12-1 小説【鏡の中の宝石(仮題)】
リーミアに妄執するヴィーグは彼が彼女を指導していた現役時代の夢を見る。その夢によってこの野蛮人はリーミア奪取を決意し、その熱い気持ちを抱いたまま首都防衛師団クロ・ヴェナヴィル少将の暗殺に出掛ける……
第十二章 送りの儀式
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末弟ヴィーグはアナグマ亭の一室に引きこもって明日の準備に抜かりがないように心を砕いていた。明日は《便所のスリッパの裏側》の中の……彼らに言わせれば……最も濃いエッセンスであるクロ・ヴェナヴィルが連隊葬のために外に出てくる。
そこを長射程の石弩で狙撃するのだ。分解して釣り竿の袋に入れていたものを組み立てるのだが、その際に部品の一つ一つを仔細に確かめ、油を塗り直したり弦の張りを調整したりした。この石弩はヴァイダルにいた熟練の武器専門家に作らせたもので、長さ五十センチの矢を三千メートルほど飛ばすことが出来る非常に強力な特注品である。ヴィーグは訓練を積み、いかなる気象条件でも五百メートル以内であれば確実に獲物を仕留めることが出来るほど熟達した。
この精度は軍隊の狙撃手でも達成していないレベルであり、ヴィーグはヴァイダル時代に敵のボスや治安維持部隊の指揮官をこの石弩で暗殺してきた。今まで保管してきたこの石弩を製作した職人は《南方の閃光作戦》で殺されていたので、この石弩は唯一のもので、二度と製造されることはない。
矢は一本だけ、これまた鏃に猛毒を仕込んだものを用意する。急所の一撃がベストだが、かすり傷でも充分だ。猛毒が少しでも体に入れば三十分以内に死ぬ。
久しぶりの違った殺し方にヴィーグはぞくぞくしていた。それと同時に彼をぞくぞくさせていたのは、ここ数日で、長兄と次兄から離れてリーミアと〝駆け落ち〟する可能性を考え、達成した暁に訪れる日々に心を踊らせていたからである。再びリーミアと一緒になれる。それを考えただけで彼の心は熱い湿り気を帯び、血がどくどくと滾るのだった。
それは暗くて強烈な情念だった。
自分の生きる道はそこしかない。
リーミアのいない人生は無であり、リーミアがいない世界は崩壊してもかまわない。
石弩を組み立て、点検して傍らに置いた彼はベッドに横になって後ろに手を回して、おかしなシミのついた天井を眺めた。そして、薄くキンモクセイの香りが漂う毛布を腹に載せたヴィーグは醜穢な情熱にかられたまま眠りに落ちた。
彼は何度か夢を見た。それは甘美であり、切々たるものでもあった。
彼はリーミアの夢を見たのだ。
それはリーミアに《しごと》を教えた日々の夢だった。
……
ヴィーグは十歳になったリーミアを馬の後ろに乗せ、平原を走っていた。何人かの素質のある子供には《指揮官資格》を持った先輩がついて手ほどきをするのだが、リーミアには本人の強い希望でヴィーグがついていた。将来の幹部、指揮官を育成するための訓練を実施中だったのだ。
現場は、とある村と町を結ぶ東部辺境の幹線から外れた田舎道だった。夜明け直前の、まだ靄が立ちこめる時分で、湿っぽい匂いに満たされた乳色の世界が広がっていた。彼らはその絹のような空気を押しのけながら進んだ。騎馬の夜間行は相当地形や街道の様態を知っていないと出来ないほど危険だったが、辺境一の山賊の大幹部には造作ない。
やがて前方に気配を感じると、ヴィーグは馬の速度を緩めた。昨夜滞在した村で、午後早くにゆっくり出て行った馬車が消えた方角を覚えていて、夜中に追い始めたのが、いま追いついたのだった。幹線にいない馬車を探し当てるとはさすがの鼻のよさだ。
次の町には宵の口には辿り着くのに、のらりくらりしているうちに夜が来てしまい、ここで夜営をしていたらしい。馬車の夜の走行は極めて危険だからそれは正しい判断だったが、計画性がなさすぎた。
そして、いかんせん運がなさ過ぎた。
まだ熊に襲われたほうが対処のしようもあっただろう。
「いいか、一発で仕留めろ。いつも言っているように、とどめを刺すなんて無駄はするな。一撃で殺せ」彼は後ろにしがみついて、無表情のままの少女に声をかけた。
「はい」リーミアは無表情に答えた。
「起こす必要はない。誰でもいい、一人殺せば他の連中はビビって何も出来んからな。手際よく順々に殺すんだ。何も盗らんでいい。俺は手を出さんぞ。行け」
リーミアは猫のように地面に降り立ち、よく研いだ短刀を口にくわえた。馬車の後ろの扉に近づき、取っ手に手を伸ばした時、扉が自動的に開いた。酒臭い息を吐く、頭がぼさぼさの若者が目をこすりながら立っていた。トイレのために出てきたのだろう。
背後は真っ暗だったので、その若者は黒い紙に描かれた人物みたいに見えた。
二日酔いらしい若者は、背が低くて視界に入りにくい彼女より、街道で馬にまたがってこちらを見ている戦士風の男を目に留めた……その瞬間、胸に灼熱の石を差し込まれたような感覚に襲われた。
青年は絶叫を上げた。
心臓を一突きしたとて即死はしない。
頚動脈でも同じことだ。
短時間ながら、自分が死ぬ過程を見ながら死んでいくのだ。
リーミアは男の上着の裾辺りを引っ張って地面に放り出し、中に入った。
師匠は醒めた表情で《弟子》の後ろ姿を見ていたが、彼女が馬車の中に消えたのを見て馬から降りた。地面と馬車の階段を血に染めて横たわっている若者の死体の横を通り過ぎ、開いた扉から中をうかがう。酒と食べ物と体臭でむせ返る湿った空気が鼻を突いた。
『若造の分際で二頭立ての馬車とは贅沢だな。金持ちのガキどものお気楽旅行ってやつか。ま、不運をあの世で嘆くんだな』戸口でヴィーグはそんなことを考えた。
リーミアは中に男二人と女三人がいることに気付いた。この人数を大ぶりの車に乗せれば、二頭立てとは言え牽かされる馬ものろのろとしか進めないだろう。どうやら昨晩は六人の若い男女が入り乱れて大いに楽しんだらしい。
三人ほど身体を起こしていた。
先ほどの叫び声に反応したようだ。
他の二人は相手の皮膚の匂いでも嗅ぐかのように身体を寄せ合って横たわっていた。
「おい、どうしたん……」扉口に立っているのが仲間だと思ったらしく、一番近くにいた男が声を発したが、リーミアは彼が最後まで言い終わらないうちに喉仏の上をこするように、血のついた刃を突き刺した。奥まで差し込み、頚骨に刃の先端が当たると、手首をねじった。男の目が白目にめくれ返り、仰向けに倒れた男は血を噴水のように噴き出しながら、痙攣して死んだ。
リーミアはそのままの動きでその横の男の喉を突き刺した。
一般的に、女より男のほうを残しておくほうがリスクが高いとヴィーグに教わったのだ。
二番目の男と同じように、彼も瞬く間に殺された。
二つの殺人は残った女たちに事の異常さを充分に知らしめたが、ヴィーグの言う通り、彼女たちは何も出来なかった。窓から差し込み始めた夜明けの、妙に鉄っぽい黒さばかりが印象に残る光が照らす車内で、口をぱくぱくさせて、おかしな匂いのする暗い部屋で身動きも取れず、男友達の血を浴びながら、何が起こったのかわからぬまま、腰を抜かしていた。
粗末な麻の服に身を包んだ死神の少女は無表情に、遅滞なく刃をふるった。まず左端の子の前に跪き、頭を優しく撫でるように抱き、耳の後ろと頚骨の筋の間に刃を突き入れて、ねじった。
他の二人にはまるで少女の形をした死に神が友達にキスしたように見えた。彼女はげっぷのような音を立てて眠るように死んだのだ。リーミアは、同じようにもう一人にも《キス》した。その子はぎゅうッといびきのような声を立てて絶息した。
最後の《獲物》は何やら声にならない声を上げながら客室の隅まで後ずさったが、すぐに背中が壁に当たった。短刀を握った少女は三歩ほど彼女に近づき、何にも心配しなくていい、と言っているかのように優しく彼女の頬を触った。
彼女は失禁していた。
目の前が真っ暗になる直前、お漏らしをして母親に叱られた幼少の頃を思い出したのだろうか。彼女には目の前にやってきた玲瓏とさえいえる美しい少女が自分の母親に見えたのかも知れない。彼女は凄絶な恐怖で荒廃してしまった表情を緩めて、甘えるように微笑んだのである。リーミアはその目を覗き込んだ。ほんのちょっとだけ、リーミアの表情が動いた。そんなためらいの後、少女の心臓に斜め下から短刀を差し込んだ。
床に死体を寝かせて立ち上がったリーミアを客室の扉から見ていたヴィーグが迎えた。
「殺し方が詩的すぎらぁ。まあ、おいおい改善するんだな」二人は外に出た。ヴィーグは地面に転がっている最初の犠牲者の身体を馬車の中に放り込んだ。「六十点だ。これでモノを盗んでいたら倍以上の時間がかかっただろうからな。乗れ」
リーミアは彼の後ろに乗って、腰にしがみついた。
彼女は最後に刃を差し込んだ子の目を思い出していた。
短刀を差し込む直前、あの子の目は、おかしな、しかし優しげな輝きが湧き上がっていた。永遠に失われるものに対して別れを告げるかのように、あの子は淡く笑った。今まで彼女が生きてきた中の無数の思い出が湧き出して、混乱した夢を刻んだような微笑だった。
命の灯が突然、まったく突然に消える瞬間に彼女が見せたあの瞳の色は何だったのだろう……それは血のように鮮やかだった。しかしそれはリーミアの刃によってばらばらに砕け散り、この世界から永久に消え去った。
彼女はこの時のヴィーグの《プログラム》から、より一層無表情に、機械的に命令を聞くようになった。生きるためでも死ぬためでもない。何のために何をしているのかを忘れるためだった。
自動人形のように、壊れるまで自ら動き続けるのだ。
そして、わたしを壊すのは、きっと他人がやってくれる、と信じて。
リーミアはヴィーグがこんなことを言うのを聞いていた。ぼんやりと聞いていた。
「お前はいつか《小隊》を率いるようになり、いずれ指揮官になる。そうなるとお前の頭のよさが生きてくる。《同僚》たちの中でお前が一番頭がいい。その時、お前は自分で考え、手下どもに命令を下すんだ。瞬時に誰を殺し、誰を助けるか、大勢の仲間を救うために、仲間の中で誰を殺すかを決めなきゃならん立場になる。いいな。よし、行くぞ」
ヴィーグは成長していくリーミアを、まるで自分の娘の成長のように楽しみにしていた。
殺しの技、盗みの技を手取り足取り教えた。
殴りつけることは絶対にしなかった。
ただ、愛情をもって接し、手ほどきを与えた。
そリーミアにとっては、殴られ怒鳴られ懲罰房に入れら「殺すぞ!」と脅されたほうが精神的に楽だったはずだ。
……
そんなヴィーグは軍隊にヴァイダルを潰された後、猛烈にリーミアを探し求めた。
死んだとは絶対に信じず、狂信者が聖者の遺灰を探し求めるように彼女を求めた。
そして時は来た。
リーミアは生きていて、自分と同じ町にいる。
兄二人とは袂を分かつのだ。彼女との間を裂く者は全て敵なのである。
稀代の大山賊の末弟は夜半に目を覚まし、身体を起こした。
あの兄貴たち二人を出し抜くのは悪魔どもに一泡吹かすより難しいだろう。
しかし念ずれば通ずる、と考えて、まずは目の前の(くそったれな)クロ・ヴェナヴィル狙撃を成功させることを一《いつ》に集中することにした。
12-1 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
次回は7月3日(金)19:00にアップいたいします。
引き続きよしなに願います!
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