「BI支持者は無能」と嗤うその先に、我々が失っているもの。
ネットの海を漂っていると、
ベーシックインカム(BI)を巡る議論がいかに
「茶番」と化しているかを思い知らされる。
「BIは実現不可能だ」
「支持者はネットにしか居場所のない無能だ」。
そうした罵倒が飛び交い、
結論ありきの批判が並べられる。
彼らは「現実を見ろ」と嘯くが、
そう言って吐き捨てる言葉のどれもが、
経済の構造や貨幣の仕組みを学ぼうとしない、
ただの脊髄反射に過ぎない。
否定していた、かつての私へ
偉そうなことは言えない。
実は私も、かつてはBIに対して
極めて否定的な立場をとっていた一人だ。
「働かざる者食うべからず」という道徳的な規範は、
長年私の中に深く根を下ろしていた。
財源問題、勤労意欲の低下、
あるいは「ただで金を得ることは不道徳である」
という倫理観。
それらは既存の資本主義システムにおける
「正解」として、私を安心させてくれていた。
当時の私は、それらの批判を繰り返すことで、
この国の停滞を自分の力で正当化し、
自分の思考を守っていたのだと思う。
逆説的に浮かび上がる、BIの有効性
しかし、日々加速する日本の閉塞感と、
現実に起きている困窮の連鎖を追う中で、
ある「逆説」に突き当たった。
それは、
BIを否定すればするほど、
否定の根拠となっているはずの道徳的な社会が、
逆に壊れていく
という現実だ。
「無条件の金銭給付は不道徳だ」
と唱える人たちがいる。
しかしその結果、
生存権すら脅かされる状況に追い込まれ、
過酷な労働環境に縛り付けられ、
心身をすり減らしていく人たちがどれほどいるだろうか。
「不道徳」を排除したはずの社会が、
結果として最も不道徳な状況――
人間が人間らしく生きられない環境――
を固定化させている。
BIの導入を頑なに拒む人々の論理が、
皮肉にもその「地獄の構造」を
強化する加担者となってしまっているのだ。
この逆説に気づいた時、
私の中で何かが変わった。
BIを語ることは、
もはやただの夢想ではない。
この腐りきった構造を打破するための、
一つの極めて現実的な問いかけなのではないか。
戦うことを放棄しないために
批判のための批判、
結論ありきの茶番はもう十分だ。
相手を「無能」とレッテル貼りして
安心するのは簡単だが、
そんなものは知性とは呼べない。
私は、BIを盲信するわけでもなければ、
思考停止して反対するつもりもない。
必要なのは、レッテル貼りではなく「学び」だ。
BIも、MMTも、
あるいはこの国の財政を巡るあらゆる政策も。
それらが持つ可能性と限界を、
一次情報にあたり、徹底的に学んでいきたい。
「調べもせず、議論もせず、罵倒して終わり」
というレベルから脱すること。
通貨発行権や経済の構造を真正面から捉え直し、
この不条理な社会に抗うための武器を磨くこと。
罵倒に逃げる暇があるなら、
私は戦い方を選びたい。
結論を急ぐことなく、
それでも真摯に、学び続け、問い続けたいと思う。
追記
学ぶには余裕も時間もいるので
BIで生きながらえながら、
学習と自省を繰り返し、生きる
をとりあえず肯定して良いと思いませんか?
それもダメな道徳って道徳でしょうか?
この追記はAIなし文ですよ(笑)
