恩人の一周忌、私を救ってくれた人、永遠に感謝は忘れない。
今月、海の日は、恩人の一周忌だ。
月日の経つのは早いもので、
あの悲しみの対面から一年が経過しようとしている。
微笑んでいるようにうかがえる故人。
いまごろ、どこにいらっしゃるのかと、
いつも墓前で思うのだが、
いつか近いうちに私もその場でご対面するのだろう。
その日が訪れるのをいまから楽しみにしているのは、
それだけ、私の人生にとって、
非常に貴重なお方であったからだ。
あの苦しみの人生の岐路で、こっちにおいでと
誘ってくれなかったら、いまのわたしはいないに等しい。
生きていると、色とりどりの人々と出会う。
自分にとって有益な人もいれば、害のある人もいる。
でも、その選択は明らかに自分であるから、
えらぶのも自由なのである。
そして、その結果得たものにとって、責任を負うのも自分だ。
唯一選べないのが家族というやっかいな人たちだ。
生れたときから、血縁関係というもので結ばれてる。
それは、一生つきまとうものだから、
ときに、煩わしくおもうときもあるのだ。
わたしにとって、家族は害以外のなにものでもない。
正直、毒を強引に飲ます悪魔のようなものだ。
その点、自分で生きて、選んだ人との出会いには、
幸福をもたらすものが多々ある。
それは自分の意思と責任で選択した人間関係だからだ。
血のつながりはなくとも、ちゃんと強い絆で結ばれている。
それは、人生における宝物のようなものであろう。
昨晩は、遅い時間まで、なじみの酒場をうろついていた。
そう杯は重ねていないが、酔いは案外深かった。
そういうわけで、午前中は寝たり起きたりのぐうたら生活。
ようやくよっこらしょと腰をあげて
ジムへ筋トレに出かけたのだ。
クリーンな食事を心がけているから、
害のある加工品には手をださない。
ラーメンやどんぶりもの、弁当など、
ここのところまったく口にしていない。
ボディメイクを試みているから、余計にたべたくないのだ。
わるいものを食べると心もけがれそうで近づかないようにしている。
午前中に恩人の一周忌の墓参りにいこうと思っていたが、
案の定、二日酔いで流れてしまった。
振替日は明後日の土曜日だ。
背の高い墓石の前に立つと、柔和な笑顔の恩人に
会っているような錯覚を覚える。
安堵の瞬間である。
感謝という言葉を教えてもらったのも恩人だ。
その意味ということだ。
国語辞典で調べれば一目瞭然だが、
その言葉のなかには深い意味が含まれている。
月命日に必ず墓参りをするのも、恩人への感謝のあらわれだ。
