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【小説しもやん伝】

~63歳しもやん、波瀾万丈の人生交響曲~

第一章 貧乏少年の野望

午前4時30分。

岡山の冬の夜は、まだ完全に眠っている。

白い息を吐きながら、63歳の男が黄色い軽バンに乗り込む。 エンジンをかけると、フロントガラスの向こうで冬の星がまたたいた。

まるで「おい、しもやん、今日も行くんか」と言わんばかりに。

男の名は、下川浩二。 通称、しもやん。 本業は焼き芋屋の店主。 副業——いや、もはやこちらが本業かもしれない——講演家にして手帳プロデューサー。

毎週水曜日の朝は、倫理法人会のモーニングセミナーのために 夜が明ける前から軽バンを走らせるのが、この男の流儀だ。

向かう先は岡山県護国神社。

ハンドルを握りながら、しもやんはふと思う。

俺はいったい、どこから来て、どこへ向かっているのだろう。

窓の外を星が流れる。

その瞬間、記憶の奥底から、もう一人の自分が浮かび上がってきた。 ソニー生命の営業マンだった、あの頃の自分が。

話は遡る。 遠く、遠く、兵庫県伊丹市まで。

緑ヶ丘七丁目。国鉄宿舎。家賃2千円。

昭和の高度成長期、日本中がお金の匂いにそわそわしていた頃、 貧乏な少年がひとり、二階のベランダで鳩の世話をしていた。

親父は国鉄職員。安月給の代わりに、家賃は激安の2千円。 母ちゃんは工場に出稼ぎ。男三人兄弟の真ん中に生まれたしもやんは、 お金持ちとはどういうものか、いつも友達の家を見ながら学んでいた。

その友達というのが、谷口浩司。 外車販売ディーラー「伊丹モーターズ」の社長の息子。 同じ「こうじ」という名前でありながら、家の格がまるで違う。

なんでこうじの家はあんなに広いんや。 なんでこうじのお父さんはスーツを着てるんや。 なんで俺の家は…。

貧乏少年の胸の奥で、ぐつぐつと何かが煮えていた。

その「こうじ」から習ったのが、レース鳩の飼い方だった。

鳩というのは不思議な生き物だ。 何百キロも離れた土地から放しても、ちゃんと自分の家に帰ってくる。 見えない糸で、巣に繋がれているかのように。

小学生のしもやんはそれが面白くて仕方がなかった。

近所の八百屋からもらったりんご箱を解体して、金網を貼って、 針金でトラップ式の入り口まで作った手製の鳩小屋を、 団地の二階のベランダにどっかり設置した。

なかなかの腕前だった。 たとえ材料が廃材だとしても、設計図は頭の中にちゃんとあった。

問題は、鳩のフンだった。

下の階のベランダに干してあった布団に、見事に直撃する。 苦情を言いに来るのは決まって、真下に住む同級生の女の子だ。 そのたびに母親がお菓子を持って頭を下げに行く。

「ほんまにすみません、すみません」

母親の後ろで小さくなっていた少年は、しかし、鳩を手放さなかった。 鳩は帰ってくる。どんなに遠くで飛ばしても、必ず帰ってくる。

その事実が、少年には何か大切なことを教えてくれているような気がしたのだ。

中学に上がると、しもやんは桑原塾に通い始めた。

阪急伊丹駅のジャスコの裏。 バラック小屋のような建物に、学生服姿の中高生がぎゅうぎゅう詰め。 月謝はたったの3千円。

しかしその安さの裏には、壮絶な代償が待っていた。

塾長の桑原先生は、関西学院大学付属高校の英語教師。 趣味と副業で塾を開いているのだが、その指導法が昭和の体育会系を超えている。

テストの点が悪ければ——

ほっぺたをしばかれる。 チョークが飛んでくる。 「走ってこい」と阪急伊丹駅から塚口駅まで走らされる。

現代なら即アウトである。

だが、貧乏な家の子どもたちは、こぞってこの塾に通った。 お金持ちの子どもたちが◯万円の月謝を払って浜学園で灘高を目指している間、 しもやんたちは恐怖と格闘しながら英単語を頭に叩き込んでいた。

金持ちにならなければ、ここから出られない。

その一念が、少年を勉強させた。 ほっぺたの痛みが、少年を勉強させた。 そして、うらやましさと悔しさの混じった感情が、少年を勉強させた。

中学・高校の6年間。 必死に、必死に勉強した。

その努力は実を結ぶ。 現役合格。大阪市立大学(現・大阪公立大学)商学部。

貧乏団地の少年が、ついに「ここ」から一歩踏み出した。

第二章 奈落の底へ

大学を卒業したしもやんが選んだ職場は、大和証券。

時代はバブル。 日本列島が丸ごとお祭り騒ぎをしていた、あの狂乱の時代だ。

証券マンの仕事は肌に合った。 人と話すのが好きで、熱心で、諦めない。 そんなしもやんの性格が、数字となって現れた。

入社5年目、28歳のボーナスが300万を超えた。 年に2回。

俺はついに、やった。

証券マンのスーツを着て、颯爽と街を歩くしもやんの胸には、 あの頃の貧乏少年が誇らしそうに住んでいた。

しかし——。

バブルは崩壊した。

神様が「そろそろ現実に戻りなさい」とでも言うように、 日本の株価は奈落へと転がり落ちた。

しもやんが一生懸命売った金融商品が、紙切れ同然になった。 80歳の老夫婦が大切な老後資金から出した800万円のワラントが、 気づけば50万円の価値しかなくなっていた。

姫路地方裁判所から、呼び出し状が届いた。

訴訟?裁判所?なんでおれが?

会社のために走り回って、頭を下げ続けて、土下座までして。 それなのに——。

戒告。訓告。減給。昇進停止。

一流企業に勤めているという誇りが、音を立てて砕け散った夜、 一本の電話が鳴った。

「ソニー生命で、あなたの力を試しませんか」

電機メーカーのソニーが、生命保険を始めた。 それはヘッドハンティングの電話だった。

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