コンプレックスではない、けれど
私の母校(中高)は毎年、OGと生徒が話す会を設けている。
生徒の希望進路にあわせて、それに近い人をあてがい、進路選択に役立てようという企画だ。
私は在学時に一回も行ったことはないのだが、卒業してから、OG側として参加しないかと連絡が来るようになった。もちろん、全OGに連絡していて、私はその中のひとり。
私の学校はそこそこな進学校で、私の代だと東大進学者が10人近く出たような、それくらいの学校である。私文組は早慶を目指すのが当たり前だった。賢い人が山ほどいる、金の卵博覧会みたいなところ。
その中で、私は「じゃない方」だった。
賢くない方。運動ができない方。音楽ができない方。絵が上手くない方。唯一、文章を書くのは得意で、読書感想文集には何度か載ったが、それくらいである。それもずば抜けてうまいわけではないので、なんというか、パッとしない子だった。
大学進学は幸運が重なり、悪くない結果にはなったが、上に書いたような早慶に進学したわけではない。そして今は、大企業ではない会社に勤めて、普通の会社員になっている。
そんな私の人生を振り返ってみると、それでも幸せだったのだ。私自身はパッとしないけど、性格の良い友達がいる。自分の中では及第点の大学に入学して、居心地の良いサークルに入る。自分の中で譲れないものを譲らないままで良いと言ってくれた、第一志望の企業に入社する。幸いそこでの人間関係も恵まれた。
別に不満があるわけでも、恥じているわけでもない。
でも、母校から連絡が来るたびに、私はあのイベントには参加できないと思うのだ。未来ある子に私みたいな生き方を見せつけていいんだろうか、という気持ちになる。学歴という意味では、みんなと同じだけのチケットをもらったけれど、みんなが遠い欧米にエコノミークラスで行くのを選んだとしたら、私は国内旅行をファーストクラスで行くのを選んだような生き方。社会的にはきっと得たものを最大限活かしてはいなくて、贅沢に使って、なんならおつりが来るかな?みたいな生き方。
きっと私みたいな、学校の中でパッとしていない子は今もいて、毎年いて、そういう子に私のことを教えたくはなる。こういう生き方もあってそこそこ幸せですよー、案外悪い未来じゃないのよ、って。でもそういう子が大きく羽ばたく可能性があるなら、私みたいな人生なんてまだ知らないでいてよ、と思う。あがいて、もがいた末に、その子の背中に大きな翼が生えるなら、それにつながる道を私が絶ってはいけない。邪魔をしてはいけない。
コンプレックスではないけれど、堂々と母校凱旋はできないな、と私は自分で決めた距離を保ちながら、母校のことを見つめている。
