2026年上半期のベスト記事を振り返るよ!(後編)
半年分の人気記事まとめ、先週に続いて後編をお届けします。これが1000スキオーバーの世界線だぜ…!(※1回しか達成していません、誇張しました)
さっそく続きだよ!
前置きは先週公開した前編に書いてあるので、今回はすぐに本編に入ってしまいましょう。未読の方はまずはこちらからどうぞ。
冒頭に書いたとおり、上半期のベスト記事には合計9記事を選出しています。前編にて5つの記事を紹介済みなので、今回の後編では以下の4記事を見ていくことにします。
心と生き方の話 …… 1記事
インターネットと社会の話 …… 1記事
創作論とnoteの話 …… 2記事
ざっと紹介文を見ていただいて、関心を引かれたものがあったら記事リンクからゆっくり読んでいただけたらなと思います。
前回お届けした前編とトータルで、自選ベストの1位から3位にはメダルの絵文字をつけています。2位🥈は前編に登場済みなので、今回は1位🥇と3位🥉が出てくる形です。
では、お茶とお菓子の準備はよいですか〜? ごゆっくりお楽しみください!
生き方の話
今、メンタルの病気で休職しているあなたへ (5/9) 🥇
自選で1位🥇の記事。スキ数的には、このあと最後に出てくる記事のほうがわずかに多いんですけど、伝えられた内容の大きさとしてはやはりこちらかなって思います。
私は書籍やnoteを書くとき、「書くための材料をかき集める」ということは基本的に行っていません。すべて私自身が過去何十年かの間に学び、経験してきた内容をベースにしており、わざわざ調べなければ書けないようなことは最初から書かないようにしています。
この記事で語った病気の経験は、私自身の「他のどこからも調達できない生の体験」として、私のこれまでの人生で最も大きな重量を持っていると思います。私と同じように、趣味のプログラミングをきっかけにSEを仕事にした人なんていくらでもいるし、趣味の楽器を10年以上続けたという人も別に珍しくはないでしょう。そのような話は他の人でも書けます。
そこで、病気で働けなくなった経験のある人というのも世間にはたくさんいるとは思いますが、少なくともこの記事でお伝えしたメッセージは「自分にしか書けない」と感じました。自分が書かなければならないと感じました。
個別の専門知識やノウハウみたいな話も大事なんですけど、人間の苦悩を「このように考えましょう」「これがベストな対策です」くらいの助言でなんとかできると考えるのは、バケツの水で山火事を消そうとするようなものだと思います。実際、他人にできることなんて何もないし、本人にできることだって何もないような気がするし、火が消えるか消えないかなんてほとんど運次第のようなものです。
それでも、我々は自分の力でできることを自分でやっていかなければならないし、目の前の誰かがそのように苦しんでいるのなら、無力だとわかっていてもじっとしてはいられないのが人間なのではないでしょうか。
予測も制御も不能な災いが降りかかったとき、そこから生きて出てこられるかどうかは「希望を持てたのか、持てなかったのか」に左右される面があるように思います。自然災害から逃げられるかというのは純粋に物理と運の問題ですが、生き延びるために最後まで頭と足を動かし続けられたかというのは意思に属する問題です。そこで走って助かるかどうかは運次第だとしても、必ず言えることとして、足を止めればその人は死にます。
この世で生きることを一種の脱出ゲームと見るなら、この希望や救いというのは「自分以外の人間を求めること」の中にしかないのではないかなと感じます。病気の話からはだいぶ離れているようですが、病気に向き合わなかったら、私はその教訓を得られなかったかもしれません。
インターネットと社会の話
悪者がいないと安心できない人々 - 陰謀論、自己責任論、オートマトン (5/30)
私は技術者から物書きに転じたので、ときどき世間話の中で「理系っぽい分野から正反対の文系っぽい分野に行ってるのが面白いですね」的な感想をもらうことがあります。
noteのフォロワーさん方もご存知のとおり、私は人の心を扱った話を書くことが多いですし、社会について考えることにもそれなりに関心があるのですが、根っこはやはり理系的な世界観で動いてるのかな〜という感じがしますね。この記事を書き上げて、改めてそう感じたのがなんだか面白かったです。
この記事では「法則としての世界」という言葉を出しています。人間の社会で生きていると、何も自分の思いどおりにはならないものですが、「世界はそもそも誰かの意図や意思によって動いている(動かせる)ものではない」という感覚を持っておくと、そこに無用な苛立ちを感じたりすることが減るかもしれません。
もちろん、人間の世界には善意もあれば悪意もあるし、努力次第で変えられることもそれなりにありますが、全部がそうだと思うと思ってしまうと苦しくなります。現実が私たちを苦しめるというより、「現実はこうなっていなければならない」という感情と現実とのギャップが私たちを苦しめるわけですね。
ところで、「書くことによって初めて自分の価値観や判断基準が自覚される」というのはわりとよくあることで、私がよく「とにかく自分の感じたことをそのままに書くのが大事だよ」とお伝えしているのもその点が関係しています。あなたにとっては当たり前の感覚でも、このような長文のnoteにまとめてみると「新鮮な考え方だった」といったリアクションをもらえることもあるかもしれません。
今まで知らなかった他人の世界を知り、今まで知らなかった自分の実態を知ることができるのがnoteの面白さだよなって感じますね。
創作論とnoteの話
芸術の定義(あるいは、あなたは何を叫ばなければならないのか) (12/5)
前編に続き、う○○の話ばかりで本当に申し訳ございません!
さっきの記事の政治の話ではないですが、「この世界はひどいものだ」と感じるのはある意味自然というか、人並みの感受性を持って生きていたら大抵はそうなると思います。「この世界は素晴らしい」としか言ってない人の文章なんて、私も読む気にはならないです。
問題になるのは、我々自身がこういう世界に対してどのようなリアクションを取るかだと思うんですよね。つまらないことばかりだ、嫌なことばかりだというのは実際にそうなので、そこまではいいです。でも、そこに文句を言っているだけでいいのでしょうか。私たちの庭が荒れ果てているなら、それを綺麗に立て直すのもまた、私たち自身の仕事なのではないでしょうか。
私たちの庭がそのように荒廃しているのは、隣人の血走った目をしたエキセントリックじじいが次々とゴミを投げ入れてくるからなのでしょうか。そうかもしれません。一応、それはそれで何らかの防衛手段は必要です。ただ、そうであるとしても、長く地道な庭仕事なしにこの庭が蘇ることはないですし、自分も隣人と同じくらいあたおかになって同じくらいの量のゴミを投げ返してみたところで、この世界全体が以前よりも美しくなるということは絶対にありません。
たまたま最近、作家の二礼樹先生(新潮ミステリー大賞受賞作「リストランテ・ヴァンピーリ」)がこの世界に対する抵抗についてBlueskyに書かれていて、私がそれをリポスト(RP)しつつ共感を示した投稿があります。次のようなものです。
RP 私にとっても書くことは抵抗そのものなんだけど、抵抗っていうのはバナナの皮を投げてくる相手にその50倍のバナナの皮をもって闘おうとするのではなく、単にそこから離れて、それ以外の人々に対して、もっと楽しいこと・素敵なこと・意味のあることを自分の力で示していく動きなんじゃないかなと思っています
— シロイ (@shiroibooks.jp) 2026-06-29T21:54:36.590Z
バナナの皮バトルは何も生み出しませんが、人間はもう少し意味のあるものを生み出せるので やろうとさえすれば
— シロイ (@shiroibooks.jp) 2026-06-29T22:13:38.040Z
芸術とか創造っていうのは、別に大それたものでなくてもいいんです。あなた自身が日々を楽しんで、そこに生じた「肯定的な何か」をささやかな文章やイラストにしてネットに公開したなら、世界はその分だけ以前よりもよいものになります。ネットというものの広大さを思い浮かべると、そんなものはあってもなくても変わらないように感じられるかもしれませんが、客観的な意味での世界全体のことはいったん置いておいて、まずはあなた自身の内的な感覚に注目しましょう。
ちょうど庭の草抜きや掃除と同じで、ここには「できる」という手応えが生まれていると思います。「できた」という実感は「もっとできる」「さらによくしていける」という希望を生みます。「この世界に対して自分は無力ではない」という手応えを得られたとき、あなたはささやかでも意味のある仕事を(職業的な意味でもそうでなくても)前向きに行い始めるでしょう。
無名の個人は暴言によってSNSを汚染することができます。同様に、無名の個人は共感や理解の言葉をSNSに手植えし続けることもできます。ここで、後者のような建設の行為が自分にとって当たり前の習慣になったとき、客観的かつ社会的な意味でも、あなたは現実の世界をよりよくしていく仕事を行う一団に加われたと考えてよいと思います。
私がすべてのnoterさんに求めていること (1/23) 🥉
スキ数を見てもわかるとおり、上半期でいちばんウケた記事です。公開直後から今まで見たことのないペースでコメントが殺到して、私もウケてしまったのを覚えています。ただ、内容的にはやや短く、シロイのnote的にすごく目新しい話を書いたわけではないので、自選ベストとしては3位🥉としました。
AIブームに関しては「マジで何なんだ」という感覚がずっと抜けません。AIって何を投げかけても「本質的な質問です」みたいなお世辞を返すところがあると思うんですけど、ああいうのでユーザを依存させるのって倫理的に問題ありすぎるんじゃないかなあ…。その場その場のハルシネーションが完全には防げない問題とは違って、あれは学習された傾向(その場その場の偶然ではない性質)として認識されていないはずがないですからね。
っていきなり脱線してしまいましたが、この記事は去年あたりから多くの人々が感じているであろう「AI出力の文章をまるごとnoteにするのをやめろ」という苦情をベースにしています。私が書籍やnoteで「主観と客観」という観点をよく持ち出していますが、あなたの文章をあなたの文章にしているのはあなた自身の主観です。主観の含まれない文章ほどつまらないものはないです。
当たり前の話として、これは客観的な事実を歪めてよいとか無視してよいという意味ではないです。何人かがテーブルで向き合うとき、みんなが囲んでいるテーブル上の事実は事実として一つです。それでも、目の前の何に注目して、どういうふうにそれを面白がるかというのはそれぞれに異なります。「喫茶店の水」という写真集がありますが、これは何の特別な素材もなく、変な加工や誇張(いわゆる「盛る」こと)も行わずとも面白い表現はできるということの好例だと思います。
ウケ狙いで盛られた文章というのも、やはり相当つまらないものになるので、「自分が面白いと感じることをそのまま出す」というのはそれなりに技術を要することです。純粋な文章力だけでなくて、「ウケなくても自分が面白いと感じるのは変わらないから別にいいよ」といったある種の自信の感覚、バランス感覚が必要になってきます。
まあ、それは書いてるうちに慣れていくことです。とにかく、自分の思ったことを書きましょう。自分で思ってもいないことを書くのは本当に意味がないです。それじゃAIと同レベルですよ。あなたが実際に見たこと、実際に感じたことを書いてください。
この世に人間はめちゃくちゃいっぱいいるので、まず間違いなく、あなたの感性を面白いと感じてくれる人が複数現れるはずです。本当の自分を受け入れてもらえるのは本当の自分を出したときだけです。だからそれを出してください。
おしまい!
以上、前編の5記事と合わせて、9つの上半期ベスト記事をご紹介しました! 何か得るものがあったと感じていただけたら嬉しいなと思います。
こうして上半期を改めて振り返ってみると、社会が抱える課題に目を向けた記事が意外と多かったなと感じます。私はだいぶ個人主義的なスタンスで生きているのですが、年齢が上がってくるともう自分のことはわりとどうでもいいというか、自分以外の人間にどういうバトンを渡せるのかということを考えるようになってきている気がします。普通に子育てしてるくらいの世代だったらそれも自然の本能なのかもしれませんね。
下半期ももっと面白くてためになる記事をお届けしていきたいなと思っています。引き続き、シロイのnoteをよろしくお願いいたします。
では、またの〜♪(しらたむさんのいつもの挨拶を拝借)
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