったと思われます。
今度街道歩きの仲間と、再現出来ないか検討してみます。






8.布佐




田植えが終わり、おたまじゃくしがカエルになり、ケロケロと合唱が聞こえてきます。
稲の季節が始まりました。


















説明看板によると、旧暦の5月から7月の水量が豊富な夏季は、利根川江戸川経由の舟運で魚が運ばれていましたが、それ以外の時期に、鮮魚街道が使われていました。
川の水量が少ないと船が座礁してしまうのだと思われます。
銚子で夕刻に水揚げされた魚は、翌日の夕方には日本橋に届いていたそうです。
利根川の水路→鮮魚街道の陸路→江戸川の水路、見事な物流ネットワークですね。


ゴールに到着。
大好きな利根川の雄大な流れを拝んで、本日の行軍は終了。
一週間後に、小田原から東京まで100kmを26時間以内に歩く、東京エクストリームウォークというイベントに参加するので、本日は55分歩き5分休むルーティンを繰り返し、6時間で30kmを歩く事を目標に歩いてきました。
只今の時刻は12:38、38分オーバー。
神社は鳥居をくぐらず一例にする、街道からは横道に入る寄り道は一切しない、など決めて歩いてましたが、これだけ写真を撮影していたら遅くなりますね。
来週の本番は、写真は1時間に1枚程度の撮影頻度で臨みます。




本日の昼食は、ゴール地点の我孫子市の南側の印西市在住の、前職の先輩の原田さんと待ち合わせして、東松戸の居酒屋に。

真面目な話1割、映画の話1割で静かにスタートし、くだらない話8割に店内に響き渡るくらいの大爆笑。
急なお誘いにお時間いただいたうえに、大爆笑の笑い話と、お酒もご馳走になりありがとうございました!
