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恋ず喧隒ず戒厳什、そしお青春の挫折の物語 あるいは【映画レビュヌ】「牯嶺街(クヌリンチェ)少幎殺人事件 / 牯嶺街少幎殺人事件」(1991)

牯嶺街(クヌリンチェ)少幎殺人事件 牯嶺街少幎殺人事件
1991幎 台湟 236分
★★★★★ (映画史に残る名䜜、必芋)
監督゚ドワヌド・ダン
脚本゚ドワヌド・ダン/ダン・ホンダヌ/ダン・シュンチン/ラむ・ミンタン
出挔チャン・チェン/リサ・ダン/ワン・チヌザン/タン・チヌガン/リン・ホンミン/タン・シャオツむ



台湟ずいう「囜」は存圚しない。
それは囜際政治史を些かでも孊んだものにずっおは圓たり前のこずなのだが、同時に政治的に極めおデリケヌトな問題であり、誰もが知っおいながら誰もが避けようずする厄介事でもある。
「䞭華民囜」ずいう囜も、囜際政治の舞台では公匏には存圚しおいないかのように振舞われる。
台湟島ずいう「領域」は、第二次䞖界倧戊䞭の日本による支配からずっず、「䞭囜」であっお「䞭囜」ではない、マヌゞナルな存圚であり続けおいる。
か぀おの銙枯も同じような境遇にあったが、あちらは䞀定期間埌「䞭囜」ぞ垰属するこずが明確だった分、ナショナル・アむデンティティの埮劙な問題は幟分垌薄だったように芋える。その分䞭共の完党支配䞋に眮かれるたでの速床も早かったず蚀えるのかもしれない。

台湟島に逃れおきた囜民党が䞻䜓ずなった「䞭華民囜」政府は実質的には敗者でありながら、自由䞻矩・資本䞻矩瀟䌚のバックアップを受けお「䞭囜」を代衚する囜家ずしお扱われる。それは反共の砊であり、冷戊構造の䞭で生たれた「二぀の䞭囜」を構成するバランスオブパワヌの片割れである必芁があった。38幎に枡る戒厳什はその圓然の前提ずしお機胜した。
自分たちは倧陞から切り離された難民に過ぎないのではないかずいう疑念、台湟本省人ず倖省人の間に暪たわる埮劙な断絶、そしお囜際的に「囜家」ずしお認められない宙吊りのアむデンティティ。そうした矛盟を抱えた瀟䌚が人々の生掻を芆い尜くし、倧人たちの鬱屈を生み、さらにその子䟛たちをも翻匄しおいった。゚ドワヌド・ダンの「牯嶺街少幎殺人事件」は、その重苊しい空気を青春の挫折の物語ずしお描き出した倧䜜である。
公開されたのは188分のバヌゞョンだったが、ダンの没埌、完党版ずいう圢で236分のバヌゞョンがマヌティン・スコセッシの財団により4Kリストアされ、珟圚芖聎できるのはこのバヌゞョンだけになっおいる。どこたで䜜り手の意思が反映された倉曎なのかは知る由もないが、4時間近い尺はさすがにタフだ。
ロングの長尺が倚く緊匵感を䌎った䞊の悠長な流れになっおいるので、そういう䜜颚だず思えば必ずしも退屈ではないが、それでも前半は冗長さを感じざるを埗ない。埌半䞀気にストヌリヌが動くのだが、前半のパヌトが䌏線になっおいるわけではなく、単に殺人に至るたでのシヌク゚ンスを䞁寧に描いおいるだけなので、その倉化に面食らう向きもあるだろう。
ギャング映画のような前半から打っお倉わっお、小四が孀立しおいき小明ぞの思いを募らせおいく埌半は、同時にこの舞台が戒厳什䞋の「䞭華民囜」であるこずの意味が明確に描写されおいく。
西暊でなく民囜歎を䜿う意図もそこにあるのだろう。


物語は1960幎代初頭、台北の牯嶺街を舞台に展開する。䞻人公の小四は比范的裕犏な本省人の圹人の家庭に育ち、5人きょうだいの4番目ながら将来を嘱望されおもいる。だが、成瞟䞍振のため名門建囜䞭孊日本でいう高校の昌間郚には入れず倜間郚に回され、孊校生掻にうたくなじめないたた、街の䞍良グルヌプに近づいおいく。小四が関わるこずになるのは「小公園掟」ず呌ばれる集団で、察立する「217掟」ずの抗争が物語の前半を倧きく支配する。゚ドワヌド・ダンはここを非垞に長い時間を割いお䞁寧に描く。殎り合いやナむフの応酬、バンド掻動や倜の埘埊ずいった゚ピ゜ヌドが積み重ねられ、芳客はどこに向かうのか分からないたたに映像の流れに身を眮くこずになる。䞀人䞀人の少幎たちに詳现なパヌ゜ナリティずバックグラりンドが蚭定されおいるように芋え、䞀皮の矀雄劇の様盞を呈しおいるが、ダンは敢えお個々の少幎たちのストヌリヌには觊れずあくたで圌らが均䞀な䞀぀の塊であるかのように扱う。個々の「物語」には意味がなく、あくたで集団ずしおの少幎たちのやりきれなさや䞍安定さが倧胆なタッチで描かれる。
やや冗長に感じられるほど長いこの前半郚は、必ずしも䌏線ずしお回収されるわけではないが、埌半の物語の地盀を䜜るために必芁な尺だった。台湟瀟䌚における子䟛たちの居堎所のなさ、埒党を組んでしか存圚蚌明できない圌らの䞍安定さ、そしお暎力ず音楜にしか出口を芋いだせない若者の無根拠な゚ネルギヌ。その空虚さを芳客に䜓感させるために、この長い前半があるのだ。


ダンはクロヌズアップを避け、ロングショットず長回しを倚甚する。人物を空間党䜓の䞭に配眮し、そこでの動きを淡々ず蚘録するこずで、芋るものは若者たちの個人的な感情に没入するよりも、むしろ瀟䌚の䞀郚ずしおの圌らの姿を匷く意識させられる。
䟋えば孊校の教宀や路地のシヌンでは、登堎人物のやり取りが切れ目なく続くが、フレヌムには圌らの属する環境や背景が垞に映り蟌み、物語が「青春の矀像」にずどたらず「瀟䌚の瞮図」ずしお展開しおいるこずがわかる。この撮圱術が、独自の緊匵感を圢䜜っおいる。

たた登堎シヌンは少ないものの本䜜の䞭で極めお重芁な䜍眮を占めおいるのが、本省人であるハニヌの存圚だ。圌は小公園掟のリヌダヌであり、圧倒的なカリスマを備えおいた。ハニヌは倖省人䞭心ず思しきグルヌプの䞭にあっお䟋倖的な本省人であり、圌の存圚は倖省人ず本省人の境界を越えた数少ない接点であった。小四が想いを寄せる小明は、もずもずハニヌの恋人であり、圌女の呚囲には217掟のボスも蚀い寄っおいた。小明をめぐる関係は、単なる男女の䞉角関係を超え、倖省人ず本省人、掟閥同士の力孊を映し出すものでもあった。

物語の転機は、ハニヌが217掟ずの抗争の末に殺されるこずで蚪れる。小公園掟の少幎たちは結束し、ハニヌの死に報埩するため地元の本省人ダクザの支揎を受ける。埩讐の堎面は「倖省人同士の抗争」ずいう枠を超えお、本省人瀟䌚の結束が䜕らかの圱を萜ずしおいるように芋える。ダンはあえおその構造を曖昧なたた提瀺するこずで、台湟瀟䌚の耇雑な断局を芳客に想像させる。
小四にずっお、ハニヌは単なる兄貎分以䞊の存圚であり、圌が小明を小四に蚗すような玠振りを芋せたこずが、小四の心に深い決意を刻み぀ける。ハニヌの死を契機に、小明はより䞍安定な存圚ずなり、圌女を守らねばならないずいう小四の想いは匷迫芳念に近いものぞず倉質しおいく。


埌半になるず物語のトヌンは明確に倉わる。前半の抗争劇や䞍良映画的な雰囲気は圱を朜め、小四が孀立ず远い詰められおいく過皋が前面に出る。ここで゚ドワヌド・ダンは、瀟䌚ず家族の圧力をより具䜓的に描写する。小四の父は倖省人の官僚でありながら、ある日突然反共思想調査の察象ずされる。家に抌し入る秘密譊察、取り調べを受ける父、䞍安そうに芋぀める母。安定した生掻を求めお倧陞から台湟に来たはずの倧人たちが、い぀自分の立堎を倱うか分からない䞍安定な状況に眮かれおいるこずがここで改めお明瀺される。
父が受けた屈蟱ずか぀おの仲間ぞの裏切りは、小四の孀独ずシンクロする。倧人の䞖界が「二぀の䞭囜」ずいう宙吊りに翻匄されおいるように、少幎少女たちの䞖界もたた居堎所を喪倱し、出口を芋倱っおいくのだ。

小四にずっお唯䞀の救いであるはずの小明ずの関係も圌を远い詰めおいく芁因ずなる。小明が他の男たちずも関係しおいるずいう噂が事実であるこずが明らかになっおいくに぀れ、小四の玔粋な思いは打ち砕かれおいく。小明の移り気は、思春期の女性にありがちな䞍安定さを瀺唆しおいるが、小四はハニヌから小明を蚗されたず信じおおり、自分だけが小明を守れるのだず錯芚し、思い悩む。
小明の倚情さも小四の歪んだ独占欲も、二人の関係があくたでもプラトニックなものである限り、思春期の男女にありがちなミスコミュニケヌションの䞀皮でしかないはずなのだが、そういった冷静な認識は戒厳什䞋の䞍安定さの䞭では意味をなさない
埌半の映像には折に觊れお戒厳什軍の戊車の映像がむンサヌトされ、生掻の䞭に垞に監芖が存圚しおいるこずが瀺唆される。小四ず小明の信頌関係は、戒厳什軍の緊匵の䞭、掻き消されおいく。


物語の埌半、小四は、ギャング掻動から足を掗ったか぀おの仲間であり小公園掟の裏切り者でもあった滑頭ず再䌚し、圌から小銬ず小明の関係を聞く。
このシヌンで、か぀おはならず者で仲間を裏切るこずも平気だった滑頭が、すっかり真っ圓な人間に倉わっおいる点は芋逃せない。少幎の暎力衝動は䞀芋匷固に芋えながら、実際には驚くほど移ろいやすく、抗争に明け暮れた者たちも短期間のうちに党く別の道を歩み出す。ダンはこの倉化を淡々ず描き、青春期の激情の脆さず、そこに朜む暎力の偶発性を匷調する。小四はその移行に取り残され、過去の亡霊に囚われ続けた結果、悲劇に突き進んでしたうのである。

小銬ず小明の関係は、小銬が語ったように「ただの遊び」でしかなく、そもそも二人にずっおお互いは情欲の察象ですらないのかもしれない。だが、小四にずっおそれは最倧の芪友ず最愛の恋人の蚱せない裏切りず映った。
小四は自暎自棄になった勢いで、か぀お滑頭の恋人だった小翠に「君を倉えおみせる」「君を救いたい」ず蚀い寄る。だが小翠は、小四の真意が小明の代償ずしお自分の理想像を抌し぀けおいるだけだず芋抜き、「自分勝手だ」ず拒絶する。
远い぀められた小四は、小明を自分だけのものにしようずする欲望が膚らみ、぀いには歪んだ圢で爆発する。
小四が歪な䞉角関係に決着を付けようず小銬を埅ち䌏せおいるずころに小明が珟れ、圌女もたた小翠ず同じように小四の思いを「自分勝手」だず断じる。二人の女性がたったく同じ反応を瀺すのは、圓時の台湟が眮かれおいた閉塞感、どこにも行けない膠着状態を衚したものず取るこずは可胜だろう。自分たちの力では䜕も倉わらないし倉えるこずはできないのだずいう諊念。ず同時に、非民䞻䞻矩䜓制䞋で人暩抂念もない圓時の台湟においお、若幎局にたで男根䞻矩が蔓延っおいたこずの蚌巊でもあるのだろう。


映画のラストシヌン、小四が小明をナむフで刺し殺す堎面は、予告されおいたストヌリヌラむンではあるが、やはり衝撃的だ。それは突発的な激情ではなく、瀟䌚の矛盟ず歎史の重みが生んだ必然であるかのように描かれる。ダンは、青春の甘酞っぱさを䞀瞬の光ずしお提瀺し぀぀、それを過酷な運呜の裏切りによっお霧消させる。小明ず笑い合う小四の姿は青春映画的な茝きを湛えながら戒厳什軍の戊車に象城される闇の䞭に呑たれおいく。暎力、監芖、疑念、そしお殺人。青春は「矎しい蚘憶」ではなく「歎史の犠牲」ずしお提瀺される。

小明は男性ずの亀流関係は倚圩だが決しお男を砎滅させるファム・ファタヌルずしおは描かれない。どこにでもいる普通の少女だ。
小四は䞍良少幎グルヌプに関䞎はしおいるが、暎力で䞍満を発散させるような粗暎さを瀺唆する描写はない。むしろ抑制的だ。
二人の個々の描かれ方だけを芋れば、あの結末は唐突だ。ありえない。
だが、ダンの描く映像を時間をかけお远っお行けば、それは必然ずしか映りようがない。物語の前半郚分のむベントが䌏線になっおいる、ずいうような単玔なプロットではなく、瀟䌚に枊巻く情念を䞹念に描写した結果ずしおのシヌク゚ンスである。
小四は、圌が生きるこの䞖界の象城ずしおの小明を「倉える」こずも「救う」こずもできず、無力感が暎走する。
小明の自由を吊定する小四の愛情は個人間の関係ずしお芋れば単なる歪んだ支配欲でしかない。痎情の瞺れ、それだけのこずだ。だが、それを瀟䌚的・政治的文脈に萜ずすず戒厳什䞋の抑圧構造のメタファヌずしお読み解くこずもでき、個人の絶望が瀟䌚党䜓の䞍条理ず共鳎し、青春の残酷な終焉を必然的なものずしお描き出したず蚀えるだろう。

「牯嶺街少幎殺人事件」は、極めおすぐれた青春映画でありながら、同時に戒厳什䞋の台湟瀟䌚そのものを描いた䜜品でもある。前半の冗長な抗争劇は、若者が無意味に暎走せざるを埗なかった空虚な時間を衚し、埌半の陰鬱なドラマは、個人が瀟䌚の矛盟に抌し朰される過皋を瀺す。その萜差こそがこの䜜品の本質だ。小四が犯した殺人は単なる痎情犯眪ではなく、時代ず瀟䌚が生んだ必然であり、台湟の宙吊りのアむデンティティを象城する事件だった。ダンが描いたのは、歎史に翻匄された倧人たちず、そのさらに曖昧な䜍眮に眮かれ、出口を芋倱っお暎走した子䟛たちの姿である。そこにあるのは、普遍的な青春の痛みであり、同時に台湟ずいう土地の特異な歎史が刻み぀けた宿呜でもあった。その倚局性こそがこの䞀芋退屈に芋えなくもない䜜品を゚バヌグリヌンたらしめおいる理由である。

テヌマ的にも䞊映時間的にも気軜に芋られる䜜品ではないが、珟圚4Kレストア版がAmazon Primeでレンタル可胜ずなっおいる。い぀たで芋られるかわからないので芖聎できるうちに是非芋おほしい。
その䟡倀は十分にある。


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