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原宿の歴史⑨1973年9月24日放送・NHK新日本紀行・ファッション通り~東京・原宿~と同時期に原宿で撮影された映画2本を見て考えた


NHK BSの「よみがえる新日本紀行・ファッション通り〜東京・原宿〜」

以前放送されたNHK BSの「よみがえる新日本紀行・ファッション通り〜東京・原宿〜」初回放送1973年9月24日月曜19:30~20:00に放送されたリマスター版の番組をやっと見る事ができた。今から約50年以上前の原宿は、当時も日本の最先端のクリエイターが集まる最先端の場所であった。

女性ファッションモデルの撮影シーンから始まり、スタイリスト・高橋靖子氏の道案内によって番組が進んでいく。カメラマンとして井出情児、モデルのハニー・レーヌらが紹介され、通行人で若きジョー山中や写真家の小暮徹氏も映っている。
さらにセントラルアパートのデザイン事務所「HALLO HALO」のネームプレートのある部屋の内部の映像から1階の店舗、開店して間もないケンタッキーフライドチキン原宿店、Boutique APOLLO、フィリピン料理店「カフェ・セントラル」の入口、BUS STOP、FOX、BERKELEYといった洋服店のファサードが映り、非常に混雑した「MILK」の店内に切り替わる。

高橋靖子氏の証言によると「少し前に日本で初めてのブティック(マドモアゼル・ノンノン)がセントラルアパートにできて「こんなところでこんな角っこでこんなちっぽけな店で商売になるのかしら」という心配をよそにその数年後の1973年当時、原宿周辺には何百軒ものブティックが集まる街となった」と語っている。

青山・原宿のファーストフードの先駆けは「ケンタッキーフライドチキン」
セントラルアパートにケンタッキー・フライド・チキン原宿店が1972年(昭和47)年7月28日開店。当時、原宿と南青山と北青山に3店舗あった。今で言うドミナント戦略だ。ちなみに昨年閉店した北青山店は全国のケンタッキー・フライド・チキンの幹部のトレーニング店のようになっていて「国内のケンタッキーで一番美味かった」とこちらの店の近所の方に聞いたことがある。私感だが確かに美味しかった。

ベルベット・アンダーグラウンド/サンデーモーニング

シーンが朝方の原宿駅周辺に切り替わる。さりげなく使われたBGMは当時日本盤でリリースされたばかりと思われるベルベット・アンダーグラウンドの「サンデーモーニング」だ。当時のNHKには「ピンク・フロイド」をBGMで使ったりCAROL」のドキュメンタリー番組を制作した龍村仁も在籍しておりロックに詳しい方が多かったのだろうか。

原宿や明治神宮の周辺の経緯や早朝の明治神宮のシーンや代々木第一体育館での近隣住民のラジオ体操によるシーンがのどかである。

撮影当時に竣工から同潤会アパートにお住まいだった方のインタビューが貴重だ。「住み始めた当時は原宿は郊外だった」と回想されている。

同潤会アパートは1923年の関東大震災で木造家屋が密集した市街地が大きな被害を受けたため、耐震・耐火の鉄筋コンクリート構造で1926年に竣工され、1945年の山の手大空襲にも焼け残った。2006年、森ビルによる再開発で表参道ヒルズが誕生した際、建築家 安藤忠雄より忠実に再現した形で保存され「同潤館」として表参道ヒルズの一部に組み込まれた形となっている。

同潤会アパート

太平洋戦争で青山周辺は同潤会アパート以外に安田銀行(表参道交差点の旧みずほ銀行)、山陽堂書店、渋谷郵便局などの鉄筋コンクリートの建物だけ焼け残った。この悲惨な山の手大空襲についてはこの書籍に詳しい。原宿~青山の歴史に興味がある方は是非読んでみて欲しい一冊だ。

MILKの細長い店舗や当時のクリエイターがノマド的にレオンでデザイン画を書いたりした当時の自由で希望に満ちた雰囲気が伝わってくる。

デビッド・ボウイ/ジギー・スターダスト

当時は、この数年後の80年代のDCブランドブームにつながるマンションメーカーが勃興、つまり工場を持たないファブレスメーカーが原宿のセントラル・アパートやその周辺に集まった時代だった。そんなマンションメーカーの一つとして、山本寛斎が取り上げられていだ。映像の中でもひときわ目立つ山本寛斎は、この年にデビッド・ボウイのワールドツアー「ジギー・スターダスト」に衣装提供をしていた頃で、世間で注目を集め始めた頃である。週刊誌等にも話題の人として数多くクリエイティブな若者として多く送り取り上げられている。しかし映像では、それとは対照的に屋上での昭和的な声出し朝礼とアバンギャルドなファッションとの対比が面白い。


映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」

そして、この番組の中にもヘルメットを被らず(当時は合法)風防を付けカスタムしたオートバイに乗る若者の集団がかなり映っているが、

映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」AMAZONプライムなどで配信中

番組が撮影された1年後の1974年10月~1975年7月に撮影され1976年に公開されたドキュメンタリー映画が「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」である。実在した暴走族「ブラックエンペラー」新宿支部のメンバーである少年や、その家族、周囲の人々を取材したドキュメンタリー映画の傑作といわれているそうだ。劇中では表参道を走り抜けて青山にあった深夜営業のスーパー「ユアーズ」前でメンバーがタムロするシーンもある。

原宿と「オートバイでの集団走行」の関係は既に1960年代後半頃から原宿族の流れの走り屋もあって、それ以前にはカミナリ族もいた。そしてほぼ同時期に舘ひろし率いるクールスのメンバーもバイクで原宿に集まっていた。セントラルアパートの「喫茶店レオン」の前にバイクを並べ大きな注目を集めた。表参道はバイクとは縁の深い場所であることも間違いない。

映画「襟裳岬」

映画「襟裳岬」AMAZONプライムなどで配信中

さらに当時の原宿が映る貴重な映像として映画「襟裳岬」がある。この映画は原宿のブティックで縫い子として働く靖子が助けてくれた青年・五郎と恋に落ちるが、急逝。それから出身地である襟裳へと旅立つ、という青春映画。冒頭のシーンでは、表参道交差点付近の映像から、主人公の靖子が働く巨大な顔を型どった看板 「KNIT APOLLO HOUSE」が映る。

映画「襟裳岬」から

「gim」のロゴもあるためセントラルアパート1階にあった店㈱ジムの八木原保氏が経営されていたAPOLLOの系列店だろう。 その後、今は建て替えられたパレ・フランスビルの前で靖子が腰掛けるシーンでは明治通りを挟んだ反対側の風景が映し出されるが、ほぼ木造であった。


江戸から続く風習が70年代の原宿にはまだあった

「新日本紀行・ファッション通り~東京・原宿」に戻ると、1973年当時はまだ路地裏で下着姿の子供が駆け回り、手縫いの畳屋など昭和の面影が色濃く残る普通の街であり、江戸時代から続いていると思われる無尽講さえもまだ存在していた。無尽講に関してはナレーションで「印刷屋の相原さんのお宅で行われる」と言われており隠田商店街付近にあった相原印刷のお宅だろうか。こちらの無尽講、会費はひとり1000円。毎回くじを引いて、当たった人がその場の会費を総取りできる仕組みだった。炭屋、材木屋、酒屋、米屋の方々など戦前から原宿に住まわれているが方々が集まって親交を深める場であった。その後のシーンでは今も続く穏田神社祭礼でお神輿を担ぐ姿も映し出されている。

隠田の水車
葛飾北斎の版画「富嶽三十六景」 wikipediaから

この渋谷川周辺のエリアは葛飾北斎の「隠田の水車」があった場所の近くであり(実際の場所は特定できていないらしいが、)改めて江戸時代から続く文化が50年前までは原宿にも確実に存在していた事実に驚いた。

町から街へ

江戸時代から続く民間の行事が息づく「町」原宿から、最先端のファッションに身を包んだ人々、バイクに跨りエネルギーを発散する人々、少なくとも今から50年前には様々な個性が集まる「街」原宿への変貌――この対比が何とも興味深かった。


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