まさかイエスが読んでいた聖書はギリシャ語だったとは
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旧約聖書はヘブライ語で書かれている、そう思い込んでいた
旧約聖書はヘブライ語で書かれている。学校の世界史や倫理の授業でそう教わり、疑ったこともありませんでした。けれど教会の礼拝で朗読を聞くたび、自分の中でどこか腑に落ちない感覚が残っていました。今読まれているこの言葉は、いったいどの言語から、誰の手を通って届いたのだろう、と。試験問題で「旧約聖書は何語で書かれたか」と問われれば、迷わず「ヘブライ語」と書いていたはずです。秦剛平著『七十人訳ギリシア語聖書入門』を読んで、その漠然とした違和感の正体がはっきりしました。旧約聖書には、ヘブライ語の原典とは別に、ギリシャ語に訳された「もう一つの聖書」があり、それこそがイエスの時代にもっとも広く読まれていた聖書だったのです。
秦剛平著『七十人訳ギリシア語聖書入門』はこちらから読めます。
七十二人の翻訳者と、イエスが引用した「もう一つの聖書」
本書によれば、この翻訳の始まりを伝える古い言い伝えが『アリステアス書簡』という文書に残っています。紀元前三世紀、エジプトを治めたプトレマイオス二世フィラデルフォスの命により、イスラエルの十二部族から六人ずつ、合わせて七十二人のユダヤ人学者がアレクサンドリアに集められ、七十二日間でモーセ五書をギリシャ語に訳し上げた、という伝説です。「七十人訳」という呼び名は、この数字に由来します。実際には一度に完成したわけではなく、まず律法の部分が訳され、その後およそ一世紀をかけて残りの書物が少しずつギリシャ語に置き換えられていったことも、本書は丁寧に跡づけています。さらに驚くのは、この翻訳がやがて「イエスの時代の聖書」そのものになっていったという事実です。新約聖書でイエスや使徒たちが旧約の言葉を引用するとき、その多くがヘブライ語原典ではなく、この七十人訳の言い回しに基づいていたといいます。パレスチナの外へ宣教が広がり、ヘブライ語やアラム語を読めない信徒が増えるにつれて、七十人訳は初代教会にとって欠かせない聖書になっていきました。なぜ数ある異本の中でこの訳が正統な地位を得ていったのか、その経緯についても本書ではさらに踏み込んで論じられています。七十人訳がその後どのような変遷をたどって現在に伝わったのかという後代の歴史にも紙数が割かれており、五百ページを超える本書のボリュームは伊達ではありません。ぜひ本書で確かめてみてください。
教会の礼拝で聞く一言が、違う手触りで届くようになった
知る前は、礼拝で牧師が旧約聖書を朗読するのを聞いても、大昔のヘブライ語がそのまま今の言葉に置き換わっているのだろう、という漠然としたイメージしか持てませんでした。読んだ後は違います。朗読される一節の背後に、アレクサンドリアで机を並べた七十二人の学者たちが、慣れないギリシャ語の語彙をひとつずつ選び取っていった作業を思い浮かべるようになりました。先日、友人とキリスト教美術の展覧会に足を運んだとき、解説パネルにあった「ギリシャ語聖書からの引用」という一文を見て、以前なら読み飛ばしていたその言葉の意味を、自分の口で友人に説明できました。同じ礼拝堂、同じ展覧会場にいても、そこで交わされる言葉の重みがまるで違って感じられるようになったのです。
知らずに読み過ごしていたのは、もったいなかった
世界史の授業で覚えた「旧約聖書はヘブライ語」という一行だけを信じ続けていたら、この本が示す厚みにはたどり着けなかったはずです。著者の秦剛平は、国際基督教大学で聖書学と西洋古典学を学んだのち、京都大学大学院でキリスト教学を修め、米国ドロプシー大学でユダヤ学の博士号を取得した研究者です。多摩美術大学教授を長く務めた名誉教授であり、ケンブリッジ大学クレアホールの特別研究員として、死海文書やヨセフス研究にも取り組んできました。そうした専門性の蓄積があるからこそ書ける、細部にまで踏み込んだ一冊です。旧約聖書はヘブライ語で書かれている、というひとことで済ませてきた自分の中の聖書観は、この本を読み終えたときにはもう別物になっていました。
秦剛平著『七十人訳ギリシア語聖書入門』はこちらから読めます。
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