真夜中の散歩道の話
私には日課がある。
健康維持のためにとても重要かつ大事である。
それは皆が寝静まった頃に行う。
夜の夜中に私がひとりヒッソリコッソリ行う。
だからと言ってそれは決して秘め事ではない。
こうして公言もすれば隠し立てする必要もない。
それはこんなことだ。
たとえば繁華街ならいざ知らず、真夜中の住宅街というものは人ばかりか街そのものも深い眠りについている。
最早陽の光の届かない、真っ暗な深海の冷たく黒い底のような、シンと静かな重い空気の中に横たわっている。
そんな住宅街を、私はひとり散歩に興じるのだ。
私はひとり真夜中に散歩する。
それが私の日課である。
そうしてそんな真夜中の住宅街をルートとした私の散歩道では、日々色々の不可解な出来事に遭遇する。
例えば、先日はこんなことがあった。
*
この先を書くため、私はこの1年ほど近所の住宅街を真夜中ひとり徘徊している。それは詰りは取材だ。
取材というものは、やれば必ず結果が出るというものではない。寧ろ当てが外れ空振りに終わったり振出しに戻ることの方が多いものだ。
詰りそう言う事だ。
私の真夜中の散歩道には特に何もない。
この1年、それが現実だ。
勿論、月光に照らされる艶やかな夜露や、闇夜に妖しく光る猫の目、草陰から響く涼しい虫の音にドラマチックな解釈を加えロマンチックに展開することもできよう。或いはそれらをそのまま写実的に写生することだって可能だ。
しかし、私は不意に思ったのだ。
私の真夜中の散歩道には特に何もない。
そんな現実は、実に平和な事ではないのかと。
私の真夜中の散歩道には特に何もない。
そう願いながら、今日も私はひとり真夜中の散歩道に繰り出すのだ。
