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一曲を最後まで聴くこと

    レコード、DJ、制作、そしてリスニングイベントについて

    リスニングイベントを何度か続けてみて、ようやく少しだけわかってきたことがある。

    これは、単に好きな音楽を紹介するための場ではないのだと思う。

    もちろん、好きな音楽をかけている。
    影響を受けた音楽もある。
    今あらためて聴き直したい音楽もある。

    自分では大切だと思っているけれど、誰かが一人で聴いたら、少し怖がられたり、難しそうに思われたりする音楽もある。

    でも、たぶんそれだけではない。

    この場を続けながら、自分がやっていることは、音楽を通して「自分の物差し」をもう一度確かめることなのではないかと思うようになった。

    そして同時に、誰かがその人自身の物差しを、少しずつ育てていけるような時間をつくりたいのだと思う。

    家に眠っていたレコード

    音楽との関わりは、最初からはっきりとした目的があったわけではなかった。

    職業にしようと思っていたわけでもないし、何か明確な思想があったわけでもない。
    もっと自然に、日常の中に音楽があった。

    幼少期、家には父のレコードがあった。

    ただし、自分が音楽に興味を持ち始めた頃には、音楽メディアの中心はすでにCDへ移行していた。
    だからレコードは、日常的に聴かれている現役のメディアというよりも、家の中に眠っている古い音楽のかたちのように見えていた。

    子どもの頃からレコードに強く親しんでいた、というよりは、まず音楽が身近にある環境があり、その後、自分自身の関心や時代の空気の中で、改めてレコードという存在を発見していった。
    そう言う方が近い。

    90年代の空気

    大きな転機のひとつは、90年代の音楽やストリートカルチャーとの出会いだった。

    90年代前半から中盤にかけて、テレビや雑誌、街の空気を通じて、ダンス、ヒップホップ、クラブカルチャー、DJという存在が、若い世代にも少しずつ身近になっていた。

    ダンス甲子園のようなテレビ番組の影響も含めて、音楽をただ聴くだけではなく、踊ること、選ぶこと、つなぐこと、街の文化として受け取る感覚が広がっていた。

    その流れの中で、父が爆音で聴いていたSoul II Soulとの出会いも大きかった。

    UKソウルやグラウンド・ビート、アシッドジャズ周辺にもつながる、洗練されているけれど身体性のあるグルーヴ。
    それは、単なるポップミュージックとは違う、音の質感やリズム、空気感に対する興味を開いてくれるものだった。

    音楽をメロディや歌詞だけで聴くのではなく、ビート、グルーヴ、音色、空間、ファッション、態度も含めて受け取る感覚が、少しずつ形成されていった。

    モダーンミュージックという場所

    もうひとつ、自分にとって大きかったのが、明大前にあったモダーンミュージックという場所だった。

    父方の実家が明大前にあり、その家から徒歩30秒ほどの場所に、モダーンミュージックがあった。
    実家に遊びに行くたびに、自然とご近所さんのその店に立ち寄るようになった。

    通い始めたのは、音楽そのものが気になり出した中学2年生の頃だったと思う。
    それから閉店するまで、定期的に通っていた。

    そこで出会った音楽は、いわゆるわかりやすいポップミュージックとは違っていた。

    奇妙な音楽。
    前衛的な音楽。
    実験的な音楽。
    分類しにくい音楽。

    最初から理解できたわけではない。
    むしろ、よくわからないけれど、なぜか引っかかる。

    怖いような、面白いような、少し近寄りがたいけれど、目を離せないような音楽がそこにはあった。

    今思えば、モダーンミュージックは、自分にとって「わからないものを、わからないまま持ち帰る」ための場所だったのかもしれない。

    すぐに好き嫌いを決めるのではなく、理解できないものに触れてみる。
    奇妙なものを、自分の中にいったん置いておく。
    その場では意味がわからなくても、後になってからじわじわ効いてくるものがある。

    そういう音楽との出会い方を、あの場所で少しずつ覚えていった。

    後に、前衛的な音楽や実験音楽をリスニングイベントで紹介するようになるが、その感覚の一部は、かなり早い段階でモダーンミュージックから受け取っていたのだと思う。

    難しい音楽を、難しいものとして遠ざけるのではなく、奇妙で、少し笑えて、でもどこか深いものとして受け取る感覚。
    その入口が、明大前のあの店にはあった。

    ヒップホップとスケートボード

    同時に、スケートボード文化を通じたヒップホップとの出会いもあった。

    ヒップホップは単なる音楽ジャンルではなく、スケート、グラフィティ、ファッション、ダンス、街の感覚と結びついたライフスタイルだった。

    自分にとってヒップホップは、音楽だけを切り離して聴くものではなく、街での遊び方、人とのつながり、身体の使い方、ものの見方まで含んだ文化として入ってきた。

    その中で、16歳の頃にDJを始めた。

    ターンテーブルを手に入れ、レコードに触れ、音楽を選び、つなぎ、人に聴かせるという行為に踏み出していく。

    父のレコードを掘り返す

    ここで重要だったのが、家に眠っていた父のレコードの再発見だった。

    当時の自分にとって、父のレコードは単なる古い音楽ではなく、新しく掘り起こすことのできる素材だった。

    そこには、ジャズ、ソウル、ロック、映画音楽など、さまざまなジャンルのレコードがあり、100枚ほどの多様なレコードが、自分の音楽的なボキャブラリーを広げていくきっかけになった。

    レコードを聴くことは、単に音楽を再生することではなかった。

    ジャケットを見る。
    針を落とす。
    音の質感を確かめる。
    使える部分を探す。
    かっこいい瞬間を見つける。
    その音がどこから来たのかを想像する。

    レコードから受け取れる情報は、音だけではない。

    ジャケット、写真、タイポグラフィ、レーベル名、録音年、参加しているミュージシャン、国、時代、ライナーノーツ、クレジット、盤の質感、店での出会い方、誰かから教わった記憶。

    一枚のレコードの中には、音楽、デザイン、歴史、文化、身体感覚、思想の断片がいくつも含まれていた。

    そういう意味で、自分にとってレコードは、ひとつの先生のような存在だったのだと思う。

    学校のように体系立てて教えてくれるわけではない。
    正解を示してくれるわけでもない。

    けれど、たくさんのレコードに触れ、聴き、見て、調べ、失敗し、また聴き直す中で、自分なりの物差しが少しずつ育っていった。

    いくつもの物差し

    その物差しは、ひとつではなかった。

    音楽の物差しもあれば、デザインの物差しもある。
    思想や文化、歴史、身体感覚に関わる物差しもある。

    自分の中には、いくつもの物差しが内在している。

    今では、その物差しが一つではなく、複数あってよかったと感じている。

    マイナーで前衛的な音楽を聴けば、価値観は自然と多様になる。
    世界中の民族音楽を聴けば、文化人類学的な視点や、歴史への興味も生まれてくる。

    音楽を聴くことは、ただ好みを増やすことではなく、世界の見方を増やすことでもあった。

    その行為は、後の「素材との対話」という感覚にもつながっている。

    すでに存在しているものを、ただ過去のものとして扱うのではなく、いまの自分の耳で聴き直し、新しい文脈の中に置き直す。
    レコードを掘るという行為は、単なる収集ではなく、発見であり、編集であり、再解釈だった。

    DJ SHOP PACOで学んだこと

    当時は、VESTAXが運営していた渋谷のDJ SHOP PACOにも通っていた。

    そこで技術や知識、シーンの空気を吸収していった。
    レコードの選び方、つなぎ方、音楽の流れの作り方、先達の知識、店に集まる人たちの感覚。

    そうした場所は、単に商品を買う場ではなく、音楽をめぐる学びの場でもあった。

    また、当時の時代環境も大きかった。

    今よりも、いろいろな意味で自由度があり、若くても現場に触れることができた。
    クラブやイベント、仲間との音楽体験を通じて、DJとして人前で音楽をかける経験を重ねていく。

    音楽を一人で聴くだけではなく、人と共有すること。
    自分が選んだ音に、誰かの身体や反応が返ってくること。

    その経験は、後のリスニングイベントにもつながる重要な原体験になっている。

    DJから制作へ

    しかし、DJとして活動していく中で、次第に「他人の音楽をつなぐ」だけではなく、自分自身の音を作りたいという意識が芽生えていく。

    その大きな転換点が、AKAI MPC2000の購入だった。

    MPCは、レコードや音源の一部をサンプリングし、切り取り、並べ替え、新しいビートや音楽を作るための機材だった。

    それは、DJとしてレコードを選び、つなぎ、文脈を作っていた感覚を、さらに一歩進めるものだった。

    DJでは、他者の音楽を素材として扱いながら、自分の流れを作る。
    MPCによる制作では、その素材をさらに切り刻み、自分自身の音楽へと組み替えていく。

    つまり、DJから制作への移行は、まったく別の活動に変わったというより、音楽との関係がより内側へ、より制作的な方向へ深まっていったものだった。

    そこから、音楽制作を粘り強く続けていく。

    DJとしての選曲感覚、レコードを掘る経験、ヒップホップ的なサンプリングの感覚、ストリートカルチャーから受け取った態度。
    それらを背景に、自分自身の音楽を作るようになっていった。

    そして、2006年にソロでCDデビューする。

    これは、DJから始まった音楽との関わりが、自分自身の作品として結実したひとつの到達点だった。

    他者の音楽を選び、つなぎ、紹介するところから、自分の音楽を作り、発表する段階へと進んだ。

    Serato以降の違和感

    音楽制作をメインにしていく中で、DJをする機会は徐々に減っていった。

    その理由のひとつに、DJ環境のデジタル化があった。

    SeratoのようなDJソフトの登場によって、レコードを持ち運ばずにデジタル音源でDJをすることができるようになった。

    それはとても便利で、時代の変化として自然なものでもあった。

    しかし、アナログ主体でDJをしてきた自分にとっては、どこか味気なく感じられた。

    レコードを探す。
    棚から抜く。
    ジャケットを見る。
    盤を取り出す。
    針を落とす。
    盤面の溝や重さを感じる。

    そうした身体的な行為が、自分にとってのDJには深く結びついていた。

    だから、Seratoの登場によってDJの利便性が増していく一方で、自分がDJに感じていた手触りや物質感、偶然性、音源との身体的な距離が薄れていくようにも感じた。

    それは単なる機材の好き嫌いではなく、自分にとってDJとは、音を再生する行為ではなく、素材に触れる行為だったということでもある。

    その結果、DJからは一時的に疎遠になっていく。

    ただし、それは音楽から離れたということではなかった。

    むしろ音楽制作を通じて、音との関係はさらに深まっていた。
    選曲すること、素材を扱うこと、編集すること、音を作ること。

    それらは形を変えながら、制作の中に残り続けていた。

    2017年、リスニングのコーナー

    その後、2017年に3枚目のソロアルバムをリリースする。

    この時のリリースパーティー、渋谷UPLINKで設けたリスニングのコーナーが、後のリスニングイベントへ向かう大きなきっかけになる。

    そのコーナーでやっていたのは、ただ好きな音楽を流すことではなかった。

    自分が影響を受けてきた音楽、自分が素材として扱ってきた音楽、制作の背景にある音楽を、来場者に向けて紹介するものだった。

    ただし、その音楽の中には、一人で聴くと怖がられたり、気難しそうに感じられたりするような、アバンギャルドなものも多かった。

    実験音楽、前衛的な音楽、一般的には少し難しそうに見える音楽。

    そうした音楽を、そのまま権威的に提示するのではなく、アーティストの略歴や、その音楽が持つ前衛的な部分、変わったところ、面白いところを、自分なりの言葉で、ユーモアを交えながら紹介していった。

    イメージとしては、タモリ倶楽部の一コーナーのようなものだった。

    難解なものを、難解なまま遠くに置くのではなく、少し笑える角度や、身近な入口を作って聴いてもらう。
    知識を誇るのではなく、「これ、変だけど面白いよね」と一緒に覗き込むような感覚。

    その反応が非常によかった。
    そこで、自分は大きな手応えを得る。

    音楽をただ作って届けるだけではなく、音楽を聴く入口を作ること。
    難しそうな音楽や怖がられがちな音楽を、文脈とユーモアによって人に開いていくこと。

    そこには、次につながる可能性があると体感した。

    この経験は、後のリスニングイベントの原型になっている。

    DJとして人に音楽をかけることとも違う。
    ライブとして自分の音楽を演奏することとも違う。

    音楽そのものを、人と一緒に聴くための場を作る。
    そして、その音楽が持っている面白さや背景を、言葉や空気を通じて開いていく。

    2022年、聴くことを考え直す

    2022年、4枚目のソロアルバムのリリースパーティーを黒鳥社で行った時にも、再びリスニングのコーナーを設けた。

    この時期は、コロナ禍を経た世界的な環境の変化があった。

    人と集まること、大きな音で盛り上がること、クラブやライブハウスに行くことが制限される中で、音楽の聴かれ方も大きく変化していた。

    家で音楽を聴く時間や、生活・環境に寄り添う音楽への関心が高まり、自分自身もアンビエントや環境音楽を含めて、「聴く」ということの意味を改めて考えるようになった。

    聴くとは何か。

    音楽を聴くとは、ただ音を情報として受け取ることなのか。
    音楽は、盛り上げるためだけのものなのか。
    生活の中にある音、環境の中にある音、人の時間のそばにある音楽には、どのような意味があるのか。

    この時期に、「聴くこと」は自分にとってより重要なテーマになっていった。

    リスニングは、DJの代替ではなくなっていく。

    それは、音楽を通じて人の感覚を少し開くこと。
    普段なら通り過ぎてしまう音に気づくこと。
    知らない音楽、少し怖い音楽、前衛的な音楽に対して入口を作ること。
    そして、聴く時間そのものを人と共有することだった。

    この流れは、後の「聴察」や「音味」にもつながっていく。

    音楽を作ることだけではなく、音や環境、素材、空間との関係を聴き直すこと。
    聴くことを通じて、自分と世界の関係を捉え直すこと。

    その感覚が、リスニングイベントの背景にも少しずつ入り込んでいった。

    珈琲とラジオのように

    そして2023年に、平野望(dysfreesia)さんとのリスニングイベント「珈琲とラジオのように」を始める。

    珈琲やラジオのように、生活のそばにありながら、ふと耳を向けると深く入っていけるような音楽の時間。

    そこで行われていたのは、あらかじめ整理された音楽解説というよりも、二人の即興によって繰り広げられる音楽的なトークだった。

    当日までお互いに知らせないレコードを持ち寄り、その場で針を落とし、耳を向ける。

    相手がどんな音楽を持ってくるのか、自分にもわからない。
    だからこそ、話すことも、聴くことも、その場で少しずつ立ち上がっていく。

    知らなかった音楽に出会うだけではなく、相手がその音楽をどう聴いているのかに触れる。
    一枚のレコードをきっかけに、記憶や経験、文化や時代、個人的な感覚がふいに開いていく。

    そういう偶然性と親密さを含んだ時間だった。

    2017年のリリースパーティーで見えた、前衛的な音楽をユーモアと文脈によって人に開く方法。
    2022年のコロナ期を経て考え直した、聴くことの意味。

    それらが、「珈琲とラジオのように」という形で、ひとつの場になっていった。

    神保町・肆 YONへ

    そして2025年から現在に続く、神保町・肆 YONでのリスニングイベントへとつながっていく。

    YONでのリスニングイベントは、クラブでもライブハウスでもバーでもない。
    どこか誰かの部屋のような、私的で近い距離感のある場所で行われている。

    そこでは、音楽を大きく消費するのではなく、ゆっくり味わう。
    誰かが普段家で聴いている音楽を少し覗きに行くような感覚もある。

    このイベントで大切にしていることのひとつに、一曲を最後まで聴く、ということがある。

    一曲を最後まで聴くこと

    今は、音楽も情報もすぐに飛ばせる。

    少し聴いて違うと思えば、すぐにスキップできる。
    倍速で聴くこともできるし、要約だけでわかった気になることもできる。
    評価やレビューや再生数を見れば、自分で判断する前に、その価値が外側から提示されてしまう。

    けれど、一曲を最後まで聴くということは、その音楽の時間をいったん引き受けることだと思う。

    好きか嫌いか。
    わかるかわからないか。
    心地よいか、違和感があるか。

    そういう判断をすぐに下さずに、その曲が終わるまで黙って一緒にいる。

    それは、対話にとても似ている。

    相手が話している途中で口を挟まないこと。
    すぐに正解や評価を返さないこと。
    自分の知識や先入観をかぶせすぎないこと。

    最後まで聴いた上で、自分の中に何が起きたのかを確かめること。
    そして、その上でどう感じ、どう考え、どんな言葉を選ぶのか。

    そこにこそ、聴くことの大切さがある。

    音楽を最後まで聴くことは、他者を最後まで聴く練習でもある。

    一曲の中には、展開があり、沈黙があり、退屈に感じる時間があり、急に開ける瞬間があり、最後まで聴いて初めてわかる構造がある。

    それを途中で切らずに聴くことは、自分の感覚を急がせないための時間でもある。

    消費者になる前に

    リスニングイベントを続けている理由のひとつは、そこにあるのだと思う。

    情報過多の時代に、流行や評価に流されるのではなく、自分の物差しをゆっくり育てていける社会になってほしい。

    そのための、小さな場を作りたい。

    流行に乗ること自体が悪いわけではない。

    でも、流行や価格や評価やアルゴリズムに判断を預けすぎると、自分の中の感覚が育ちにくくなる。

    何が好きなのか。
    なぜ惹かれるのか。
    どこに違和感があるのか。
    何を大切にしたいのか。

    そういう判断が、外側に持っていかれてしまう。

    すると、人はどんどん消費者になっていく。

    選んでいるようで、選ばされている。
    楽しんでいるようで、どこか疲れている。
    情報は増えているのに、自分の感覚は細くなっていく。

    そして物差しが一つになればなるほど、価値の判断も単純になってしまう。

    高いものが良い。
    有名なものが良い。
    効率が良いものが良い。
    誰かが評価しているものが良い。

    最終的には、お金が解決してくれると思いやすくなる。

    もちろん、お金は大切なものだ。
    けれど、お金だけでは測れない価値がある。

    時間をかけてしかわからないもの。
    自分の耳で聴かないとわからないもの。
    自分の身体で聴かないとわからないもの。
    誰かと共有して初めて意味が立ち上がるもの。
    最初はよくわからなくても、後からじわじわ効いてくるもの。

    そういう価値に触れるためには、自分の物差しを持つ必要がある。

    そして、その物差しは一度に完成するものではない。
    ゆっくり育っていくものだと思う。

    レコードが育ててくれたもの

    自分にとって、その物差しを育ててくれたもののひとつがレコードだった。

    たくさんのレコードに触れ、聴き、迷い、失敗し、もう一度聴き直すことで、少しずつ自分の判断基準が育っていった。

    その経験があったからこそ、今のような情報過多の時代においても、自分の中に複数の物差しを持てていることは、とても幸せなことだと感じる。

    それはお金に換えられるものではない。

    むしろ、お金以外の価値や意味、意義を知るための感覚を、音楽やレコードが少しずつ育ててくれたのだと思う。

    だから、リスニングイベントは、単に良い音楽を紹介する場ではない。

    参加する人が、それぞれの中にある物差しを少し増やしたり、揺らしたり、育てたりするための場でもある。

    知らない音楽に出会う。
    少し怖い音楽を最後まで聴く。
    前衛的な音楽に笑える入口を見つける。
    民族音楽を通じて、遠い土地の歴史や身体感覚に触れる。
    アンビエントを通じて、環境や時間との関係を考える。

    そうした経験の積み重ねが、自分の中にある物差しを少しずつ増やしていく。

    単なる回帰ではなく

    これは、16歳でDJを始めた頃の原体験と、深いところでつながっている。

    レコードを掘ること。
    人に音楽を聴かせること。
    自分が面白いと思うものを誰かと共有すること。

    ただし、今のリスニングイベントは、若い頃のDJへの単純な回帰ではない。

    そこには、長い時間をかけた変化がある。

    DJとして、他者の音楽を選び、つなぎ、人に聴かせていた時期。
    MPC2000を手に入れ、素材を切り取り、自分の音楽へと組み替えていった制作の時期。
    Serato以降のデジタル化に対して、アナログの手触りや物質感とのズレを感じ、DJから一時的に離れた時期。
    音楽制作を続けながら、自分の作品の背景にある音楽を人に開いていった2017年の経験。
    コロナ禍を経て、聴くことの意味を改めて考えた2022年。
    そして、2023年の「珈琲とラジオのように」、2025年からの神保町・YONでのリスニングイベント。

    それらがすべて合流して、現在のリスニングイベントになっている。

    だから、このリスニングイベントは、単なる「好きな音楽をかける会」ではない。
    また、懐かしいレコードを聴くためのアナログ趣味の会でもない。

    そこにあるのは、もっと長い時間をかけて育ってきた、自分なりの音楽との関係性である。

    聴く時間を共有する

    いま流行っている音楽。
    いまは流行っていない音楽。
    名盤として愛され続けている音楽。
    怖がられがちな音楽。
    難しそうに見える音楽。
    前衛的な音楽。
    一人で聴くと少し距離を感じてしまう音楽。

    そうしたものを、ユーモアと文脈によって、人が楽しめる入口へ変換すること。

    そして、音楽を知識や所有物として見せるのではなく、聴く時間として人と共有すること。

    ここに、このリスニングイベントの核心がある。

    DJとしての選曲力。
    ヒップホップやスケートカルチャーから受け取った、素材を掘り起こす感覚。
    モダーンミュージックで触れた、わからないものをわからないまま持ち帰る感覚。
    MPC以降の音楽制作で培った、音を素材として扱う感覚。
    デザインディレクターとしての編集力。
    そして、難しいものを難しいままにせず、人が入れる余白を作るユーモア。

    それらが、今のリスニングイベントを支えている。

    言い換えるなら、DJとして始まった「音楽を人に聴かせる行為」は、音楽制作を経て、いまは「聴くことそのものを人に開く場」へと変化している。

    レコードを掘ることから始まった素材との対話は、MPCによる制作を経て、今では人と一緒に音楽を聴く時間の設計へとつながっている。

    自分がかつて一人で発見してきた音楽の面白さを、今度は誰かと一緒に発見し直す。

    そのための場が、現在のリスニングイベントなのだと思う。

    現在形の表現として

    この流れは、音楽活動だけでなく、デザインやブランディングの姿勢とも重なっている。

    価値がわかりにくいもの。
    古く見えるもの。
    難しく見えるもの。
    まだ言葉になっていないもの。

    そうしたものに対して、いきなり売り込むのではなく、関係性を作り、入口を作り、時間をかけて人に開いていく。

    その姿勢は、音楽におけるリスニングイベントにも、そのまま表れている。

    リスニングイベントは、音楽を通して、自分の物差しをゆっくり育てるための場である。
    そして、一曲を最後まで聴くことは、他者を最後まで聴く練習でもある。

    それは、情報過多の時代に対する、静かな抵抗でもある。

    流行に反発するためではなく、流行に流されすぎないために。
    消費者である前に、ひとりの聴き手として、自分の感覚を取り戻すために。
    お金では測れない価値や意味を、もう一度ゆっくり感じ直すために。

    この文章を書きながら、自分でも少し驚いている。

    リスニングイベントについて書いているはずなのに、結局これは、自分が何を大切にしてきたのかを認識し直すための文章になっている。

    DJ、レコード、モダーンミュージック、HIPHOP、サンプリング、音楽制作、オトッペ、アンビエント、聴察、音味、場づくり。

    それらは別々の活動ではなく、ひとつの流れの中にあった。

    リスニングイベントは、単なるイベントではない。
    自分自身の長い音楽史の延長にある、現在形の表現なのだと思う。

     
     
    須田伸一|デザインディレクター / 音楽家(Twoth) つくること、聴くこと、文化が続いていくことについて書いています。 ものや音、そこで生まれる体験が、時間の中でどのように残っていくのかを考えています。 sdadio.com

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