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新旧教皇の底流の聖アりグスティヌス

バチカン時間月日、新たなロヌマ教皇にロバヌト・フランシス・プレノォスト枢機卿が遞出され、レオ䞖を名乗った。

アりグスチノ䌚初の教皇

前教皇フランシスコは修道䌚叞祭ずしお幎ぶりに遞出されたむ゚ズス䌚初の教皇だった。レオ䞖も修道䌚叞祭であり、アりグスチノ䌚初の教皇である。
レオ䞖は遞出埌最初のメッセヌゞで次のように述べた。

わたしは聖アりグスティヌスの子です。アりグスチノ修道䌚士です。アりグスティヌスはこういいたした。「わたしはあなたがたずもにキリスト者であり、あなたがたのために叞教です」。この意味で、わたしたちは皆、神がわたしたちに甚意しおくださった祖囜に向けおずもに歩むこずができるのです。

察照的な教皇ずしお比范されがちな前任の教皇フランシスコも、前々任の教皇ベネディクト䞖も、聖アりグスティヌスを頻繁に匕甚しおいた。䞉代の教皇を貫く共通の底流にアりグスティヌスがあるず蚀えないだろうか。
参考資料ずしお、幎にフランシスコが教皇に遞出された盎埌に、アりグスティヌスの研究者であるマむルズ・ホリングワヌス氏が発衚した゚ッセむの日本語蚳を以䞋掲茉する。


ベネディクト16䞖、フランシスコ、ヒッポの聖アりグスティヌス

  • 掲茉日 2013幎5月15日

  • 掲茉媒䜓 OUPblogオクスフォヌド倧孊出版䌚ブログ

  • 筆者 マむルズ・ホリングワヌス英囜ダラム倧孊セント・ゞョンズ・カレッゞ思想史研究員

新しい教皇が誕生した。フランシスコである。これは貧困を尊び、信者たちにそれを勧めたアッシゞの聖フランチェスコに敬意を衚した名前である。

遞出を控え、圓然のこずながら、カトリック教䌚が盎面する課題に倚くの泚目が集たった。䞭でも、瀟䌚正矩の問題ず䞖界の貧困局の窮状は特筆すべきものである。ブ゚ノスアむレス倧叞教ホルヘ・マリオ・ベルゎリオ枢機卿ずしお、フランシスコ教皇はこれらの課題に嚁厳をもっお立ち向かい、職務のしがらみを捚お、質玠で慎たしい生き方の暡範ずなる道を遞んだ。氎曜日の倜に䞖界に向けお自らをアピヌルした方法も、その䟋倖ではなかった。そこには、即興で珟れる粟神的な独立性が垣間芋えた。

しかし、これらの詳现がカトリック教䌚が䞖界の朮流に远い぀こうずしおいるこずを瀺唆しおいるように思えるならば、それはたた、名誉教皇ず新教皇の間の連続性に぀いお、じっくり考える機䌚を䞎えおくれるものでもある。そしお、貧困ず疎倖された人々ぞの配慮がテヌマであるならば、ヒッポの聖アりグスティヌスがその考察の源泉ずなり、アりグスティヌス掟の孊者であり長幎「教矩の番人」であったベネディクト16䞖ず、近代化を進めるバチカンの第䞉䞖界の候補者であるフランシスコずいう二人の人物を結び぀ける存圚ずなるかもしれない。

アりグスティヌスは厇高か぀驚異的な孊者であり、「信仰の擁護者」でもあった。圌は初期教䌚の䞻芁な異端や分裂を批刀する著䜜を粟力的に曞き続け、その著䜜を通しお正統性を広めた。しかし同時に、ロヌマ垝囜北アフリカの衰退し぀぀あった属州、ヒッポ・レギりスの叞教でもあった。慎たしい䞡芪の息子であった圌は、自らのために厳栌な修道芏埋を確立し、指導力ず暡範の名の䞋に叞祭たちにそれを匷制した。西方教䌚、そしお西掋哲孊ず思想の䌝統党䜓においお、今日たで基瀎ずなっおいる倚くのものが、垝囜のこのように蟺鄙な片隅にあるこのように簡玠な筆から流れ出たこずは、いかに驚くべきこずかず、孊者たちはしばしば指摘する。これは確かに、氎曜日の倜、バルコニヌからフランシスコ教皇が述べた次の蚀葉を思い起こさせる。「わたしの兄匟である枢機卿たちは、地の果おたで行っおその人を芋぀けたように思われたす」

しかし、少なくずもアりグスティヌスにずっおは、圌の人生におけるこの二぀の偎面は垞に䞀぀の抂念に結び぀いおおり、圌はそれを切り離しおはならないず匷く願っおいた。蚀うたでもなく、キリスト教ず教䌚にずっお長幎の課題の䞀぀は、珟実䞻矩を最もよく理解しおいるず䞻匵する䞖間の自信に応え、それを克服するこずであった。これは驚くべきこずではない。キリストは人間の魂の霊性のために、この䞖ならぬメッセヌゞを宣蚀し、それ以来、教䌚の䜿呜の重芁な目的は、そのこの䞖ならぬ矎を秘跡の完党性の䞭に保存するこずであった。今のように、䞖間が再び自信を取り戻し、教䌚が珟実の問題ず向き合うべきであるこずを改めお思い出させおくれる時こそ、アりグスティヌスの生涯ず説教は、より繊现な芖点を提䟛しおくれるのだ。

貧困、䞍正、そしお䞀般的な「苊痛の問題」は、䞖界が教䌚に反抗すべき蚌拠ではないず圌は教えた。もちろん教䌚は時代に合わせお倉化し、定期的に改革しなければならないが、苊しみを和らげる愛ず共感、人間同士が手を差し䌞べ合うこずは、倩地すべおを、そしおすべおの男女を神の䌌姿に創造した神以倖の誰にも䞎えられない。これは深遠な神孊の埮劙な問題であり、富の源泉から容易に䜜り出せるむデオロギヌず同様に、貧困の源泉から容易に䜜り出せるむデオロギヌによっお、どちらの偎も脅かされおいる。アりグスティヌスの教えでは、富める者ず貧しい者は、より良い瀟䌚を築くために力を合わせる前に、互いに秘跡の真理を蚌明し合うのである。

倧理石の家があなたを包み、圫り蟌たれた倩井があなたを芆っおいるずしおも、あなたも貧しい人も共に、宇宙ずいう屋根――぀たり空――の䞋にいるのです。あなたも圌も、母たちの胎のうちでは裞だったのです。詩篇72篇13節に察するアりグスティヌスの蚻解

朚曜日、システィヌナ瀌拝堂でのミサで、フランシスコ教皇は次のように蚎えた。

もしキリストを告癜しなければ、私たちは䞀䜓䜕になるずいうのでしょう 慈悲深いNGOになっおしたうでしょう。たるで、子䟛たちが砂の城を䜜っお、党郚厩れ萜ちるような状況になっおしたうでしょう。

そしお同様に、2月27日、教皇ベネディクト16䞖は最埌の䞀般謁芋においお、信者たちに聖ペテロの船のこの珟実に立ち戻るよう呌びかけた。

しかしわたしには぀ねに分かっおいたした。この船の䞭には䞻がおられるずいうこずを。わたしには぀ねに分かっおいたした。教䌚ずいう船は、わたしのものでも、わたしたちのものでもなく、䞻のものだずいうこずを。䞻は船が沈むに任せたせん。䞻が船を導かれたす。もちろんそれは、䞻が遞んだ人々を通しおも行われたす。䞻がそう望たれたからです。

これはたさにアりグスティヌス的な呌びかけである。アりグスティヌスが叞教ずなり、修道院の枅貧を遞んだずき、圌はそれをたさにこのような蚀葉で捉えた。人間の創意工倫は生掻の掗緎性を高め、それを通しお時間を通しおの進歩ずいう抂念、そしお富める者ず貧しい者、先進囜ず発展途䞊囜における進歩の尺床を生み出した。しかし、教䌚が単なる「慈悲深いNGO」にならないためには、たず第䞀に、こうした区別を超越した存圚であり続けるよう任呜されたこずを忘れおはならない。教䌚が䞻の所有物人間の所有物ではなくであり続けるこずによっおのみ、真の探求者をその無圢の矎のビゞョンぞず確実に匕き寄せるこずができるのである。

さたざたな芞術品や技術品、衣類、靎、噚、そのほかあらゆる皮類の工芞品、いろいろな絵画、圫刻、そのほか、生掻の必芁や限床ず信心のための意矩ずを遥かに逞脱したさたざた代物、このようなものを䜕ずたあ際限もなく、人間は目を楜したせるために付け加えおいるこずでしょう。そしお、倖に自分たちの぀くるものを远い求めながら、内に自分たちを造りたもうた方を眮き去りにし、その方に自分自身のうちに造られたもの神の䌌像蚳泚を滅がしおしたうのです。...芞術家の魂を通しおたくみな腕に匕き枡される諞々の矎しいものは、魂を超えお存圚し、私の魂が日倜喘ぎ求めおいるあの矎そのものに由来するのですから。「告癜」第巻章


ホリングワヌス氏が匕甚したフランシスコ、ベネディクト䞖の蚀葉は以䞋で閲芧可胜


䞡教皇が匕甚した「あなた自身の䞭に垰れ」

フランシスコ、ベネディクト䞖ずも共通しお、アりグスティヌスの「あなた自身の䞭に垰れ」に蚀及しおいる。フランシスコは幎、識別に぀いおの連続講話で次のように述べた。

人生は、わたしたちに䞎えられたもっずも貎重な「曞」です。残念なこずに倚くの人が読んでいないか、読むずしおも晩幎に、死に際になっお開く本です。ですがたさしくその本の䞭に、ほかを探しおも芋぀からなかったものが曞かれおいたす。偉倧な真理の探究者、聖アりグスティヌスは、たさに自分の過去を読み返すこずで、そのこずを理解したした。そこに、䞻の存圚の、ひっそりず目立たぬ、けれども鮮やかな痕跡があるず気づいたのです。人生ずいう旅の終わりに、驚きをもっお曞き留めるこずになったのです。「あなたはわたしの内にいたのに、䜕ず、わたしは倖にいたした。そしおわたしは倖にあなたを探したした。しかもあなたの創られたその矎しいもののなかに、わたしは醜い姿で萜ち蟌んでいたした。あなたはわたしず共にいたしたが、わたしはあなたず共にいたせんでした」聖アりグスティヌス『告癜』Confessiones, X, 27, 38宮谷宣史蚳、『アりグスティヌス著䜜集 第五巻II』教文通、二〇〇䞃幎、䞀四二頁。ですからアりグスティヌスは、探しおいるものを芋぀けるには、内的生掻を掘り返しおみなさい、ず招くのです。「あなた自身の䞭に垰れ。真理は内的人間に䜏んでいる」同『真の宗教』De vera religione, XXXIX, 72茂泉昭男蚳、『アりグスティヌス著䜜集 第二巻』教文通、䞀九䞃九幎、䞉五九頁。皆さんに、そしおわたし自身にも䌝えたい招きはこれです。「あなた自身の䞭に垰れ。自分がどんな道をたどっおきたか、内面深く読み蟌みなさい。萜ち着いおじっくりず。あなた自身の䞭に垰りなさい」。

たた、幎月、新枢機卿の叙階匏を執り行った公開枢機卿䌚議の垭䞊、次のように述べた公匏日本語蚳がないのでGoogle翻蚳。

私たちは内を芋぀め、謙虚に神の前に、そしお誠実に自分自身の前に立ち、こう問いかける必芁がありたす。「私の心はどこぞ向かっおいるのか今日、私の心はどこぞ向かっおいるのかどこぞ向けられおいるのかもしかしたら間違った道を歩んでいるのかもしれない。」聖アりグスティヌスはこう譊告しおいたす。「なぜあなたを迷わせるだけの空虚な道を蟿るのか䞻のもずに立ち返りなさい。䞻は埅っおおられる。しかしたず、あなた自身の心に立ち返りなさい。そこに神のかたちがあるからだ。キリストは内なる人の内に宿り、あなたは内なる人においお神のかたちずしお新たにされる。」ペハネ犏音曞泚解 XVIII, 10


䞀方、ベネディクト䞖は幎の回連続のアりグスティヌスに関する講話の回目で次のように述べおいる。

神は人間の近くにおられたす。わたしたちの心の近くにおられたす。わたしたちの理性の近くにおられたす。しかしそのためにわたしたちは真実に道を歩たなければなりたせん。アりグスチヌスは、たさにこのように神が人間の近くにおられるずいうこずをきわめお匷烈に䜓隓したした。神は深く神秘的なしかたで人間のうちにおられたす。しかしわたしたちはこのこずを自らの内面においおあらためお認識し、芋いださなければなりたせん。回心者アりグスチヌスはいいたす。「倖に出お行くな。あなた自身の䞭に垰れ。真理は内的人間に䜏んでいる。そしお、あなたの本性が可倉的であるこずを芋いだすなら、あなた自身をも超えなさい。しかし、蚘憶しなさい、あなたが超えおゆくずきには理性的魂をもあなたが超えおゆくこずを。それゆえ、理性の光そのものが点火されるそのずころぞず、向かっお行きなさい」『真の宗教』De vera religione 39, 72〔茂泉昭男蚳、『アりグスティヌス著䜜集』教文通、1979幎、359360頁〕。


䞀般信埒の䜍眮付けの違い

教皇遞出盎埌の祝犏は、新教皇ずしお初めお䞀般信埒向けにメッセヌゞを届ける機䌚である。しかし、レオ䞖ずフランシスコず比べお、ベネディクトのはごく短かかった。幎月日に遞出されたベネディクト䞖が最初に䞀般信埒向けに長めの蚀葉を送ったのは䞀週間埌の日の䞀般謁芋においおであり、長めの祝犏の蚀葉はさらに日埌の日の教皇公邞の曞斎の窓からだった。