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『世界の土偶を読む』を読む――竹倉土偶論に考古学はどう向き合えるか(第1回)

『土偶を読む』から早4年……待望の続編である『世界の土偶を読む』が刊行された

考古学の世界に激震をもたらした『土偶を読む』の続編『世界の土偶を読む』(いずれも竹倉史人著、晶文社)が刊行されました。賛否両論を巻き起こした竹倉土偶論をめぐり、考古学全体に関する理論的・実務的な広範囲の領域をカバーする中園聡さん、認知考古学が専門の平川ひろみさん、遺跡発掘等の3D化及び考古学におけるデジタル化、考古学の理論化のエキスパートである野口淳さんの御三方と『土偶を読む』シリーズの担当編集者が語り合う座談会が開催されました。白熱した討論の様子を全4回に分けてお届けいたします。(第1回)

――はじめまして、晶文社編集部の江坂と申します。なぜ裏方の編集者がのこのこ出張ってきて、考古学者の先生方とお話しさせていただくことになったかということについて、少し経緯と背景をお伝えできればと思います。

まず、2021年に竹倉史人さんによる『土偶を読む』が刊行されました。刊行前からたまたま動いていたNHKさんによる取材の放映日と本書の発売日が前後したことで、いきなり話題になってしまったということもありますが、店頭に並ぶや否や大きな話題となりました。もちろんその話題の中には賛同する声と、それ以上のバッシングに近い声とがあったわけです。

それらに対して自分としては、これまで表立っては反論や対論してきませんでした。晶文社という版元に対してもそうですが、相当に酷い言われようもあったわけですが。しかし、今回その続編である『世界の土偶を読む』が無事刊行され、前回はスタイルや紙幅の面から削らざるを得なかった部分を補完し、新しい発見と理論の構築がかなったことで、いま一度、『土偶を読む』の名付け親として、色々と考えてきたことについて、専門家の先生方に投げかけてみたい、ということがこのたびの発端となります。

今回お招きさせていただいた三人の先生方は、私見ですが、『土偶を読む』シリーズに対して、最もクリティカルな批判を投げかけられてきている方々です。

またそれだけではなく、考古学的知見、またそれにとどまらず科学的知見、人文学的知見に関わる重要なお話を常々されている方々でもあり、この機会に乗じて、先生方の取り組みの一端が世に広まれば、という意図もあります。

中園聡先生におかれましては、考古学全体に関する理論的・実務的な広範囲の領域をカバーされており、平川ひろみ先生におかれては、特に認知考古学に関わる領域を、野口淳先生におかれては遺跡発掘等の3D化及び考古学におけるデジタル化、考古学の理論化についてエキスパートでいらっしゃいます。

対話の中で随時そうした知見についてもうかがいつつ、最終的にはこれからの考古学あるいは人文知がどのように変貌し、開けていくのかについても語っていただけたらと願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

中園平川野口:よろしくお願いします。

▼竹倉土偶論について「学術的に決着がついた」と言えるのか?

――さて、なぜこのタイミングでこうした座談会を開催しなくては、と思い至ったかと言いますと、大きな二つの契機がございました。

一つは、『世界の土偶を読む』ができたことで、仮想「論敵」である縄文研究の大家でいらっしゃる山田康弘先生に竹倉さんとの公開対談をオファーしたんです。山田先生としては、そうした書籍のプロモーションに関わることには乗れないというお話で、それはそうだなと思ったのですが、そのお返事の中で「本件については、すでに『土偶を読むを読む』で学術的な決着がついている」と書かれていたのです。

それを見て、「?」とはてなマークが頭に浮かびました。

山田先生は非常にスペシャルな学術研究者であり、相当に「手ごわい」相手でもあるのは承知しており、学問の世界を生き抜いてこられた方だと尊敬しているのですが、どうしてもこの一文が理解できませんでした。

というのは、『土偶を読むを読む』(以下『読む読む』と略させていただきます)の中で、山田先生は『土偶を読む』を学術書とは認めない、とおっしゃっておりました。学術書とは認めていない本に相対する非学術書である『読む読む』をもってして、「学術的な決着がついた」とは、一体どういうことかと。学者ではない(アカデミズムに属していていない)在野の縄文ファンである縄文ZINEこと望月昭秀さんが書いた、学術形式に則っていない非論文=一般書に書かれている内容が「学術的な決着をもたらす」ことがあるのだろうか……?と混乱してしまったんです。

あくまで『読む読む』は売れることを目的とした「商品」です。もちろん『土偶を読む』シリーズも商品で、たくさん売れることを(版元としては)企図して、製作しています。おかげさまで多くの方に読まれて、とても版元としてはありがたいわけですが(笑)。商業のために作るのでなければ、あえてタイトルやカバーデザインを『土偶を読む』に寄せる必要はないわけです。ではなぜそうしたのかというと、それにより多くの人に注目してもらおうという意図があるわけですね。

それ自体は悪いことではないですし、商業的な野心があってのことなので否定はしませんが、それと学術的かどうかはまったく関係ないことだと思います。また著者陣に学者がいるかどうかも学術書であるかどうかに関係ないですよね。

中園:なるほど。

――もう一つ、気になっていることとして、『読む読む』の刊行においては大きな陥穽があって、どういうことかというと、完全なルサンチマン構造にはまってしまっている、ということなんです。つまり、「『読む読む』は『土偶を読む』がないと存在できなかった書物」であり、「『土偶を読む』を否定することでしか存在しえない書物」でもあるんですよね。これは非常に残念なことだと思います。『読む読む』は個人的には非常に面白く拝読したので、竹倉論の否定をする前に、つまり竹倉論に先んじて「土偶の正体」を解き明かすこともできたのではないか、と考えてしまいました。

さて、話を少し戻しまして、大きな契機の内のもう一つですが、考古学関連の方々が『土偶を読む』の見解を批判するときに、大上段に構えられるのが「この論考には考古学にとって絶対に欠かすことのできない「編年・型式」研究がまったく見られない。よって、この論考を考古学としてまともに取り扱うことはできない」というコメントです。

前提として、私の背景をお伝えしておきますと、大学院では古代インド哲学・論理学と、現代の論理学と分析哲学を(薄く)修士ぐらいまでかじった程度でアカデミズムとは接しておりました。個人的に文化人類学と民俗学の領域も興味はありましたが、考古学についての学問的知識や背景というのは、まったくありませんでした。

それで、バッシングの後になって、「なるほど、編年や型式というものがあって、土偶研究には必須なのだな」と思い調べてみたのです。

『読む読む』での望月さんによる反論の論拠としても「編年・型式学的研究を参照していない」ということがメインの一つとしてありました。ということは、逆に「編年・型式学的研究による土偶の正体の探究=モチーフの措定」がたくさん行われているのだろうと思ったんです。しかし……なぜか、そうした研究はほとんどありませんでした。

ここで、あれ、おかしいなと思いました。編年・型式学的研究が土偶の正体を探るのに必要なのであれば(絶対条件)、それに基づいて「正体の解明」が行われていて当然です。しかし、そのような研究は見当たらない。

「縄文土偶のはなし――土偶とは一体何なのか」というタイトルの講演会を行っていらっしゃる、まさに「土偶の正体」を研究されている原田昌幸さんによる論文「土偶の多種多様な形態と型式・編年研究」がそれにあたると思われますが、私が読んだ限り、モチーフ推定は行われておらず、かつ明確に土偶の正体が明らかにされてもいませんでした。

と言いますか、私の読解力にも問題があると思うのですが、正直、本論文が何を目指してどのような研究を行おうとしているのか、よくわからなかったのです。間違っていたら訂正いただきたいと思うのですが、原田さんの研究の主眼としては、「最初の土偶から、すべての土偶が連続的に派生して、変化していって、全部がつながっている」ということに思えたのですが(縦軸・横軸ということでいえば、それはまさに編年・型式学的研究と言えると思いますが)、そんなことってあり得るのでしょうか? 直感的にはすべての土偶がつながっているとはとうてい思えないですし、そこだけを見ると、土偶を分類し、それぞれのタイプに合致するモチーフを推定するというシンプルな竹倉論と比べても相当な飛躍があるように思えました。

平川先生が以前、型式学に関して「年代的に土偶に変化があるように見えたとして、それが連続していると明確に、絶対的に言えるかというとおそらく言えないだろう」という趣旨の投稿をXにされていたように思いますが、まったく同じ見解です。あくまで後から発見されているものだけを見て、そこに連続性を当てはめてしまうのは、非常に危険なことではないかと思います。

また、野口先生も、Xの投稿で「竹倉論の反駁に編年や型式学を持ち出すのは、(彼がそれを論理の基盤として採用していない以上)非常に不利だし、悪手では」ということもおっしゃっていたかと思います。

野口:たしかに。

――つまり、「土偶の正体を探る=モチーフ推定」と「編年・型式学的研究」は違うカテゴリーの話である、ということなのではないでしょうか。ざっくり言うと、関係ない。編年・型式学的研究がモチーフ推定を支える可能性はあっても、モチーフ推定にとって編年・型式学的研究は必須ではない。逆に、編年・型式学的研究からはモチーフを推定できない(原理的にも)。ゆえに、関係がない。関係ないものを担保にして、ある立論が誤っていると論じることはできない。しかし、それが行われてしまっているのが『読む読む』なんだなと思いました。

先ほどの野口先生のご指摘通り、この論争に「編年・型式学的研究」を持ち込むのはウィークポイントをさらすに等しい行為です。本当は、「編年・型式学的研究」の不備をもって竹倉論を反駁することはできないのに、それを最大の論拠(の一つ)として『読む読む』が成立している。

紙幅からいっても『読む読む』のほとんどが望月さんの分析であり、主張であり、その部分をもって『土偶を読む』への反論である、とうたっているわけですが……、これ、プロパーの考古学者の方であれば、「それは無理」だってわかっていると思うのです。

つまり、編年や型式学から土偶の正体やモチーフを推定することは、カテゴリーミステイクだから無理だと最初から分かっているのにかかわらず、望月さんに「考古学からの反論」という錦の御旗を持たせて、書籍執筆を後押しし、あまつさえそれを学術的な反論と言ってしまうのは、完全に欺瞞ですし、望月さんにとってとても失礼なことなんじゃないかと思ったのです。誰かちゃんと望月さんに指摘してあげる人はいなかったのか。おそらく、本日集まっていただいた皆さんが刊行前に望月さんの執筆箇所を見ることになったとしたら、間違いなくそこに気づくと思うのです。そのレベルのお話が放置されたままになっている。

これは非常に問題というか闇が深いのでは……と思ったんですね。

というのが、大変長くなりましたが、本日ご相談したいことの前提となります(笑)。

    ◇

それで、まず、野口先生におうかがいしたいのは、さまざまな意見が表出していた当時、野口先生が望月さんに「なぜ望月さんが考古学界を背負うかたちで『読む読む』を担っているのか」、ということについて直接疑問を投げかけられていたと思うのですが、そのあたりの背景からお話しいただけますでしょうか。

野口:今、江坂さんからは、かなり率直なお話をいただいたので、私たちも率直に応答するのが礼儀かなと思います。土偶の正体あるいはモチーフについて、もう正面に立って議論ができないことは、まともな考古学者は認識しているんです。まさに考古学が解明できていないとしか言えないことなので。だから正面には立ちたくない。その状況で望月さんがSNSで先陣を切ってくれたので、じゃあ彼を前に立てて、後ろから援護射撃しようというスタンスなのだろう、というようにしか思えないんですよね。

――なるほど。

野口:たとえば、『読む読む』にも寄稿されている高橋健さん(白鳥兄弟)。彼は、論旨としては、望月さん支持ではありますが、その中で改めて土偶の研究史をまとめ直して、いろいろ分析をされていて、当然、竹倉本だけではなくて、既存の考古学の問題点も指摘されています。冷静にいけば、皆がそういうスタンスになるはずなのですが、それを突き詰めていくと、結局、考古学側は反論・反撃ができないことになってしまう。そういう意味でも正面に立たないということになるのかな。先ほど冒頭のお話にもありました、山田先生が「もう結論は出ているから、これ以上やる必要はない」と話されたというのも同じことかなと思います。

▼なぜ、竹倉土偶論だけが叩かれるのか――邪馬台国論争と比較してみる

――中園先生は、刊行時、かなり積極的に『読む』を推してくれていたと記憶しております。今回の座談会のために関連する投稿をまとめてみたのですが、中園先生の熱を帯びた文章を拝読するに非常に感激いたしました(笑)。

そのまとめの中でも繰り返し、「なぜ他にもとんでもない本が出ているのに、竹倉本だけがここまで叩かれるのか。よくわからない」とコメントされていたのが印象的です。考古学界の中からも突拍子もないというか、かなりの飛躍がある論や本がこれまでにもたくさん出ていた。それらは公に叩かれずに、『読む』だけが叩かれる構図があると。これについてはいかがでしょうか。

中園:まさにいまおっしゃった通りで、一連の動きで本当に不思議に思ったのがそこなんです。真意からの発言なのですが、竹倉本だけがなぜこれほど取り上げられたのか、ということと、なぜそこまで強く反応するのか、ということも含めて非常に不思議なことだと思うのです。

というのは、土偶だけでなく、その他の縄文の不思議で禍々しい文様が付いた土器などもたくさんあるのですが、それらについての解釈はこれまでにも様々な分野の方によって多様に行われてきました。

ちょっと角度を変えると、もしかするとこの構図がより見えてくるかもしれません。たとえば、邪馬台国に関する論争というのは昭和40(1965)年代から盛んになりましたよね。邪馬台国について専門家も素人も皆を巻き込んで、全国的に大きな話題、ブームになったわけです。

この話のきっかけが少し特殊というか面白い。宮崎康平さんという作家が書かれた『まぼろしの邪馬台国』(講談社、1967年)が火付け役になっている。考古学の専門家じゃないんです。内容は、自らの故郷である九州は長崎県の島原に邪馬台国があった、というもの。考古学者もまさか、と思うわけですが、そこに松本清張さんなどさまざまな方が参入してきて、そのうちに「うちの裏山に卑弥呼の墓があります」みたいな主張をする古代史ファンまで出てくるようになって、どんどん話が膨らんでいった。

この時、考古学はどうしていたかというと、「そんな眉唾な話、学問的に認められない」と切り捨てたり否定に躍起になったりするのではなく、世情を利用する形で、遺跡の保存を行ってきたんです。破壊を前提に調査されていた佐賀県の吉野ヶ里遺跡が保存されたのも、邪馬台国や卑弥呼との関連をにおわせてマスコミや市民の関心をひく戦術が功を奏したところがあるようで、その一環といえるでしょうね。ブームにうまく乗りつつ、それを生かして足場を固めたといいますか、ある程度の騒ぎやとっぴな論を許容しつつ、(内心は邪馬台国ではないと思っていても)緊急避難的にそれを利用することで、大事なところを抑えていくという一種の余裕があったように思うんです。これは、弥生時代に限らず他の時代でも似たところがあるかと。

世代的には、縄文では小林達雄先生、弥生では佐原眞先生のような、あるいはもう少し上の方々を含みますが、そうした世代が引っ張っていった80~90年代までは考古学も考古学者も、良くも悪くも懐が広かったんですね。しかし、最近はそこがどうも狭量になっているように感じられます。

山田(康弘)さんは私と近い年代ですが、われわれの世代の全体的な特徴は、研究の枠組みも固定化して主要な学説が出揃う頃に学生だったせいか、そうした日本考古学の急成長時代に各分野をリードした偉い先生たちの学問的枠組みや学説にどちらかというと付き従う、あるいはそれを継承・発展させることに価値を置くようなところがあって、パラダイムを変えることには積極的ではない。そうした世代がいま考古学界の中心になっています。

――自らの師あるいは先行する研究者に対して、そこから離れてオリジナリティを発揮しようとするのではなく、どちらかというとそこに追従していくという雰囲気なのでしょうか。

中園:そうですね。そうした先生たちの世代の開拓精神と比べると、全体に劣る気がしています。これは私たちの後の世代にも継承されていて、おとなしさが増しているようにも感じています。ただ私などはどちらかというと付き従わなかったほうなので、だいぶいじめられたタイプです(笑)。

――中園先生が特殊ということなのでしょうか。

中園:特殊ですね(笑)。でなければ、あまりこういう場に来ないでしょうね。しかも大学に籍がある人間が……。

――火中の栗を拾いに行かない。

中園:危険なことだし、下品とされることだし、駄目なんですよ。そういうこともあって、私などは冷遇されてきたわけですが。

それで、話を戻すと、邪馬台国論争などと比較してみても、『読む』だけが取り上げられて大騒ぎになったということが非常に面白い現象だなと思っています。むしろ、いずれきちんと、このことがどういう現象だったのかを冷静に分析してみる必要があるのではないかと考えています。考古学と社会に関するパブリック・アーケオロジー的視点を含めて、学史的に分析すると面白いのではないかと。

火中の栗ついでに申しておきますと、真正面から竹倉論に物申すとすると、考古学側のヤバいところが出てくるというのはあると思うのです。先ほど江坂さんが言及された編年や型式学に対して、それを崩したくないということもあるとは思いますが、しかし、それらの限定性についてはきちんと考えなくてはならない。つまり、方法に関して大事なことは、制限があるからこそ有効なのであって、その範囲で使わなくてはならないところを超えて拡張して考えるのはまずい。そのように一方では知っていながら、もう一方で、でも何となくこれで行ける、というふうに思っているのではないか、という気がするんです。

▼伝説化された「編年・型式学的研究」方法

――いまのお話というのは考古学者の方々のマインドに潜在的にインストールされてしまっていて、先入観として存在しているということはありますか。

中園:あるんだと思います。大学の教員クラスにもいまだにありそうです。それから、もう少し広く「考古学」という枠組みで考えると――あまり区別する必要もないかもしれませんが――大学やその他の研究機関の考古学者以外にも、全国に多数おられる埋蔵文化財の調査に携わる方など行政内の担当者を含めて、いまのような話をイデオロギー的に受け入れてしまっているところがあるように思います。実際に、大学などでそのように教育を受けてきたというところもあるでしょう。

たとえば、縄文学の父と呼ばれた山内清男[やまのうち・すがお]など昔の先生方の型式論や編年というものを、そうした偉人たちの人格を含めた形で伝説化させていっているようなところがあると思うんです。伝説性あるいは神秘性をおびた形で、そうした方法論(に過ぎないもの)をイデオロギー的に信じて疑わないというところがあるような気がしています。そのあたりのこともこの議論においては加味しておかないといけないでしょう。

――言い方は適切なのかわからないのですが、そのようにうかがうと、私の冒頭の見解よりもより深刻というか。どういうことかというと、土偶のモチーフ推定や分析には編年や型式学が使いづらい、あるいは直接的な効力を持っていないと理解しているにもかかわらず、『読む読む』において望月さんに使わせている、ということではなく、考古学者の多くが前提として「とにかく研究においては編年や型式学がないとダメでしょう」という思い込みのようなものをベースに持ってしまっている、ということなのでしょうか。

中園:『読む』が刊行されたことで、より顕在化したと言えるのかもしれませんが、おそらく、これまで「解釈をどうやって行うのか」に関する考古学の方法論が日本ではあまり議論されてこなかった、ということがあると思います。また象徴的なところで言うと、最近はどうかわかりませんが、かつて考古学専攻の学生の卒論では、何はともあれ対象物を型式学的に分析して編年する。まずそれを行う。そして次は分布図に落とし込むといった程度の「儀式」を経ると、その次は即刻「~であろう」といった解釈を行う。そういうパターンがかなり多くありました。

――理論的なベースみたいなところが薄い。『世界の土偶を読む』で提示されている区分けで言うと「インデックス研究」がやはりメインで、実測できるものだけが対象になっていて、データとそれに対する解釈の間が抜けているというか。

中園:理論への自覚が全体に希薄なのは日本の考古学の特徴です。また、一種の歴史解釈みたいな志向性をもっているんです。芸術や文学ほどの自由さはなくとも、私はこう考える、こうではないか、という解釈を考察してみせるのは重視されます。しかし、そこに至る方法、論理、さらにはどのような枠組みで考えているかといったことの「自覚」については、日本の考古学は弱いところがあります。だからこそ、性急な解釈も起こるし、学界の内部では論争も無くはないですが、「あなたの解釈もあっていいから私のも認めてね」という不思議な共存も起こるし、その割には解釈がちょっとした違いにとどまって、ある対象が祭祀の面とか政治史的解釈に偏っていてワンパターンだったりもします。必要かどうかというより、資料をよく知っていて、一定の型式学的操作・編年ができる能力を示すことで解釈をする権利が得られるというか。

こうなってしまった理由の一つとしては、戦後の日本の考古学が歴史学の一派としての意識を強固にしていくというか、それに近づきたいという思いがあって。それを反映する形で、人類学あるいはより科学的な領域など別の選択肢ではなく、日本の歴史の一翼を担うという一国史的で、かつ「国史学」に近い位置取りをすることになった結果なんだと思います。

▼考古学における「テキスト化」と「オープン化」の問題とは

――歴史学の場合はかならず参照できるテキスト、文書や記録などがあり、それを読み込み、そのテキストが書かれた状況や背景を踏まえて、それらのテキストの解釈をしていく、というスタイルになると思います。テキストが前提にあるので、解釈に関しては確度が高いというか、検証の可能性の度合いが高くなっている。しかし考古学の場合は、文字(テキスト)がないケースも多く、同じやり方を取ってしまうと確定性や検証性の面で難しさを抱えてしまうところ、歴史学に近づこうとしたところに何かポイントがあるように思います。

中園:そうですね。もう少し細かく言いますと、考古学の場合は、物質をいろいろ分析することによって「テキスト化」していきます。つまり、「読めるテキスト」=古文書と同じ状態にするためにひと手間かかってしまうんです。古文書には人の行動や出来事、数値などさまざまなことが記録されているわけですが、考古学において、そこまで持っていくには遺跡を発掘し、発見した物的証拠やその出土状態を一生懸命記録、整理して、図面を描いて、さまざまな苦労をして、発掘物を型式分類して、編年して、膨大な資料を作成する。そうした作業が必要になります。その果てにようやくある種のテキストが出来あがる。しかし、ここまでのテキスト化が非常に大変なこともあり、その後の解釈をいかにして行うかという方法面まで手が回らない、あるいはそれに没頭することで満足してしまうところがあるんだと思います。

――逆に言いますと、まさに私などが考古学に尊敬の念を抱かざるを得ない部分だと思うのですが、テキスト化を目指したことで、日本の考古学において、資料の精度と分量は類を見ないほど優れたものになっていると思うのです。

話が少しずれてしまうかもしれないですが、「土偶を読む」という名前を付けた張本人――つまり考古学界にとっては戦犯中の戦犯に値すると思いますが――から一言付け加えますと、竹倉さんから「神話に関して他の国では相当に古い文献があるけど、日本では古事記・日本書紀どまりになっている。でもそれより古い時代にも神話はあったはず。それが土偶なんじゃないか」と聞いた時、なるほど、テキストのない時代の神話なので、これをテキストとして読めるということか、と思ったのです。

読み込みだから解釈の自由度は高くなってしまうが、モチーフを推定する、イコノロジー的に分析するというのは、そのものに記されている情報を読み解いていくということになるんじゃないか。なるほど、これは「土偶を読む」ということか、と思いついてその場でタイトルを決めたという背景がありました。

それで、いま中園先生からお話しいただいたことを踏まえて考えてみますと、それだけ大変な作業をして、ようやく一つの発掘物を「テキスト化」できるという状況があるにもかかわらず、ポンポン土偶を取り出してきて、これも読める、あれも読めるよ、と主張したところに何か反感をかってしまう原因があったのかもしれない、と。

野口:いまの江坂さんのまとめを聞いていて思ったことですが、竹倉論に型式学や編年研究がないということを主張している人たちの心の奥底には、型式学や編年研究が確立したものの上でお前はそれを「読んで」いるじゃないか、という「フリーライダー的な批判」があるように感じました。

というのも竹倉さんも大枠では編年を使っているわけです。たとえば、前期の土偶はこうなっていて、中期は……という形で説明をしている。そうしたことに対して、「なんだ、これからじっくり読んでやろうと思ったのに、横から勝手に俺たちの方法論を使って『読み』やがって!」という反応があったのではないかと。

――たしかに、その反応は竹倉さんの側では気がつかないところだと思います。

野口:ただし、そうなったときに気になるのは、考古学の仲間に入っている側にも、たとえば、長野県の諏訪考古学会や井戸尻考古館で活躍していた人たちが、「縄文中期の土器文様を読む」、とか「縄文神話」のようなことをたくさん書いているんです。取り組み方としては竹倉論とそれほど遠くない。でもこれらに対して正面から『読む』に対する批判のような論陣を張っている考古学者はほとんどいないんですよ。もしかすると、もう過去のものだからって、こっそりしまおうとしているのかもしれないですが……。

なぜ彼らは考古学の仲間に入れてもらえていたのかというと、編年を組み立てるというときに、資料がとにかく必要になるわけですよね。そうすると、大学の研究者だけではとても手が回らない。そうしたとき、地域密着型で、ずっと丹念に発掘や資料の収集をして、それを報告するということをやってきたのが彼らだったのです。彼らが集めてくれたデータを大学の先生たちも使うわけです。井戸尻編年などはまさにそうした働きからできあがっているようなものです。

――そうだったんですね。

野口:そこまでやってくれているなら、ちょっとむちゃな「縄文神話」について語っても大目に見るけれど、というようなメンタリティーがあるのかな……と、今、ちょっと良くないことを思いついてしまいました。

中園:いまのお話は、「オープン化の問題」ともすごく関わってくるんですね。考古学のデータや解釈のオープン化ですね。考古学が主導して蓄積してきた様々なデータの利用について、データベースとまでは言わないまでも資料や知見の「考古学外での利用」とそれに伴う覚悟の問題に関わりますね。野口先生のお話からしても、意識が閉鎖的というか、あまり推進はされていない状況だなと。

平川:野口先生もうなずいていらっしゃいますが(笑)、フリーライダーというお話をきいて、「おお」と思いました。これは、「苦労しなきゃいけない」という理屈ですね。

――たしかに批判の中でも「お前は土を掘ったのか」「土器を自分で見つけたのか」「現場に行ったのか」というコメントが非常に多かったですね。でも、竹倉論的構造からすれば、土偶の正体=モチーフが推定できればよいわけで、アームチェア・ディテクティブであってもまったくかまわないわけです。解ければよいわけで。

平川:その通りですね。それを言われたのは江坂さんですか? 竹倉さん?

――私はPCと携帯と赤ペンがあれば完了する仕事しかしていないので(笑)、主に竹倉さんと『読む』に対して、「汗水垂らして発掘に携わったこともない人間が書いた考古学に関する本は信用できない」という論調は強かったように思います。

そうした論調に対する私からの反論としては、探偵と警察官(鑑識)と検察の役割はすべて違いますよね、ということなんです。竹倉さんは探偵だから、警察官のように事情聴取をしたり、犯人の足取りをたどったり、鑑識のように現場で証拠を漏らさず収集し、記録したりしなくても良いわけです。物語の探偵同様、警察官や鑑識が集めた情報(clue:手がかり)を基に分析し、犯人を推定する。それが探偵の仕事で、手がかりに基づく推理を披露して「犯人はお前だ!」と言ったら皆はそれで納得するわけですよね。物語に限って言えば。

ただし、犯人を検挙するかどうかは警察が考えることだし、起訴するかどうかを考え、裁判で、有罪を立証して量刑を求刑するのは検察ですね。土偶に関する話の場合、この構図に当てはめると、警察は考古学者、検察は考古学界になるのかなと思われますが、いずれにしても「犯人はお前だ!」と推定することは探偵に許されているわけです。そして、誰が探偵になってもいいはずです。もちろん推理がまずければヘボ探偵と言われるでしょうし、探偵としての仕事もなくなるわけですが……。

そんなわけで、こうした構図を描くことなく一方的に批判をしてくる人はかなり多かった印象です。

平川:そのお話は納得できますよね。

――付け加えて、野口先生のお話を踏まえると、『読む』に対しては警察と検察が「おい、お前は俺たちが集めた情報を勝手に使うんじゃない! 勝手に使って推理するな!」と言っている、ということで、それはそれで構図としても納得できます。物語とは違って、実際の警察も検察も部外者にデータを使わせることはないですから。

平川:でも、そのあたりの問題をきちんと考えていかないとまずいと思うのです。以前、考古学者以外のある研究者が話していたのですが、「考古学者の役割として、いまは研究までしているけど、この先どうなるかというと、考古学者は情報の生産者になって、実際の研究をするときには必要ないよね」と。つまり、他分野の知見をもつ研究者が研究をドライブしていくので、考古学者にその役割は求められなくなる。こうした構造の変化について、すでにこう考えられているということは、実際にそうなる未来が選択肢に存在しているということなんです。そうなるとプレーヤーが変わる。

当然、日本の考古学者は、まさか自分がプレーヤーから外されるなんて考えてもいないし、そうなることは望んでいない。しかし現状のままでいくと、そう遠くない未来にその環境がやってくる。そうだとしたら、自ら自覚的かつ意識的に方法論や解釈などを見直して、研究をドライブしていかないと、おそらく他分野からの参入があった場合、太刀打ちできないと思うのです。

竹倉さんはそうした参入者のうちの先駆的な一人だったんじゃないか。ですから、竹倉さんをさまざまに批判したいという気持ちはわかるのですが、ただ批判するだけで終わってしまってはダメなんだよね、というのは『読む読む』を読んでいて思ったところです。

野口:自覚がないのではなくて、うっすら感じているから余計に守ろうとしてるんじゃないでしょうか。

平川:たしかに(笑)。それ、あると思います。言語化できない、自分の座を奪われる恐怖感みたいな。でも、言葉にできないから、「怒る」か「無視する」しかないと思うんですよ。竹倉論に対しては、その「怒る」に走ってしまった。そんな状況だったようにも思います。

――実際、そうした状況に対し自覚的でいらっしゃる皆さんにおかれては、「怒る」ことも「無視する」こともせず、『読む』とはフラットに向き合っていただいていると感じています。

野口:もうこれもかれこれ10年ぐらい、中園先生や平川さんたちと同じような主張というか、議論をしています。何かというと、考古学の発掘報告書や論文には「実測図」という、考古学者の独特の図が載っているんですね。これは、考古学的な訓練と経験を積まないと描けないものです。「これは写真や3Dとは違うから、考古学者としてはこれが描けないとダメだし、この図に基づかない研究もダメだ」と言われてきている。でも、そんなことはないだろうと。実測図派と私たちと10年議論してもまだ同じようなことが主張されているわけです。

これもまさに、ある種、「これを描き、読み解けるものだけがギルドの一員だ」という設定なんだと思います。先ほど平川さんがおっしゃった「苦労しないとダメ」理論も同様で、学部で何年、大学院で何年、そして、発掘現場で何年苦労してここに至りました、と言えてはじめて「お前は認めてやろう」というような。そうした暗黙の前提がいくつもあって、竹倉論はそこを飛ばしているのが納得いかない、ということなのではないかと思うのです。

そうした観点からすると、『読む』ほどの話題にはなっていないのですが、分析科学的な考古学のアプローチが国内でも増えていて、旧来の考古学界の文脈で、いまお話ししたような扱いを受けてしまっている人たちも多いのです。

どのような批判があるかというと、「君たちの研究は自分で発掘したものを使っていない。誰かが発掘して報告したものに乗っかって、新しい機器で分析しているだけじゃないか」というものです。

ずいぶんと少なくはなってきていると思いますが、実際にこういうことを言う研究者はまだいます。それと同じところに『読む』ははまってしまったのかな、という気がします。

平川:『読む』の場合は、より強烈なというか、皆が気になっている土偶というある種の人気コンテンツにからんできたものだったので、より一層、「苦労しないとダメ」理論が発動してしまったのかもしれません。

――なるほど、つまり『読む読む』の編著者である望月さんはプロパーではないけれど、「発掘調査に関わったことがあるのでOK」というお墨付きを得られている、と考えることもできますね。

それからもう少し重要なお話として、完全に部外者からの発言になりますが、オープン化を考えるということは、考古学界の内部にとどまる問題ではないと思うのです。学際的というにとどまらず、インターセクショナルな研究を促進するためには、そうしたデータをオープンにすることで、そこに参入し、新しい発見や理論の構築を図る人たちを認めていかなくてはならない。そうでなければ、停滞あるいは衰退、もしくは消滅の可能性もある。「データだけあればもういいよ」という時代が間もなくやって来てしまうのではないでしょうか。

平川:現にもう来つつあるんです。自然科学をベースとする考古科学の人たちは一足先でしたが、人間や社会の過去のことを扱いたい分野など潜在的にもたくさんありそうです。

――現実問題、ということなのですね。一方で、これ以上発掘したり調査したり探す所があるのか、みたいな問題もあるのでしょうか。

中園:発掘自体は続きますよね。本心で言えば、開発による遺跡破壊はもうやめたほうがいいんじゃないかと思いますけれど。それでも遺跡は膨大にありますし。

日本では開発に先立つ行政的調査システムのおかげで、膨大な遺跡を事前に調査して記録に残してきましたが、現在の余裕のない状況をみると将来そのシステムがどの程度維持されるか不安もあります。良くいえば標準化された調査、悪く言えば月並みな調査を繰り返してありきたりのデータを得るだけでは。しかし、自分たちの問題関心に沿ったデータを得ればよかった調査も、オープン化によって多方面から新たな要求や期待が生じてくるでしょうね。そうなるとよいのですが。さらに、日本の考古学が今後多少とも異なる枠組みや視点を持つようになってくると、それまで眼中になかったまったく新たな調査対象も生じるかもしれません。オープン化で調査報告書が今後どのような形に進化するかわかりませんが、考古学からの基礎データみたいなのは、この先も出てくると思います。

(第2回に続きます)

▼座談会にご参加いただいた先生方

中園聡[なかぞの・さとる]
福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科博士後期課程中退、博士(文学)。九州大学文学部助手、同大学ベンチャービジネスラボラトリー講師・九州産業大学芸術学部非常勤講師等を経て、現在、鹿児島国際大学国際文化学部/大学院国際文化研究科教授。考古学・考古科学・博物館学を専門とし、近年は認知考古学・3D考古学を推進するとともに批判的検討を通じた考古学の理論的・方法論的発展を目指している。パブリック・アーケオロジーの活動にも長年にわたり取り組む。著書・共編著に『九州弥生文化の特質』(九州大学出版会)、『認知考古学とは何か』(青木書店)、『稲作伝来』(岩波書店)、『季刊考古学140 3D技術と考古学』(雄山閣)、『文化情報学事典』(勉誠出版)ほか論文多数がある。

平川ひろみ[ひらかわ・ひろみ]
鹿児島県生まれ。鹿児島国際大学大学院国際文化研究科博士後期課程修了、博士(国際文化学)。現在、奈良文化財研究所客員研究員、鹿児島国際大学非常勤講師等を務める。専門は考古学、博物館学。認知考古学・エスノアーケオロジーの視点から、モノ・ヒト・環境の相互作用、とりわけ土器づくりの技術と身体動作を研究するほか、パブリック・アーケオロジーの観点から考古資料や 文化財を捉え直し、その活用についても考察している。論文に「土器製作者とモーターハビット―民族考古学的知見に関連して―」『心理学評論』65(4)、共著From “Made of” to “Made from”: Cognitive significance of the production of pottery and lacquer in Japan, Oxford Handbook of Cognitive Archaeology, Oxford Library of Psychology (Oxford University Press)など多数がある。

野口淳[のぐち・あつし]
東京都生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程退学。公立小松大学次世代考古学研究センター特任准教授。考古学者。2023年より現職。日本とアジアの旧石器時代の調査研究、3D計測をはじめとするデジタル技術の導入を専門.とする。主な著書に『武蔵野に残る旧石器人の足跡-砂川遺跡-』(新泉社)、『イスラームと文化財』(新泉社、共編著)、『博物館DXと次世代考古学』(雄山閣、共編著)ほか論文多数がある。

▼司会

江坂祐輔[えさか・ゆうすけ]
東京都生まれ。晶文社編集部。信州大学大学院人文科学研究科地域文化専攻(修士)卒。谷澤淳三氏に師事し、インド哲学(Nyāya-Vaiśeṣika学派を中心)と分析哲学の比較研究を行う。また原毅彦氏からは「文化人類学の文化人類学的考察」および民俗学について学ぶ。主な担当書籍に、松岡正剛 著『17歳のための世界と日本の見方』『世界のほうがおもしろすぎた』、中村明一 著『倍音』、高橋ユキ 著『つけびの村』、レンタルなんもしない人 著『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』、宮野真生子×磯野真穂 著『急に具合が悪くなる』、坂口恭平 著『cook』、山口祐加 著『世界自炊紀行』、ジャニス・プーン 著『ハンニバル・レクター博士の優雅なお料理教室』など多数。

▼関連図書案内