「デューン 砂の惑星」vs「闇の左手」
SFやファンタジーの魅力の一つに、精緻に作り上げられた異世界の楽しさが挙げられると思います。
灼熱の惑星が描かれたフランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」。
雪と氷に閉ざされた惑星が描かれたアーシュラ・K・ル=グウィン「闇の左手」。
両作品に描かれた世界は対照的ですが、いずれも我々の知る世界とは大きく異なります。
「デューン」で描かれる灼熱の世界では、水が何よりも貴重です。
そのことが生活様式や文化にも決定的な影響を及ぼしています。
なるほど、水が貴重な世界において最高の保水場所は人体内部なのですね。
そして、唾吐き(体内から水分を排出すること)が相手に対する最大級の敬意の表明となる訳ですね。
本当に「砂の惑星」があれば、実際にこのような文化・生活になるのかもしれないと思わせる迫真性があります。
SFの場合、舞台設定は素晴らしいもののプロットが今ひとつ、という作品も少なくありません(私にとってその典型は、ブライアン・W・オールディス「地球の長い午後」です)。
しかし、「デューン」にその懸念は無用です。
アトレイデス家の没落と反抗劇を描いたプロットは抜群に面白く、圧倒的な物語性に頁を繰る手が止まらなくなります。
一方「闇の左手」では、「デューン」とは対照的に雪と氷に閉ざされた惑星が描かれます。
物語の後半、主人公アイは異星人エストラーベンと二人で広い氷原を渡りますが、その際の厳しい自然の描写は圧倒的です。
二人の関係の深化が静かな感動を呼び起こすのも、全てを拒むような自然の厳しさがあってのことです。
ル=グウィンの紡ぐ研ぎ澄まされたように美しい文章も、冷たく厳しい世界観と見事にシンクロします。
「闇の左手」には、二つの異なる存在の融合という主題があります。
生と死。男と女。闇と光。
本作に登場する異星人は男性でも女性でもない両性具有者ですが、その存在自体に本作の主題が示されています。
人間アイ(男性)と異星人エストラーベン(両性具有者)の間に芽生えた感情が、友情なのか愛情なのか、あるいは何か別のものなのか。
この点は読者の想像に委ねられますが、ここにも地球人と異星人という異なる存在の融合が示されています。
物語のエンタメ的面白さは断然「デューン」です。
一方、文芸的味わいや読後感の深さは「闇の左手」です。
そして、異世界を精緻に作り上げたという点では、甲乙付けがたい素晴らしいSF小説です。
