名ばかり地方自治のリアル【後編】目指そう!! 稼ぐ自治と地方の多様な発展
前編では、戦前の地方自治が独立採算で運営されていたこと、戦時体制下の1940年地方分与税制度がその構造を骨抜きにしたこと、戦後のシャウプ勧告が地方独立を再建しようとしたが1954年の地方交付税制度への改編で「裏切られた」ことを論じました。
しかしこれだけでは、現在の地方財政の自己財源比率40%前後、いわゆる三割自治・四割自治と呼ばれる構造は十分には説明できません。戦後改革の精神が裏切られた後、その構造を「定着」させ、地方の DNA にまで補助金依存を埋め込んだのは、1955年以降の高度成長期に展開された補助金行政だったからです。
後半となる本稿では、高度成長期の補助金行政がいかに中央集権を不可逆な構造にしていったか、平成の地方分権改革がなぜ根本的な変化を生まなかったか、そしてこの戦後80年の構造が現代の現役世代の負担増、子育て支援金の問題にまで直結していることを論じます。最後に、戦前の独立採算精神を現代でどう取り戻すか、私が25年現場で見てきた具体的な道筋を、Osaka Metroの民営化のような象徴的事例とともに語ります。
第5章: 高度成長期の補助金行政と三割自治
1955年に自由民主党が結成され、いわゆる55年体制が始まります。同時期から本格化したのが、補助金行政による中央集権の定着でした。
高度成長期の地方財政は、中央政府が地方の細部にまで介入する仕組みが急速に整備されていきました。国庫支出金、いわゆる補助金は、特定の事業に対して中央が交付する資金です。地方は補助金の交付要件に合わせて事業を組み立て、中央の指示通りに執行する。中央は予算と要綱で地方の行政内容を細かく指定できる構造ができあがりました。
1962年に閣議決定された全国総合開発計画は、この構造の象徴です。中央が国土開発の方針を決め、地方はその枠組みの中で個別事業を担う。「全国一律の開発」という名の下で、地方独自の判断はほとんど認められませんでした。
この時期に「三割自治」という言葉が定着します。地方歳出のうち、地方税で賄える分が約3割しかなく、残り7割は中央政府からの財政移転、つまり地方交付税と国庫支出金で賄われている、という意味です。戦前の独立採算とは正反対の構造に、わずか20年程度で変質してしまったのです。
機関委任事務という制度も、この時期に強化されました。これは戦前の制度を引き継いだもので、地方自治体の長が国の機関として国の事務を執行する仕組みでした。市町村長や知事は、住民の代表であると同時に、中央政府の出先機関として機能していたのです。これは団体自治の根幹を否定する制度でしたが、1999年の地方分権一括法成立まで存続しました。
私が25年現場を歩いてきて痛感するのは、この時期に作られた補助金行政の発想が、地方自治体の DNA に深く埋め込まれてしまったことです。「事業を考えるとき、まず補助金メニューを探す」「中央の指針に沿って計画書を書く」「補助金の交付要件に合わせて事業内容を歪める」。こうした行動様式は、現場で今も日常的に見られます。
これは個々の自治体職員の資質の問題ではありません。制度がそう動くようにできているからです。50年以上にわたって作り上げられた構造は、容易には変わらないのです。
第6章: 平成の地方分権改革とその限界
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