涙は温泉に溶けていった話
北見の祖母が亡くなった日のこと。
12月の初め、朝7時に母からLINEが入った。
「北見の婆ちゃんが亡くなりました。葬儀は身内で行います」
その年の10月に北海道に帰っていたのに、祖母のところには行かなかった。
まだ大丈夫だろうと思っていた。
急いで、仕事先に連絡し飛行機の予約を取り、弟と北海道に向かった記憶がある。
もう、着いた頃には小さな箱になっていた。
遺影には何年か前の母の日に私が撮った母との2ショットが採用された。このショットから○年後には亡くなってしまうなんて…と改めて思った。
実母が亡くなってショックを受けている母と一緒に初日は気分転換で深川までドライブに行った。
向かったのは、「マーガレット教会」
私が北海道の人と結婚していればここで挙式をしたかった所だ。






食事をしていて、案外元気そうに見えたので安心していた。
急いで東京から駆けつけたのは良いが、お葬式もなく祖父と両親と弟で記念集合写真を撮って終わった。
私の職場は夏場は閑散期なので沢山休みがもらえるのだが、12〜3月は1番忙しくなる業界なので滅多に連休はない。
弟も久しぶりに一緒に北海道に来たので、皆んなで定山渓の旅館「花もみじ」に泊まりに行った。確か父は用事で来れなかったと思う。
旅館「花もみじ」は私の高校の卒業式の日にも祖父母と泊まりに行った思い出深い場所でもあった。

地下に卓球があったので、卓球をしつつ、母と大浴場に行った。
室内風呂に入って「婆ちゃんとも来たよね〜」と話をした時に母がシクシク涙を流していた。
決して私から見たら趣味が合っているとか、一緒にずっといるとかは無かった様に思って居たけど、やはり悲しいよね。
私も未来永劫婆ちゃんの「〜かしら?」が聞けなくなるのは悲しい。
学校でファービーが流行った頃、学芸会が終わって婆ちゃんが「ファー…ビーって知ってる?」って言い慣れてない、ファービーをプレゼントされて嬉しかった。
反抗期は結構反抗してしまったのは後悔してる。
結婚報告に北見に行った時、婆ちゃんは歩けなくなっていた。結構ショックで私は、もうそんなに残された時間は無いんだろうなと、その夜実家の布団で泣いたんだよ。
フォーマルワンピースは仕事場でいつでも社販で買えるものだったけど買うと亡くなるんじゃないかと思って怖くて買っていなかったんだよ。
と泣いている母を見ながら祖母を思い出した。
涙はお湯の中にスーッと消えて無くなっていくような気がした。温泉が悲しい心を癒してくれる。
…きっと私も実母を亡くしたら、こうやって泣くのだろうな。と背中をさすりながら考えていた。
お風呂を上がって、また卓球を弟とやり
旅館のテレビとネトフリを繋ぎ
3人集まったので、ポップコーンなどを食べてホラー映画を見た。その頃には、いつもの母だった。
アメリカのB級ホラー映画。3人であーだこーだ言って観るのは本当に楽しかった。レイトショーの規制が緩かった時、4人でよく江別のマイカルに映画を金曜の夜に見にいった。それ以来、家族は映画好きだ。
まるで学生時代の家の様だった。
次の日は定山渓から家までドライブして、久しぶりにエミネムやカニエの曲を掛けて治安の悪いドライブをした。
もう、婆ちゃんはいない。婆ちゃんが住んでいた北見の家も演奏していた琴も全部無くなってしまった。
だけど、私がずっとずっと覚えて自分が婆ちゃんになった時に昔話の様に話そうと思う。
