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映画ちいかわ エンディング曲『机さする』|秘密は、花瓶に飾るように

映画『ちいかわ』のエンディングを聴きながら、不思議なことを思った。

この歌は、映画の出来事をほとんど説明していない。

セイレーンも、人魚も、単三電池も出てこない。

それなのに、映画を観終わったあとに聴くと、「これは、あの旅のあとにしか歌えない歌だ」と思えてしまう。


冒頭はこう始まる。

外を見ると もう明るいよね
眠れなかったけどさ

旅の疲れで眠れなかった、とも読める。

でも私は、それだけではない気がした。

セイレーン編で、ちいかわは思いがけず、ヒトハとフタバだけが抱えてきた真実を知ることになる。

「人魚を食べると永遠の命が手に入る。」

島に伝わる言い伝えは、半分だけ本当だった。

永遠の命とは、単三電池で生き続ける身体になることだった。

その事実を知っても、ちいかわは誰かに伝えようとはしない。

ヒトハとフタバが抱えてきた秘密を、そのまま持ち帰ることを選ぶ。

あの夜、本当に眠れただろうか。

旅の興奮だけではない。

自分だけが知ってしまったことの重さも、一緒に抱えていたように思う。


歌の途中には、こんな一節がある。

何があったか
べつに聞かないけどね

優しい言葉だと思った。

「話して。」

でもない。

「話さなくていいよ。」

でもない。

「聞かないけどね。」

その距離感が、ちいかわらしい。

相手の心に踏み込みすぎない優しさ。

そして、自分もまた、話さないことを選ぶ優しさ。


一番心に残ったのは、この歌詞だった。

覚えてても
忘れそうでさ

忘れたくない。

でも、人は忘れてしまう。

だから、この歌には「約束」が何度も出てくる。

あの場所に いつか行ってさ
見つけようね 約束

最初は、「また旅に行こう」という意味なのだと思っていた。

でも映画を観終わったあとでは、「あの場所」は、あの島のことのように思えてならなかった。

もう一度、あの島を訪れて。

島のみんなの変わらない日常や、ヒトハとフタバが静かに暮らしている姿を、また見つけられたら。

秘密を暴くためではない。

救うためでもない。

ただ、会いに行く。

そんな静かな約束なのかもしれない。

そして、「見つけよう」の目的語が書かれていないことにも意味がある気がした。

見つけるのは、島のみんなだけではない。

あの時の気持ち。

あの時の勇気。

あの時の自分。

セイレーン編で、ちいかわは言葉にできない経験をした。

時間が経てば、その時感じた痛みも迷いも、少しずつ薄れてしまうのかもしれない。

だから、

あの場所に いつか行ってさ

もう一度あの場所へ行けば、

あの時の自分にも、きっとまた会える。

「見つけよう」という言葉には、そんな願いも込められているように思えた。


そして、もう一つ気になった歌詞がある。

たとえば鳥 あるいは ねこ
その中で見てるって思うのも自由

たとえばいぬ あるいは さかな
その中で見てるって思うのも自由

「見てる」という言葉が、不思議だった。

鳥なら空から。

ねこなら地上から。

いぬも、さかなも。

視点が少しずつ変わっていき、最後には海の中までたどり着く。

映画を観終わった後だと、その海中には、人魚やセイレーンたちのいた世界が重なって見えた。

もちろん、これは私の想像にすぎない。

それでも、「さかな」という言葉が最後に置かれていることには、どこか意味があるような気がしてしまう。

私は、この歌詞を読んでいて、こんなことを思った。

自分は何も言わなかった。

でも、どこかから見守っていたい。

ヒトハとフタバのことも。

島のみんなのことも。

あの島で出会った時間を、忘れないように。

「その中で見てるって思うのも自由」という一節には、そんな静かな決意と優しさが込められているように思えた。


そして、私が最後まで気になったのは、「花瓶」という言葉だった。

あの花瓶さ いつか買ってさ
飾ろうね 約束

映画の中に花瓶は一度も出てこない。

それなのに、なぜ花瓶なのだろう。

思い出したのは、「ほめられリボン」のお話だった。

草むしり検定に落ちたちいかわが、合格したハチワレへ、お祝いのクッキーを贈る。

青いリボンを結んで。

ハチワレは、そのリボンを花瓶に結んで飾った。

飾っていたのは、リボンではない。

ちいかわの「おめでとう」という気持ちだった。

だから、ちいかわたちにとって花瓶は、花を飾る器というだけではない。

友情や思いやりを、目に見える形で大切にしておく場所でもある。

そう考えると、「飾ろうね」の目的語が書かれていないことも、意味があるように思えてくる。

花でもいい。

旅の思い出でもいい。

誰かから受け取った優しさでもいい。

忘れたくないものを、そっと飾っておく。

そんな約束なのかもしれない。


そして最後の一行。

今 机さする

私は、この歌詞を読んでいると、ちいかわの部屋が浮かんでくる。

机くらいしかない、シンプルで素朴な部屋。

旅から帰ってきたちいかわが、少しもじもじしながら、いつもの机を指先でそっとさすっている。

日常へ帰ってきた。

でも、心の中には、あの島で見たことがまだ残っている。

誰かに話せば、少し楽になるのかもしれない。

それでも、ちいかわは話さない。

ヒトハとフタバから受け取ってしまった秘密を、そのまま抱えて帰ることを選んだから。

だから、その代わりに机へ向かう。

何かを書こうとしているのかもしれない。

あるいは、まだ書けなくて、ただ机をさすっているだけなのかもしれない。

書くことは、誰かに伝えるためではない。

自分の中で、この出来事を少しずつ受け止めるため。

怖さや迷いを、自分で少しずつ消化していくため。

そして、いつもの机に触れることで、「帰ってきた」と少し安心するため。

そんなちいかわの姿が、自然と浮かんできた。


映画では、「永遠の命」が描かれる。

けれどエンディングで歌われるのは、「永遠」ではなく、「いつか」だった。

いつか買ってさ。
いつか行ってさ。

永遠なんていらない。

「いつか」があるだけで、人は前を向ける。

それは、『くつずれ』で歌われた、

「痛いけれど歩く」

という小さな勇気の続きなのかもしれない。


映画のクレジットも印象的だった。

オープニングの『くつずれ』は、「歌 ハチワレ」。

物語の中で歌われる歌だからだ。

一方、『机さする』は、ちいかわ役の声優さんの名前だけが表示される。

「歌 ちいかわ」とは書かれない。

ちいかわは、多くを語るキャラクターではない。

だからこそ、「これはちいかわの心情です」と答えを示さない演出が、とても美しかった。

この歌は、ちいかわの歌としても聴けるし、映画を観終えた私たち自身の歌としても聴ける。

その余白が、この作品らしい。


『くつずれ』は、痛くても歩く歌だった。

「ネバーギブアップ」と歌ったあとに、

「でもやっぱ痛いからさ」

「なんか……ちょっとだけ……目……しょぼる……」

と、弱さをそのまま残して終わる。

そして『机さする』は、その続きを歌っている。

歩き終えたあと、家へ帰る歌だ。

秘密を抱えたまま。

忘れたくない思い出を抱えたまま。

机に手を置き、花瓶に優しさを飾る。

大きな感動や、劇的な結論では終わらない。

「今 机さする」

その何気ない仕草の中に、旅を終えた安心と、まだ言葉にならない思いが静かに重なっている。

だから私は、この歌を聴くたびに、あの島へ帰りたくなる。

ヒトハとフタバにも、島のみんなにも、ただ静かに「元気でいてね」と伝えたくなる。

ナガノさんは、最後まで「説明」ではなく「余白」を残した。

だからこの歌は、映画が終わったあとも、ちいかわたちの旅を、そして私たち自身の心を、そっと歩き続けているように思える。

映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観た後は、また原作を読みたくなってしまいます。

パンフレットには『机さする』の歌詞が載っています。ここでしか見られない、ナガノさん書き下ろし漫画も掲載されています!

「机さする」について書いてから、3週間。
今度はパンフレットの表紙に描かれた、セイレーンのりんごが気になりました🍎

なぜ、りんごなのだろう。
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』について、もう一度考えました。

映画ちいかわ の入場特典、プルバックカーが話題だ。なぜセイレーンの上に乗っているのは、ちいかわ、ハチワレ、うさぎなのか。
島民たちとの違い、セイレーンとの対話から、どちらか一方の視点に立って善悪を決めない物語について考えてみた。


※Amazon のアソシエイトとして、篠凪は適格販売により収入を得ています。


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