「安倍氏のカリスマ性よもう一度」の欲念はどこへ向かうのか

自民党は、安倍政権時代のきらびやかさを忘れられず、高市氏を総裁に選んだのだと思う。安倍氏健在なら、そのカリスマ性のおかげで裏金もさして大きな問題にされずに済んだだろう。他の黒い話が大きな問題視されずに済んだように。安倍氏にはそれだけのカリスマ性があった。
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安倍シンバには「安倍氏さえ支持すれば少々グレーなことをしても問題にされない」という甘えが醸成されていたように思う。高市氏を選んだ人の中には、「裏金問題、そんなに問題か?」と首を傾げる人も少なくないのでは。何より高市氏がその代表格のように思う。たぶん、裏金を悪いと思っていない。

そこが安倍シンバの弱点なのだと思う。安倍氏健在の時にそれらの問題が問題にならなかったのは、安倍氏に異様なほどのカリスマ性があったから。どれだけ問題を掘り起こされても「それがどうした?」と嘯(うそぶ)くことができた。問題が問題にされない恐るべきカリスマ性が安倍氏にはあった。

安倍シンバは、いつしか安倍氏のカリスマ性に守られていることを当然視し、裏金問題をはじめとして「え?これそんなに悪いことかな?」と、問題視されないことにすっかり馴(な)れてしまったように思われる。なんでこんなに責められ、問題視されるのか理解できない様子。

しかし、安倍氏は亡くなり、守ってくれるカリスマ性というバリアは失われた。ところが安倍氏がいなくなっても「そんなに問題視されるはずがない」という思考の習慣だけは抜けずに残って、その習慣を諦めきれずにいる人が、高市氏支持の中核にいるように私は感じている。

しかし、国民の少なからずが貧困にあえぐ中で、裏金を作っていたことの衝撃と怒りはすさまじいものがある。公明党は、支持者から「なぜ自民党と一緒にいるのか?」と突き上げを食らっていたのだろう。他方、安倍シンバを中核とする高市氏支持者には、裏金の怒りが理解し難いらしい。

一つには、安倍シンバには差別主義な富裕層が少なくないことも影響しているかもしれない。新自由主義の支持者が多く、安倍氏自身は大きな政府的な政策を取ることが実際には多かったけれど、金持ちに有利な制度設計を着々と進める安倍氏に親近感を持っていた様子。

このために、安倍シンバは金銭感覚が庶民からズレてしまい、裏金問題が問題とは思えない精神構造の人がどうも多いように見受けられる。そうした人たちを支持者の中に抱える高市氏は、裏金問題を大きな問題とは捉えられないのかもしれない。

他方、公明党が支持基盤とする創価学会は、いわゆる庶民を基礎としており、生活がどんどん苦しくなる中での議員の裏金作りに怒り心頭な人は多かったと思う。プチ富裕層を支持層の中核としていると思われる高市氏とは感覚がかなり違うように思われる。

高市氏としては、自分の支持者の意向を無視するわけにいかないだろう。問題はその人たちの意向が、「安倍氏のカリスマ性に隠れていろんな問題をごまかせたあの時代に戻りたい」という欲求に基づいている点にあるように私には見える。しかし安倍氏はもういないし、高市氏にそこまでのカリスマ性はない。

「安倍政権の時代よもう一度」という発想が、すでに無理があるのに、その欲求捨てがたく、高市氏に票を投じた人も少なくないように思う。もちろん他の理由で高市氏を支持している人も少なくない。ただ、高市氏の政策意思は、安倍シンバにかなり左右されているように私には見える。

公明党は、問題ありまくりだった安倍シンバにはもう付き合えない、と思ったのだろう。それなら安倍政権の時に離脱しなよなどと私なんかは思うけれど、それでも公明党をつなぎとめてきたのは、これもまた安倍氏のカリスマ性によるところ大だろう。安倍氏には確かに不気味なほどのカリスマ性があった。

でも、公明党を自民党につなぎとめていた安倍氏のカリスマ性ももはや失われた。高市氏に安倍氏ほどのカリスマ性がない以上、公明党としてはメリットがない、と判断したのだろう。
「安倍政権の時代よもう一度」の人たちの思念は、一体どこへ向かうのか。今後も観察してみようと思う。

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