母の話。アカという雄鶏を飼っていた
母は私を作家だと勘違いしている
最近、猫のnoteを書いているの、と母に伝えたところ、母はすごく喜んでいました。母は私を作家だと誤解しています。
以前に母と猫の記事を公開したときに、スマホを見せて猫たちの写真と記事を読んでもらったところ、「あら、作家じゃない」と勘違いをしたようです。
猫を飼い始めたのは、もう40年以上前。キジ猫のアリスと、その娘で、シャム猫柄和風顔のリラちゃんを飼っていました。
母の部屋には、アリスとリラちゃんたち子猫が一緒の写真と、アリスの赤い首輪が飾られています。毎日、写真をみて話しかけているようです。
先日のnoteでリラちゃんの記事を書いたときに、Geminiにリラちゃんの画像を作ってもらいました。だいぶ似ていたので、母にそれを見せたら、リラちゃんの記憶が呼び覚まされたようです。
母の中では、リラちゃんはいつまでも子猫。4キロ以上あった成猫時代は記憶の彼方へ。リラちゃんはいつでもかわいい子猫で、リラちゃんのお母さん猫のアリスは、賢い猫というイメージで固まっています。
「あら、リラちゃんはこんな立派な猫だったかしら。子猫のときしか思い出せないわ」
「おとなしいかわいい猫だったわねえ」
猫嫌いだった母
82歳の母は、もとは猫嫌いでした。野良猫たちが庭先に現れても「あっちへ行きなさい」と追い払ってました。
猫は、小学生の頃に可愛がっていたニワトリのオス”アカ”や、卵を産んでくれる雌鶏たちを、近所の悪い猫たちが狙っていたからです。
アカはトサカが真っ赤で、体格も立派なニワトリでした。一緒に飼っていた雌鶏たちを雄々しく守る立派な雄鶏で、母はペット感覚で、毎日撫でたり、餌をあげたりしていたそうです。
ある日、家に帰ってきたら、ドラム缶で煮られて羽をむしられたアカは、鶏肉のご馳走になっていた……。母の昭和20年代終わり頃の悲しい記憶です。
母はそれ以来、鶏肉は苦手になったそう。そして、猫も嫌いになりました。きっとアカがいなくなったあとに、雌鶏たちをあからさまに狙ってくる猫たちが嫌だったからでしょう。
アカがいなくなってしばらくして、庭で飼う鶏はいなくなり、鶏小屋が片付けられ、庭が整えられたと言っていました。
都内23区でも、昭和20年代には庭先で鶏を飼い、卵を採る家庭がまだありました。昭和30年代に入ると卵の流通が安定し、庭で鶏を飼う家庭は少しずつ姿を消していきます。
母の記憶をたどると、戦後の暮らしが変わっていく様子まで見えてくるようです。
クリスマスにチキンが出ない理由
私たちが子どもの頃、母は鶏の唐揚げや筑前煮を作ってくれて、鶏肉の料理を普通に食べていました。
ただ、クリスマスに骨付きチキンが出たことはなかったし、手羽先や手羽元も食べたことがありませんでした。
手羽元の根元にフリルのような紙のヒラヒラがついている唐揚げは、友だちのお誕生会で食べるご馳走。私は母のチキン嫌いを具体的に想像できなかったので、骨付きチキンは高いから家では食べないんだろう、と思っていました。
母にとって、骨付きチキンはアカを思い出させる。
切実な事情があったことを理解したのは、だいぶ大人になってからでした。
82歳の母は、今は鶏肉を食べません。11年前の夏に脳梗塞を発症してから、病院の鶏肉メニューも、今住んでいるサービス付き高齢者住宅の食事でも、「鶏肉は嫌いなのよ」と、一切食べなくなりました。
アカを思い出すからでしょう。
母の猫嫌いの克服へ続きます
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