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青雲の志

突然、思い出した。

「清水亮はさ、青雲の志を持っているんだと思う」

25歳頃だったか。数年ぶりに会った中学の同級生に、そう言われたことを思い出した。中学の同級生は、たいてい僕をフルネームで呼ぶ。清水も亮も、他にもいるからだ。

「なんだそれ、線香か?」

「違う。そういう意味じゃなくて、そういう生き方をしてるんだなあって思う。昔から見てるから」

車を運転していたから、それが実際にどういう意味なのか、今みたいに調べたりはしなかった。そもそも当時はガラケーしかなくて、車の中でインターネットを検索するなんていうのは重度の変人だった。

ずっと忘れていたのだが、さっき唐突に、昔そんなシーンがあったことを思い出した。

最近わけがわからないくらい忙しい。そのわりにお金が儲かってるわけでもない。

今日の自分の困難は、過去の自分との約束だ。

「あれをしよう」と思うのは簡単だが、完全に忘れた頃に「さあ、やりなさい」とスケジュールに追い立てられる。人生はその繰り返しだ。

極端に言えば、「あれをしよう」と思わなければ、やらなくて良いのである。しかしそうすると今度は退屈という地獄がやってくる。

繁忙と退屈は対極にあってどちらもつらい。

つまり暇は暇で辛いが、忙しいは忙しいで辛い。まあ当たり前の話なのだが。

そして忙しさというのは、過去に自分が「あれをしよう」と思っていろんな人を巻き込んで発生している遅効性の毒みたいなもので、過去から送られてくる刺客のようなものだ。

Kindleを開くと、「角栄に花束を」の最新刊が届いていた。

相変わらず面白い。
ムダヅモ無き改革もよかったが、この作者、大和田秀樹さんはこういう漫画のほうがイキイキしている気がする。

これもまた、過去に「新刊が出たら買う」という予約をした昔の自分から送られてきた刺客というかむしろプレゼントのようなものだ。

その意味では「数字であそぼ」の新刊も出ていた。

忙しくても本は読むしWebも見るしAIニュースも追いかけるし配信する。
それは過去の自分との約束だし、クラウドファンディングしてくださった支援者の方々との約束だし、もちろんシラスの「教養としてのAI講座」の受講者との約束でもある。

約束に約束が積み重なってスケジュールがいっぱいになる。
それは果たしていいことなのかそうでもないのか俺にはわからない。だが人生とはそういうものだと思う。

今週末の土曜日・・・よく考えたら明日だ・・・は全日本AIハッカソンがあり、日曜日には長岡市の小中学生を対象とした無料のAIお絵描き講座がある。告知が間に合わずまだ全然あいているので興味のある人は是非

これも、「こうした方がいい」という過去の自分が言ってしまったこととの約束であり、たとえ誰も聞いてなかったとしてもやるしかない。

ところで附属長岡のハッカソンで優秀な成績を残した班の人に渡す賞状の文面を考えるという仕事を昨日やった。

賞状を渡したことは何度もあるが、その文面を考えろ、と言われたのは初めてのことだった。ほら、賞状って何見てもだいたい同じこと書いてあるじゃない?

でもせっかく人類初の50分でのAIハッカソンという未踏領域に挑戦して勝ったんだからそれに相応しい文面を考えてあげたい。

色々考えた結果、以下のような文面にした。

賞状

⚪︎年⚪︎組 ⚪︎班 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎殿

あなたは、仲間たちと共に限られた時間の中で知恵を出し合い、
困難を乗り越え、卓越したチームワークと豊かな独創性によって見事な作品を完成させました。

その挑戦は、確かに人類を前進させました。

未来を切り拓くその情熱と創造力に敬意を表し、今後もその才能を生かして人類を前進させ続けることを期待します。
よって、その功績をたたえ、ここに賞します。

これは専門の業者にお願いして名前を入れて印刷してもらって郵送する予定。

スティーブ・ジョブズは宇宙に凹みデントを与えることで人類を前進させようとした。彼の挑戦は、ごく限られた人だけだったコンピュータを使う人を、全地球規模に拡大することに成功し、人類を確かに前進させた。

しかし、それが達成されたのは、彼が「人類を前進させよう」と言ってから実に20年の月日を要した。

スティーブ・ジョブズは利己的な人間のように語られることが多いが、実は注意深く彼の言動を追うと、彼は利己的に振る舞うというよりも目的に対して最短距離を走ろうとするように見える。

僕が中学生未満の生徒たちに語りかけたいのは、どんなに貧乏でも田舎に住んでいても、大きな夢を抱いてそこに向かって突き進んで欲しいということだ。

田舎で育ってから東京に出るというのは、僕自身、これまであまり意識してこなかったがよく考えるととてつもないハンディキャップだ。まず生活コストが全然違う。都内で生まれ育てば大学まで実家から通えるが、田舎から上京したら家賃や生活費を自分でなんとかしなくてはならない。毎月家賃光熱費食費あわせて15万円くらいかかる。これをなんとかするところから田舎者の上京生活は始まる。だが生活費の確保と家計のやりくりというのは、その後一生続くことだ。これを十代の頃から体験できるというのは大いなる武器である。少なくとも、フリーランスや経営者になるならこの経験は生涯ずっと役立つ。

僕の高校時代の親友で東大理科一類に合格した男は、ずっと激安の学生寮に住んでいた。僕よりずっと賢かったのに僕よりずっと苦労していた。

東大に入るくらいの甲斐性のある人間ならそういう優遇もあるが、ギリギリ国立理系の夜間コースにひっかかるような人間は、自分で働いて食い扶持を確保するしかない。それでも僕は、高校時代から連載の仕事があったから、他の苦学生に比べれば恵まれていた。

つまり、経済的自由を手に入れて初めて東京で戦えるのである。

だがこれはハンディキャップと捉えることもできるが、同時に武器でもある。人と違う経験を持つことはそれだけで武器になる。お金を稼いで生活しながら学校に通わなければならないという大義がある。ただ暇つぶしのために学校に行くのではなく、死に物狂いで前に進むために働きながら学校に行く。

田舎から上京する人は、東京と田舎で暮らした二つの経験が持てる。これもまた大きな武器だ。東京都民の人口は1300万人。これは日本の1/10程度でしかない。日本人の大部分は田舎者なのである。そして、「田舎者」が世界を動かしている。

アメリカもまた、巨大な田舎のような国だ。人口は約3億4900万人に達するが、その象徴であるニューヨーク・マンハッタンに住む人はわずか166万人ほどしかいない。しかも、その多くはマンハッタン生まれではなく、全米各地から才能と努力によって集まってきた人々である。つまり、アメリカのエリート層は一つの都市に生まれ育つのではなく、広大な地方から集まり、競争を勝ち抜いた者たちによって形成されているのである。

戦場で生き残るには、まず第一に自分が戦場にいるという認識を持たなければならない。しかし生まれ育った場所が戦場だという認識を持つのは実はかなり難しい。

田舎者は、常に自分のルーツである田舎と、戦場である都会の二つを心に宿している。だから戦いやすい。

笹川良一も、自分の実家の近くに行った時はかならず立ち寄り、玄関で立ち話をしてまた都会へ戻ったそうだ。

この、ある意味で「あの世とこの世」の境界を彷徨うというのは田舎者の特権である。都会生まれ都会育ちの人は、そうした境界を想像することでしか埋めることができない。まあそれが欲しければニューヨークにでも行けばいい。

何十年か前に水口哲也さんに「どうすれば世界と戦えるか」を聞いた時、「まずニューヨークに行け、次にロンドンに行け、そしてパリに行け」と言われたことを思い出す。

当時のセガは世界を三領域に分けて考えていた。つまり、日本を中心とするアジア、北米、ヨーロッパである。中国は当時ゲームマーケットが育ってなかった。

ゲームが国境を超え、宗教や言葉の壁を越えるのは必然的なことだった。
子供の頃、なぜファミコンのゲームの多くが、英語で「START」と書かれた画面から始まるのか不思議だったが、それはアーケードゲームからファミコンのゲームが作られていたからだった(もちろん処理能力の問題はあっただろうが)。アーケードゲームは易々と国境を越える。だから「スタート」ではなく「START」なのだ。

何度かの挫折を繰り返し、僕は世界中の人が使うソフトを作るという目標は、ささやかながら何度か成功した。ロンドンのApple Storeに僕の作ったアイコンが飾られているのを見た時、なんとも胸がいっぱいになった。

だがそれももう十年も前の話だ。
このまま引退するか、それともまだ何かやるか。
人生が100年だとすれば、僕はまだその半分も生きてない。ちょうど来週、その半分に達する。

そうして考えた時に、いまこれを書いている途中で、「ああなんて僕は莫迦ばかだったんだ」と思った。

今僕はとんでもない場所に居たのだ。
今の今まで、僕は自分の戦場を正しく認識できていなかったということになる。

それについて語るのはまた別の機会にしよう。

ただ、本当の話をすると、ここ数日、僕がいくつか新しい夢を心に描き始めたのは本当のことだ。その夢がぜんぶ実現する可能性は10%くらいか、せいぜい5%くらいかもしれない。

でもそこまで不可能ではない。
夢を持つことは大切だし、50歳を前にして新しい夢が胸に生まれたこと自体がとても面白いことだ。

10代最後の歳、成人になるのが不安だった。まだ中学を卒業した実感すらなかったのに大学生になっていた。
20代最後の歳、歳をとるのが嫌だった。まだやっと二十歳になったくらいの意識だった。
30代最後の歳、現実を認めたくなくて、しばらく39歳13ヶ月などと自称していた。

ところが今回はかなり違う。
43歳くらいになってようやく40代になった自分を認めた時、ハッキリとわかった。世の中には40歳を過ぎてからでないとできない仕事がやまほどある。それをさせてもらえるかどうかは、それまでの人生をどう必死で生きたかが重要だ。もう単に家が金持ちだったからとか東京に生まれたからとか、そういう有利不利や言い訳が全く効かなくなる真の実力の世界に突入するのが40代という年齢なのだ。

そして今、思うのは、50歳の男には、50歳になってからしかできないことがあるということだ。
毎回、桁上がりするたびに思うが、今回は桁上がりのタイミングと僕の心と精神のタイミングが初めて合致した。

おっさんよ、大志を抱け。抱いていいんだ。
でかい夢を持っていい。
お前がやらなくても俺はやる。