🦠【名言の裏側×心のウイルス】~「ニューヨークに来て最初の一年は、生涯で最悪だった。でも最良の出来事でもあった。」~マドンナ~―最悪のままで終わる人と、最良に変える人の決定的な違い―
■第1章 それは本当に「ついていない」だけなのでしょうか?
最近、久しぶりに大学時代の友人と会ったんです。昔から、どこか“ついていない”やつでした。仕事もうまくいかないし、人間関係も長く続かない。「何やってもうまくいかない」「タイミングも悪いし、全部かみ合わない」と、会ってもやっぱり同じことを言うんですね。
その話を聞きながら、ふと思ったんです。これ、本当に“ついていない”だけなんだろうか?と。もしかすると、起きている出来事そのものではなく、その出来事の“見え方”に違いがあるんじゃないか?そんなことを考えていたときに、ある言葉を思い出しました。
■第2章 最悪だったはずの時間が、最良に変わることがあります
「ニューヨークに来て最初の一年は、生涯で最悪だった。でも最良の出来事でもあった。」
マドンナの言葉です。彼女がニューヨークに渡った当時、待っていたのは華やかな成功ではありませんでした。お金もなく、生活は不安定で、思うように仕事も見つからない。オーディションに落ち続け、将来も見えない。どう考えても“最悪”としか言いようのない時間だったはずです。
当時の彼女にとって、その時間は間違いなく苦しかった。目の前が真っ暗に感じられたこともあったでしょうし、「もう無理かもしれない」と思った瞬間もあったはずです。それでも——彼女は後になって、その時間を「最良だった」と言い切っています。
■第3章 同じ事実でも、見え方はなぜ変わるのでしょうか?
ここで一つ、はっきりしていることがあります。起きている“事実”そのものは変わっていないということです。ダンサーとして食べていけなかったこと、オーディションに何度も落ちたこと、生活が不安定だったこと。これらはすべて、そのときに実際に起きていた出来事です。
変わったのは——その出来事の“見え方”です。
マドンナは、あの時間を「歌手になるための過程」として位置づけ直した。ゴールを達成した瞬間に、それまでの苦しさがすべて「必要だったもの」としてつながった。つまり、出来事そのものは同じでも、その出来事が“どこに置かれたか”で意味が一変したということです。
一方で、あの友人はどうでしょうか。彼にも同じように、うまくいかない出来事がありました。ただ、その出来事を「ついていなかった出来事」のまま止めている。ゴールとのつながりがないまま、ただの苦しい経験として残り続けている。
この違いは、いったい何なのでしょうか?
■第4章 見え方を固定している「心のウイルス」とは何でしょうか?
ここで見えてくるのは、シンプルな構造です。事実は変わらない。しかし、その事実にどんな意味を与えるかで、その後の現実の感じ方は大きく変わる。そしてその意味づけは、一度決まると無意識のうちに繰り返されます。
うまくいかないことがあれば「やっぱりダメだ」と感じる。人間関係でつまずけば「また同じことが起きた」と思う。その繰り返しの中で、見え方が固定され、やがてそれが“現実”のように感じられていく。
これが、私が「心のウイルス」と呼んでいるものです。
終わりに~その見え方は、どこから変わり始めるのでしょうか?
もし今、うまくいかない出来事を「最悪だった」と感じているとしたら、それは事実そのものではなく、その出来事に対する見え方かもしれません。そして、その見え方にはもう一つの要素が関わっている可能性があります。それが——目標の持ち方です。
マドンナには、達成すべき明確なゴールがあった。歌手になるという目標です。そのゴールに到達したとき、過去の出来事はすべて「そこに至るための過程」として再配置された。だからこそ、あの時間を「最良だった」と言い切ることができた。
一方で、あの友人には、その出来事をつなげる先のゴールがなかった。あるいは、あったとしても向き合い続ける形では持てていなかった。その結果、出来事は「ついていなかった」という意味のまま残り、同じ見え方が無意識のうちに繰り返されている。
事実は変わらない。けれど、目標と意味づけが変わると、同じ事実の見え方は変わる。そして、その見え方が、これからの現実の感じ方を決めていく。
では——あなたが今「最悪だった」と感じているその出来事は、どんな位置に置かれているのでしょうか?それは、どこへつながる過程として見えていますか?
もしよければ、コメントで教えてください。今のあなたにとって、“最悪だった”まま止まっている出来事は何ですか?
