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私のパソコン史(1)MSXからインターネット前夜まで

私は1974年(昭和49年)2月生まれ。学年で言うと、1973年(昭和48年)生まれの年です。

パソコンとの遭遇

1983年 / 昭和58年(小学4年生)~1984年 / 昭和59年(小学5年生)
★ファミリーコンピュータ(ファミコン)
発売
・友達の家で初めてパソコン(MSX)を触る
・市の青少年科学館の小学生向けパソコン教室に通い、パソコン(MZ-80)でプログラムの勉強をする


1983年/昭和58年は、ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売された年です。
当時、ファミコンはそんなに有名なゲーム機ではなく、発売年に学校のクラスでファミコンを持ってる子は1人だけでした。
その子も、本当は別のゲーム機を親に買ってもらう予定でお店に行ったら、そのゲーム機が売り切れていて、たまたまあったファミコンを妥協で買ってもらったものでした。
でもやってみると、ファミコンのゲームは当時のゲーム機の中で群を抜いて面白かったのです。
その子の家に友達みんなが集まって遊んでいて、もちろん私も行きました。だけど集まりすぎて人数が多くなってしまい、一人一人には順番がほとんど回ってきません。

そんな時に、私は他の友達に「面白いものがあるからうちにおいで」と誘われて遊びに行ったら、パソコン(MSX)がありました。
パソコンとは言っても、最初はゲームをしていただけです。MSXはファミコンと同じようにカセットでゲームができました。

そこから「プログラム格好良い」「プログラム作ってみよう」という話になって、プログラムの作成にも興味を持って、親に頼んで、市の青少年科学館の子供向けパソコン教室へ行かせてもらいました。
その青少年科学館にあったパソコンが、シャープのMZ-80系シリーズでした。
その当時でも、一昔前のパソコン。全体的にお店の今のレジくらいの大きさで、ディスプレイは今のレジよりも小さかったと思う。
私は赤い機体のMZ-80Kがお気に入りで、早めに行ってMZ-80Kの席を取ってプログラムの基礎を勉強しました。


ゲーム機ではなく、プログラムできる箱

1984年 / 昭和59年(小学5年生)~1985年 / 昭和60年(小学6年生)
・初めてパソコン(MSX / Sanyo PHC-30)を買ってもらう
・パソコンを持っている友達と3人でよく遊ぶようになる
・プログラムを組んでシンプルなゲームを自作し、友達同士で見せ合って遊ぶ
パソコン雑誌に投稿してみるが、残念ながら一度も採用はされず


遂に、親にMSXを買ってもらいました。
MSXの機種は「Sanyo PHC-30」です。
初めての自分のパソコンだったので外観を鮮明に覚えていて、ネット検索して画像を確認しました。画像を見た時に、「おお!これだ!!」と喜びが溢れてちょっと泣けました。
ゲームをしつつ、プログラムを作って遊ぶようになりました。ちなみにデータの保存はカセットテープでした。
小学生でお小遣いが少なかったので、友達と分担して色んなパソコン雑誌を買いました。マイコンBASICマガジン(ベーマガ)、プログラムポシェット(プロポ)、等々。
読むだけじゃなくて、自作のゲームのプログラムを投稿してみました。でも、一度も採用はされませんでした。残念。

パソコンで他の人とつながって交流できる「パソコン通信」というものを知って、やってみたかったのですが、親に許可はされず。

ちなみに、ファミコンは買ってもらえませんでした。その後、弟がファミコンを買ってもらったので私も一緒に遊べたから良かったけど。


広がっていくパソコンの世界

1986年 / 昭和61年 ~ 1988年 / 昭和63年(中学1~3年生)
ワープロやイラスト描画もできるパソコン(MSX2+ / FS-A1WX)を買ってもらう
・パソコンを持っている友達が増える。PC-8801PC-9801X68000FM TOWNSなど


私が買ってもらったMSX2+は、パナソニックの「FS-A1WX」という機種です。ネット検索して画像を確認したので、間違いないと思います。
日本語ローマ字入力でワープロを使い、マウスでイラストを描いて遊びました。
イラストといっても、画面全体の解像度が256x212ピクセルしかなかったので、いわゆる「ドット絵」です。
一緒に感熱式のプリンターも買ってもらい、なんでもかんでもワープロで入力して印刷しまくってました。

ハチハチ(PC-8801)とかキューハチ(PC-9801)とか欲しかったけど、高くて親に買ってもらうのは無理でした。
友達の家に行ってよく触らせてもらってたなぁ。


1989年 / 平成元年 ~ 1991年 / 平成3年(高校1~3年生)
・パソコンはお休み
スーパーファミコン発売


高校時代は、勉強と部活に力を入れ、パソコンはたまにちょっと息抜きでいじって遊ぶくらいでした。
しかし、パソコンが好きな気持ちは変わらず。ちょっとの息抜きでも楽しかった。
スーパーファミコンも発売されましたが、この頃の私はゲームに全く興味がなく、私が初めてスーパーファミコンで遊ぶのは大学に行ってからでした。


本格的にプログラムを勉強

1992年 / 平成4年~1994年 / 平成6年(大学1~3年生)
・大学の工学部情報工学科に入学
UNIXワークステーションで、本格的にプログラムやネットワークについて勉強する
プレイステーション発売


大学には、数十台のパソコンがずらーっと並ぶ実験室があり、私にとっては夢のような光景でした。
大学のパソコンはUNIXワークステーションという、膨大なデータを処理するための高性能コンピューターでした。

大学一年生の時はプログラムの基礎を勉強するのですが、私が小学生の頃に勉強済みで分かっている内容ばかりでした。
逆に考えると、あの青少年科学館の子供向けパソコン教室はものすごく本格的だったんだなー、と遅ればせながら気づきました。

大学時代は自分のパソコンを持っていませんでしたが、友達の家でよくキューハチ(PC-9801)を触らせてもらってました。


そして、この頃に初代プレイステーションが発売されました。
私は、「すぐに飽きた」という友人から中古で売ってもらって入手しました。
毎日ずっと「リッジレーサー」「A列車で行こう」をやり、更に「闘神伝」「鉄拳」「アークザラッド」「ときめきメモリアル」「Dの食卓」「カルネージハート」などが好きでした。
特に「カルネージハート」はプログラム的な要素があり、それから10年くらいずっと遊び続けました。今もしもスマホ版があったらまたやりたいです。それくらい大好き。


インターネット前夜

1995年 / 平成7年(大学4年生)春
・大学の研究室で初めてインターネットを使う


大学4年生になり、研究室に所属して卒論制作が始まり、いつでも自由にパソコンを使っても良い環境になりました。
その研究室で、初めてインターネットを使いました。
日本でインターネットの商用利用が開始されたのは1993年かららしいので、私はちょうどタイミングよくインターネットを黎明期から利用していました。

「Mosaic」というブラウザソフトでWEBサイトを閲覧して卒論の為に情報収集し、学内の連絡はEメールで行うようになりました。
パソコン通信に憧れていた私は、「これがパソコン通信か!」と間違った感動をしました。でも、インターネットとパソコン通信は構造が根本的に違う別物です。

この頃のWEBサイトはほとんど文字だけで、写真画像を1枚表示するだけでも物凄く時間が掛かりました。
NASAのWEBサイトを見て「外国だ!」と驚き、文字で箇条書きのリンクメニューのYahoo!からリンクして様々なWEBサイトを見て、大げさではなく本当に「未来」を感じました。
ちなみに、私は勉強せずにゲーム情報のWEBサイトばかり見ていました。


Windows95というお祭り

1995年 / 平成7年(大学4年生)夏・秋
Microsoft Windows95 発売
PHSサービス開始


Microsoft Windows95 発売。
現在のWindowsにつながっていく始まりの原形。
大学内は物凄いお祭り騒ぎ。
私は個人的にパソコンを持っておらず、「Windowsというなんか有名なものがあるらしい?」ということを知ってるだけで、Windows95の何が凄いのか全く分かっていませんでした。
でも、みんなに便乗して大騒ぎして、何のお祝いか分からない飲み会をしまくりました。おそらく、当時の大学生の大半はそんな感じだったと思う。
大学の同級生の中には、なんだか分からないけど深夜から行列に並んでWindows95を買った人もいました。そして、なんだか分からないけどWindows95を入手した彼をみんなで褒めたたえ、Windows95のパッケージをみんなで回して見ました。


ポケベルがピークを迎えつつあり、PHSがサービス開始した時期でもあります。就職活動の連絡の為にPHSを持つ人もいました。PHSを持っているほうが内定をもらえる確率が高い、という怪情報も流れたりしました。
現在のガラケーにつながっていくような個人向けの小型・軽量の携帯電話もちょっとずつ広まり始めました。そして携帯電話が急激に広まるのは翌年から。

(つづく)


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