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溺れる者も久しからず

🐟
深海に生きる魚族のように、
    自らが燃えなければ
      何処にも光はない。
           明石海人「白猫」

哲学、と聞いてどんな印象を受けるだろうか。

物事をわざと難しく考えて、
理論をこねくり回すイメージはないか。

間違ってはいないかもしれない。

誰も彼もが哲学を修め出したら、
さぞや生きにくいし、
支配しにくい組織になる。
管理しにくい社会になる。

自発的に思考し規範に疑問を投げかける、
哲学は支配者にとって邪魔なはず。
逆に言えば武器となる。

しかし、
息を吸うのにも悩み、
心臓の鼓動にすら迷い、
生きる事そのものへ戸惑う事だろう。

哲学は要るけど要らない、
要らないけど要る。
自分の考えで言えば、妖怪と近いモノ。


ソクラテスに出会って問われ、
いい女と美味い酒の為に生きると答えたら、
彼は笑うだろうか。
きっと奴は一生分の美女と美酒を今用意したら、
きみは明日死ねるかね?とか言うだろうか。


本書によれば、
物事を立ち止まって見つめ直す事こそが、
哲学の目的であって、
禅問答、構案のように、
答えの出ない問いに納得させる即答をする、
という事ではないらしい。

同じ禅でも曹洞宗と臨済宗の違いで、
面壁9年、ダルマが如く、
立ち止まるどころか座り込んで、
急がず、問い直し、考え直す。
そして何も考えないを考える。


急かされ、遅きを詰られ、
もっと豊かに、確実な成果を求められ、
しかしコストは抑えられと、
休む事は止められて、笑う事も赦されず、
這いつくばって這いつくばって、
いったい何を探しているのか。

突き詰める事が哲学じゃなくて、
分からない事は分からないで良くて、
考え続け、時々忘れて、流されて、
沈むように溶けていくように、
決めつけず脇目で観察していく程度でいい。



これは量子物理学の話になるけれど、
物質を構成する最小単位の分子や原子は、
運動量を観測すれば位置が、
位置を観測すれば運動量が、
無限に不正確になるらしい。

厳密には正しい観測結果は、
観測する事自体が対象に影響を与える以上、
観測していない状態でしか観測出来ない。

極論、誰も見てない世界は、
どうなっていてもおかしくない。
あたかもゲームのプレイヤーにとって、
ロードされていないマップが存在しないように。



他人の事なんて解らない。
お互い解った気になって誤解を認めないまま、
暖かな勘違いの海の微生物として生きる。
#水中の哲学者たち とは、
地球という水槽の、
そうした生き物なのかもしれない。


#永井玲衣 #哲学 #晶文社

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