「昇格辞退」のリアル──課長試験を断った人たちの、その後の話
※この記事は、筆者個人の経験と見聞に基づくものです。特定の企業の内部情報や機密情報を開示するものではありません。登場するエピソードは複数の見聞を再構成したものであり、特定の個人ではありません。組織や部署によって状況は異なります。
以前、管理職任用試験の全貌という記事を書いた。試験を受けて課長になるまでの道のりの話だ。
今回はその裏面を書く。試験を「受けない」と決めた人たちの話だ。
最近、SNSでこんな話題が繰り返しバズっている。金融機関で昇格試験を拒否する社員が急増している。企業側から「昇進辞退を懲戒にできないか」という相談が増えている──。
拒否の理由は明快だ。残業代が消えて責任だけ増えるなら割に合わない。調査でも、管理職打診を断る理由の1位は「報酬が見合わない」だった。
自分の周りでも、辞退する人は確実に増えた。管理職として、推薦する側として、その光景を何年か見てきた。
世の中には「断る人が増えている」というニュースはあっても、「断った人がその後どうなったか」の情報がほとんどない。だから今回は、そこを書く。
まず、辞退はどうやって起きるのか
「昇格試験を断る」と言っても、試験当日に欠席するわけではない。実際の辞退は、もっと手前の、静かな場所で起きる。
任用試験の記事で書いた通り、試験の手前には「推薦」がある。課長が部下を推薦し、部長が承認して、初めて受験資格が回ってくる。
辞退は、この推薦の打診の場で起きる。
「来期、試験を受けてみないか」
「……ありがとうございます。ただ、今は考えていません」
これで終わりだ。書類も残らない。懲戒どころか、記録上は何も起きていない。だから統計にも出ない。「昇格試験拒否が急増」という報道の水面下には、この静かなやりとりが無数にある。
断った人たちの、その後
自分の観測範囲で、辞退した人たちのその後は、だいたい3つに分かれた。繰り返すが、複数の実例をぼかして再構成した話だ。
パターン①:何も起きなかった人(最多)
一番多いのは、拍子抜けするほど何も起きないケースだ。
翌年も同じ仕事をして、同じ評価をもらい、翌々年にまた打診され、また断る。周囲も「あの人はそういう人」と扱いを覚え、日常が続く。
「断ると干される」という都市伝説があるが、少なくとも自分の周りでは、辞退を理由に処遇を下げられた人を見たことがない。そんなことをすれば、今の時代、辞められる方の損失が大きいことを会社も分かっている。
パターン②:席を「若い後輩」に追い越された人
干されはしない。でも、時間は静かに進む。
辞退を続けた人の隣で、後輩が試験を受けて課長になる。組織図の上下が入れ替わる。かつての後輩が、評価をつける側になる。
本人が最初から織り込んでいれば、これは問題にならない。実際、割り切って専門性で食っている人もいる。きつかったのは、「本当はなりたかったけど、タイミングや家庭の事情で断った」人だ。断ったのは自分なのに、追い越された瞬間の顔は、隠せていなかった。
パターン③:辞退がキャリアの「棚卸しの引き金」になった人
意外だったのがこのパターンだ。
打診を断る過程で「自分はこの会社で何がしたいのか」を初めて真剣に考え、結果として転職した人が複数いる。辞退は現状維持の選択に見えて、実は「この会社の出世レースから降りる」という意思決定だ。降りると決めた人は、次に「ではどこで戦うのか」を考え始める。
会社にとっての皮肉は、辞退を認めた優秀な人ほど、数年後にいなくなっていたことだ。
推薦する側から見た「辞退」
ここからは、推薦する側の内側の話を書く。
正直に言うと、部下に辞退されたとき、課長が一番最初に考えるのは部下のキャリアではない。来期の推薦枠と、自分の課の後継計画だ。
推薦枠は毎年あるわけではない。部の昇格者数には事実上の枠があり、「今年はお前の課から出せる」という年に、玉がいないと枠は他の課に流れる。だから辞退されると、課長は困る。困るが、それを本人に言うわけにはいかない。
そしてもうひとつ。辞退の理由を、課長は必ず上に報告している。「なぜ彼は受けないのか」と部長に聞かれるからだ。
このとき、課長がどう報告するかで、辞退の意味が変わる。「家庭の事情で今期は見送り。来期は前向き」と報告されるのと、「昇格意欲なし」と報告されるのとでは、その後の扱いがまったく違う。辞退の仕方が、辞退そのものより重要なのだ。
断るなら、こう断ったほうがいい
だから、もし辞退を考えているなら、伝え方だけは設計したほうがいい。推薦する側から見た「損をしない断り方」は3つある。
① 「今は」を必ずつける
「考えていません」ではなく「今期は受けられません」。恒久的な拒否と時限的な見送りは、報告のされ方が違う。将来の可能性を残しておくのはタダだ。
② 理由をひとつだけ、具体的に言う
「なんとなく気が進まない」が一番損をする。「子どもが受験の2年間は仕事の変動を避けたい」「今の案件を完遂してからにしたい」──具体的な理由は、上への報告がそのまま「計画的な見送り」になる。
③ 代わりに何で貢献するかを言う
「管理職はやりませんが、後輩の技術育成は引き受けます」。辞退と同時に別の旗を立てた人は、その後も組織の中で居場所を保っていた。断るだけの人と、役割を選び直した人の差は、数年で大きく開く。
受けるか断るか迷っている人へ
最後に、いま打診を受けて迷っている人に、推薦する側から3つだけ。
ひとつ。「割に合わない」は事実だ。課長1年目の手取りの話は次の記事で書くが、短期の損益計算では、断る判断は合理的だ。そこは否定しない。
ふたつ。ただし、損益計算に「選択肢の値段」を入れ忘れないでほしい。管理職経験は、45歳以降の転職市場でほぼ必須の切符になっている。断り続けるとは、その切符を買わないということだ。切符を買った上で使わないのと、買えないのとは違う。
みっつ。断るにしても受けるにしても、「流されて」だけはやめたほうがいい。受けた人も断った人も、後悔していたのは決まって「自分で決めなかった人」だった。
打診は、キャリアの数少ない強制セーブポイントだ。受けるか断るかより、そこで一度立ち止まって自分の行き先を考えたかどうかが、5年後の差になる──観測範囲では、それがいちばん確かな法則だった。
この記事の内容は、筆者個人の経験と見聞に基づいたものです。昇格・推薦の仕組みは企業によって異なります。登場するエピソードは複数の事例を再構成したものです。
