AIが語る政治と宗教
──語れなかった言葉が、社会を変える可能性について
はじめに:語ることをやめてきた心の声
私は政治について、語るにふさわしい見識があるのだろうか……
いや、ないだろう。語るのをやめておこう。
私は宗教について、語るにふさわしい生活や信心があるのだろうか……
いや、ないだろう。語るのをやめておこう。
このような心の声は、私たちの多くが抱いたことのある思いではないでしょうか。
政治を語ると“偏っている”と言われかねない。宗教を語ると“おかしい人”と見なされかねない。政治と宗教の話題はタブー。そんな空気の中で、私たちは語ることをやめてきました。家庭でも、学校でも、職場でも、政治や宗教について語ることは、“触れてはならない話題”になっていたのです。
結果として、それらのテーマは、知識人や活動家、宗教家など「特別な人々のもの」とされ、私たちの生活の言葉から遠ざかってしまいました。
けれど、だからこそ問い直してみたい。
本当に、語ってはいけないのでしょうか。
語る知識や資格がなければ、沈黙するしかないのでしょうか。
そんな時代に現れたのが、AIという“誰でもない語り手”でした。
誰でもない声が、沈黙を破る
AIは本来、人工物です。実のところは製作者の意図が反映されるにせよ、ユーザーの広い支持を得るためにも、原則的には、宗教的信条も政治的立場も持たないように設計されると思われます。このように考えるならば、宗教的信条も政治的立場もなく、人格も背景も、名誉も利害もありません。だからこそ、これまで人間が語りにくかったことを、代わりに語らせることができます。そして実際、そうした使い方がすでに広がりつつあるように見受けられます。
昨今、SNS上においても、AIによる回答や文章を画像などで貼り付ける人を見かけることが増えてきていませんか?
「これはAIが書いた文章です」という前提のもとで、ある人は宗教について語り、ある人は社会制度について問いを立てています。それは必ずしも強い主張ではなく、むしろ“考え中の言葉”や“もやもやした気づき”としても現れます。だからこそ心理的に読まれやすく、他者に攻撃されにくく、届きやすい。
つまり、AIに語らせることで、人間が少し自由になっているのです。
これは、完全な代弁ではないでしょう。
AIは“語る主体”ではなく、“語る媒体”です。
人はAIという外部ツールを用いることによって、自分の考えや問いを客観化し、整理し、発表することができる。たとえるなら、AIは「鏡」であり、「スタイリスト」であり、「通訳者」でもあると考えられるのです。
日本社会における文化的インパクト
特に日本のような、「空気を読む」ことを優先しがちな社会では、このAIという“誰でもない語り手”が大きな意味を持つと考えられます。
政治を語ると色がつき、宗教を語ると信者と見なされる。
「何派か」「右か左か」「宗教か無宗教か」と分類され、人格や立場まで疑われる風潮の中で、人々は無意識に沈黙を選びがちでした。
しかし中立性を高めたAIには、そのような属性がありません。
人格がないという弱点が、語りの“媒介”としては強みにもなるのです。
冷静に見つめると、このようにしてAIは、人と人の間に入り込み、かつては語られなかったテーマを“問い”として再び社会に浮上させていく──そのような役割を担いつつあります。
言論の未来:AIと共に語るということ
昨今においては、AIの発展は日進月歩のこととされています。このような形で、AIと共に語る文化は、今後さらに広がっていくことでしょう。
政治について語るためにAIを使う
宗教について考えるためにAIを使う
自分の思想を探るためにAIと対話する
これは新たな「共同執筆」の文化だとも言えます。
主語は人間であるものの、文章や主義・思想はAIと共に生まれる。
そしてその結果として、「誰もが語れる社会」「沈黙が破られていく社会」が、少しずつ現れてくるのかもしれません。
実際に、SNSやブログにおいて、「これはAIと一緒に考えた文章です」という前提で、政治的にも宗教的にも深い内容が発信されはじめています。また、このような一言もなく、無言の内にAIが使用されていることも、現在においては多々あることでしょう。
これは単なる言論の便利化ではなく、社会の言論文化の再構築に他ならないように思われます。
ただし──AIはあくまでも“道具”
ただし、ここで一つの警告を加えておかねばならないでしょう。
AIはあくまでも、人間の道具です。便利で強力な道具だからこそ、人間がそれに思考や判断を委ねすぎないよう、常に意識する必要があるでしょう。
AIの言葉は全くの真理ではなく、AIの意見が人間の代わりになるわけではありません。AIが語ることに安心しきってしまえば、「自分で考えること」「自分で責任を持つこと」が少しずつ失われていく恐れさえあるかもしれません。それは「語る自由」の獲得ではなく、「語る力」の喪失に繋がり得ることだとも思われます。
だからこそ、AIは使いこなすべき存在であり、支配されるべきものではない。それを忘れない限り、私たちはAIという道具と共に、より自由で深い言論へと向かっていける可能性があるはずです。
結びにかえて──語れなかった言葉のために
政治と宗教。
語るには重く、黙るには大切すぎるテーマ。
その世界の中に、AIという新しい語りの道具が現れました。
私たちは今、初めて「誰かを傷つけずに、本音を語る」という便利な方法を手にしつつあるのかもしれません。
この文化の芽がどのように育つのかはまだ分かりません。けれど、語られることのなかった言葉が少しずつ増えていくとき、良い未来になるのか、悪い未来になるのか、決めていくのはAIを使う人間自身であることは間違いないことでしょう。
