祖母との別れのときに聴いた、忘れられない美しい音色
昨年10月。祖母が旅立ちました。
この1年足らずで祖父母を3人亡くしています。別れは悲しいものですが、全員90歳を超えているので天寿をまっとうしたと思っています。
祖母のお葬式の前に、お焼香で一度会いに行きました。
そこで耳にした音楽に、胸がきゅーっと締め付けられる想いがしました。
『おじいちゃんがよく枕元で聴いてたんだって』
それは、「家庭音楽会」と名付けられたカセットテープから流れてきた約60年前の音源でした。
5歳の伯母、2歳の母、20代後半の祖母、30代の祖父、4人で奏でる歌声。
曲名はわからなかったけれど、きっとたくさん練習したのでしょう。5歳の叔母の歌声は一丁前でした。2歳の母も、「2歳でこんなに歌えるんだ…!」と衝撃を受けたくらい。祖母のリードにあわせて、母も懸命に歌っていました。その光景は、とっても愛らしかったろうな、と。
そしてみんなを後方から支える祖父の太い歌声。
祖母の死に顔を見ながら聴くその歌声は、ただただ「美しい」という形容がぴったりで、虚しいような妙な気持ちにさせられました。そして、もうこの世にはいない2人のデュエット…。神々しい、というに十分すぎるものでした。
気づいたら、無意識に当時の祖母を今の自分と重ねていました。
同じく2歳になる子どもがいて、いつも家で一緒にお歌を歌ったりおもちゃで遊んだり…。騒がしい毎日だけど幸せに満ち溢れた日々であること。祖母にも、母にも、当たり前に愛おしい日常があったこと。たったの短い一コマだったけど、60年の時空を超えて伝わってきた家族の絆には、なんだか妙に感動してしまいました。
祖父がカセットテープを大切に取っていたことにも正直驚きました。そして今この瞬間は、いつか願っても絶対に返ってこない時間なのだと教えられた気がしました。今を大切に生きよう、と改めて決意させられました。
それにしても20代の祖母の声は、私の知っているおばあちゃんの声そのもので、久しぶりに元気な声を聴けたことが嬉しかったです。晩年は病で苦しんだ祖母。あんなに元気な声を聞けたのは、実に10年ぶりでした。
祖母の葬式には、子連れで行きました。
祖母の顔に白い布が被せられると、「ひいばあば、いないよ〜?」と不思議そうな顔。
しばらく「いないいない、ばあ!」と、祖母に対して声かけしていました。
祖母が棺に納められると、また「ひいばあば、いなくなっちゃったよ〜?」と大きな声で叫ぶ我が子。幸い家族葬だったので誰も気にしないどころか、好奇心の赴くままに動き回る子どもの存在は癒しそのもので、悲しいイベントに彩りを与えてくれたと思っています。
「置かれた場所で咲き続けた」という言葉がピッタリな祖母の人生。
昭和の一桁生まれ、祖父と結婚したのは『父さん(祖母の父)が言ったから』。何度か聞いたけど、そうとしか説明できなかった祖母。戦後10年も経たないうちに21歳で嫁いだ祖母は、何かを自分で決めることもなく、ずっと置かれた環境で頑張って生きてきたのだと思います。
でも私の知っている祖母はいつも楽しそうでした。料理が得意でいつもおいしいご飯を振る舞ってくれた祖母。家事全般は基本1人で切り盛りしているにも関わらず終わるのがスーパー早くて、できた時間でいつもゆったりと孫たちと遊んでくれたり、得意の裁縫で洋服やマスコットを作ったり、趣味のダンスや体操、コーラスにも勤しんでいました。
専業主婦で社会経験は少なかったけれど、それが可哀想だとか、そんな印象は一つも抱かなかったです。むしろ4人の祖父母の中で一番孫たちと遊んでくれた優しいおばあちゃん。我々兄弟は祖母のことが大好きでした。友達付き合いも多く、社交的な祖母がいることが自慢でした。
結婚相手を自分で選べたわけでもなく、職業の選択の自由があったわけでもなく、子育てが終わっても孫の世話、人生の大部分は人の世話に費やしたと思います。
祖母は自分の望む人生を生きることができたのか、と問われると正直わからない。だけれども、祖母の人生はきっと幸せだったと信じたいです。
いや、元気で生き延びられることが当たり前ではなかった、戦時中・戦後の激動の時代。
「家庭音楽会」での家族4人のハーモニーを耳にして、やっぱり幸せでなかったはずはないと思いました。
人に尽くし、愛し、愛された人生だったのだと思いました。
おばあちゃん、たくさんの愛をありがとう。
おばあちゃんに出会えて幸せだったよ。
