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プロほど、見えなくなる。 〜思考の前に、勝負は決まっている〜

こんにちは。
株式会社スプリングボード代表の足立晋平です。

先日、金沢での仕事帰りに、21世紀美術館へ駆け込みました。

閉館まであとわずか。荷物は重いし、足も痛い。正直に白状すると、「せっかく金沢まで来たのだから」という、半分は元を取りにいくような気持ちでした。

早足で館内を回るなかで、ふと足が止まったのが、野村由香さんの《黄金の川》という作品でした。

画像 https://x.gd/poKJl

面白い作品だな、と思いました。

思ったのですが——私はその前に、どれくらい立っていたでしょうか。

たぶん、3分もいなかったかもしれません。

※帰宅後、気になって動画を見ると改めて素晴らしさを感じました。もっとちゃんと観ておけばよかった…。


その数日後に読んだ本に、こんなデータが載っていました。

ルーヴル美術館で《モナ・リザ》の前に人が立つ平均時間は、およそ15秒。混雑のせいだと思いきや、比較的空いている美術館で調べても、一枚あたり平均27秒ほど。

ところが、一枚の絵に描かれた内容をきちんと理解するには、約4分8秒かかるという検証結果があるそうです。

つまり私たちは、絵を「観た」のではなく、「通過した」だけだった。

耳が痛い。というか、痛かったです。

今日はこちらの書籍からの学びシェアです。

神田房枝さんの『知覚力を磨く――絵画を観察するように世界を見る技法』。


著者はイェール大学で美術史学の博士号を取り、メトロポリタン美術館やボストン美術館を経て、いまは企業や大学、病院に観察力のトレーニングを提供されている方です。

本書の主張は、いたってシンプルです。

人間の知的生産には、「知覚 → 思考 → 実行」という三つの段階がある。

私たちはつい、真ん中の「思考」ばかりを鍛えようとする。

けれど、最初の知覚がズレていたら、そのあとどれだけ精緻に考えても、的外れなところに全速力で走っていくことになります。

論理思考の研修を山ほど作ってきた身としては、なかなかに刺さる指摘でした。

そして、この話は美術館だけの話ではまったくありませんでした。


🦍 プロの83%が見逃したもの

ハーバード大学の研究チームが、経験豊富な放射線科医24名に胸部CT画像を見せ、肺の結節を探してもらうという実験をしました。

最後の一枚に、ある仕掛けがしてありました。

平均的な結節の48倍の大きさのゴリラの画像が埋め込んであったのです。

画像 https://x.gd/hObbl

マッチ箱ほどの大きさで、こちらに向かって拳を振り上げている。

結果、83%の医師がゴリラに気づきませんでした。

ここからが本題です。

視線を計測したところ、見逃した医師の大半が、ゴリラの位置を直視していたのです。

見ていなかったのではない。

見ていたのに、見えなかった。

理由はシンプルでした。

彼らは結節を探していた。
ゴリラは探していなかった。

それだけです。

さらに念の入ったことに、医療の訓練を受けていない人たちにも同じ実験をしています。

事前に結節の見つけ方を十分ほど教えてから画像を見せたところ、こちらは誰一人としてゴリラに気づかなかったそうです。何人かは、そちらに目を向けることすらしなかった。

「探し方」を教わった瞬間から、私たちの視野は静かに狭くなっていく。

💡ちょこっと理論紹介💡
🙈 非注意性盲目(Inattentional Blindness)
 

注意が特定の対象に向いているとき、視野に入っている明らかなものでも意識に上らなくなる現象。しかも本人には「自分は全部見た」という感覚が残るため、見えていないことに気づけません。

これ、私にも身に覚えがあります。

研修の最中、私はどうしても「うなずいている人」を探してしまうことがあります。

手応えが欲しいからです。

すると不思議なもので、後ろの席で一人だけ怪訝な顔をしている方が、まったく視界に入らない。

研修後のアンケートで初めて、

「置いていかれた」

という一行を読んで、青ざめる。

探すものを決めた瞬間に、それ以外は消える。

プロになるほど、探すものが明確になります。何を見るべきか、どこに異常が出るのか、何をチェックすべきかを知っている。

それは、もちろん強みです。

でも同時に、「見るべきではない」と無意識に判断する範囲も広くなっていく。

熟練とは、見る速さの獲得であると同時に、観る自由の喪失なのかもしれません。

🍚 同じ病を見て、正反対の答えを出した二人

明治期の日本軍にとって、最大の敵は戦地の敵兵ではなく、脚気でした。

海軍軍医の高木兼寛は、病人を診て回るなかで、いくつかの引っかかりを覚えます。

士官より水兵に多い。
欧州には脚気がない。

そこから彼は「原因は食事ではないか」と考え、兵食の改革に踏み切りました。

1883年に23.1%だった海軍の脚気発症率は、わずか2年で1%未満に激減します。

ところが、当時の医学界は高木を厳しく批判しました。

理論的な根拠が乏しい。
ただの思いつきだ、と。

一方、当時最先端だったドイツ医学を修めた陸軍と東京帝大は、「脚気は細菌による伝染病である」という説を採り続けました。

その結果、日露戦争での陸軍の脚気患者は21万人を超え、死者は約2万7800人。同じ戦争で、海軍の脚気による死者は1名でした。

私がぞっとするのは、陸軍側が無能だったわけではない、という点です。

彼らは当時、日本で最高の知識を持っていました。

だからこそ、目の前で起きている「麦飯にしたら治った」という事実を、理論に合わない例外として処理してしまった。

💡ちょこっと理論紹介💡
🔭 観察の理論負荷性(Theory-ladenness of Observation)
 

科学哲学者N・R・ハンソンが提唱した概念です。純粋な観察というものは存在せず、観察は必ず観察者の持つ理論や知識に色づけられている、という考え方。

彼は、地動説のケプラーと天動説のティコ・ブラーエが並んで夜明けを見ているとき、「二人は同じものを見ているのか」と問いかけました。

網膜に映る像は、まったく同じです。

それでもケプラーは「地球が回って太陽が現れた」と見ており、ティコは「太陽が昇ってきた」と見ている。

これは、会社でも同じです。

会議で、

「事実ベースで話しましょう」

と言った瞬間に、その「事実」がすでに全員バラバラに色づけされている。

厄介ですが、これが現実です。

🏐 トスミスから生まれた金メダル

もう少し明るい話をします。

1972年のミュンヘン五輪。

日本男子バレーが、後にも先にも唯一となる金メダルを獲りました。

その決め技のひとつが「一人時間差」です。 

これがどう生まれたか。

練習中、森田淳悟選手のもとにトスが合わなかった。

彼はいったんジャンプを止め、タイミングを見計らって打った。

すると、目の前にいたはずのブロッカーが消えていたそうです。

「これは使える」と思った、と語っています。

トスミスなんて、毎日どのチームでも起きていたはずです。

気づいたのは一人だけでした。

そしてもう一つ、私が唸ったのは監督の反応でした。

報告を受けた松平康隆監督は大喜びしたうえで、こう命じたそうです。

「私の指示があるまで、使うな」

そしてミュンヘンの準決勝、2セットを先取された土壇場で、この技が炸裂します。

失敗を知覚に変えた選手。

そして、その知覚を潰さず、隠して育てた監督。

この二段構えが揃って、はじめて金メダルにつながった。

ふつうの現場なら、

「基本に忠実に打て」

で終わっていた話です。

👀 眼の使い方だけは、自分で決められる

本書がおもしろいのは、ここで一つ、冷たい事実を突きつけてくる点です。

知覚は「受容」と「解釈」の二段階でできている。

そして、解釈のほうは、脳が勝手に進めてしまうので、自分では制御できない。

例のドレスが青と黒に見える人は、どれだけ努力しても白と金には見えない。

https://x.gd/gYtqZ

じゃあ、打つ手なしか。

そうではありません。

眼の使い方だけは、自分で選べるからです。

私が試してみて、これはいいなと思っているのは、この三つです。

🕰️ 目的を持たずに見る時間を、一日五分だけ作る。
探さない。ただ見る。通勤路でも、自席から見える景色でもいい。

🙋 会議で自分(上司)が最初に意見を言わない。
上司が先に解釈を述べた瞬間に、その場の知覚の多様性は死にます。

🌾 中心ではなく、周縁を見る。
売上上位の顧客ではなく、静かに離れていった顧客のほうに、次のサインが出ています。

三つ目については、少し補足させてください。

イノベーションはほとんどいつも周縁部から起こる、と言ったのはクレイトン・クリステンセンでした。

新興国。
スタートアップ。
法改正。
他業種の動き。
平均から外れた、ちょっと変わった顧客。

ふだん私たちが「うちには関係ない」として視界から外している場所に、未来のサインは先に届いています。

ただ、これを一人でやるのは、正直に言って無理があります。

額縁に囲まれた絵と違って、ビジネスの全体図は広すぎるからです。

だとすれば、管理職の最も大事な仕事は、自分が全部を見渡すことではなく、メンバー一人ひとりが周縁で拾った違和感を、気軽に口に出せる場をつくることなのだと思います。

「それ、関係ないかもしれないんですけど」

から始まる発言を、遮らずに最後まで聞けるかどうか。

案外、そこに次の一手が隠れているのかもしれません。

美術館の話に戻ります。

あの日、私は《黄金の川》の前を通過しました。

次に金沢に行くときは、一枚だけでいいので、四分立ってみようと思っています。

せっかちな性格なので、たぶんそわそわします。

でも、そのそわそわ自体が、自分の眼のクセを教えてくれる気もしています。

最後に、この記事を読んでくださったあなたに、ひとつだけ問いを置いていきます。

あなたの職場にいる「ゴリラ」は、何でしょうか。

たぶん、それは新しく現れたものではありません。

ずっとそこにいて、毎日直視しているのに、探していないから見えていないもの。

もしよかったら、コメント欄で教えてください。

私にも見えていないゴリラが、きっとたくさんいるはずなので。


🎦音声/動画解説/スライド資料はこちら(NotebookLM)


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