仕事人生史上最も苦しかった時期を「構造主義」が救ってくれた話
絶望の3ヶ月
昨年後半から年末にかけて3ヶ月くらい、仕事において深刻なスタック状態に陥っていた。とにかくやる気が出ない。何もする気が起きない。すべてが無意味に思えて、「なぜ人生の貴重な時間をこんなにも無駄なことに使わないといけないんだ」というネガティブな気持ちに押しつぶされていた。
若い時にたまに似たような気持ちになることはあったが、1日~2日程度で気持ちは切り替わっていた。今回はまぁ長かった。30半ばのいい大人なのにな。あまりにも気持ちが切り替わらないので、転職を考えてみようかなとか、いやその前に心療内科に行ってみようかなと、自身の社会人史の中ではなかなかに追い込まれていた。
意味を見出せない仕事をそのままやることが、自分や会社や社会にどんなプラスをもたらすんだ?とか、それまで深刻に捉えていなかった会社のビジョンと個人の想いのズレに大げさに絶望したり。中二病的だけど、人生の中での仕事の位置づけに折り合いがつかなくなっている感じだったのだ、と振り返ると思う。これは大体カントのせいで、彼の理想論的な道徳観・倫理観にかなり感化されてしまった面が大きい。いや、書生かよ。ナイーブか。
構造主義との出会い
今はその状況を脱していて、これには明確なきっかけがある。それが、構造主義との出会いだ。千葉雅也『現代思想入門』で光明を見つけ、橋爪大三郎『はじめての構造主義』で理解を深め、浅田彰『構造と力』を夢中になって読んだことで、折り合いがつかなくなった「人生の中の仕事」に明確な位置づけができた。それは、「仕事とは記号操作である」という気付きだ。
「構造主義」を僕がざっくり理解したレベルで説明してみる。
対照的なのが「実存主義」で、これは個人を「自己決定できる主体」として見る考え方だ。ここでは、自分の意思によって思考も行動も全て選択することができるが、責任も自分で負うことになる。
「構造主義」は対照的に、主体としての個人を否定する。社会は中心となる秩序を持った構造であり、個人はその構造の網目に設置された存在にすぎない。秩序に従って社会は動き、個人はその秩序に動かされている記号のような存在である。
これを会社組織に当てはめるとしっくりきた。要は会社組織とは無限の資本の成長を秩序とした構造であり、個人はたとえば「○○部で××職務を行う課長」という役割を持った記号である。記号化された個人が、秩序が要請する役割を果たすハコ。
こう考えると、役割としての記号となった僕が行うべき仕事は、記号の操作に過ぎない。一つ一つの仕事に重要な意味はなく、組織が秩序に従って自己を維持していくために処理すべき記号の連なりだ。
血が通っていない感はあるのだけど、僕はこの捉え方に救われた。苦しい3か月間、僕は実存主義的に、自分の実存を仕事に寄りかからせ過ぎていたんだ。血が通っていないのは記号としての仕事であって、僕の人生ではない。仕事を無機質な記号操作に還元したことで、僕はようやく自分の人生にとって大事なことに使う準備ができたのだ。
そして実践へ
仕事を記号の連なりとして捉えるとは、形式論理学のイメージが近いのかなと思っている。形式論理学では、命題の内容は関係なく、論理の形式だけでもって論理の正誤を判定する。だから記号やアルファベットで論理構造を示したら、あとは何を代入してもOK。
仕事も、そのイメージで捉える。まず、意味は問わない。「これをやる意義は何ですか?」とか「もっと違うテーマ設定をした方がいいんじゃないですか?」とかはご法度。それは意味を求めすぎている。早晩、熱意と組織の論理がバッティングして苦しくなる。
形式で捉えよう。仕事は基本的には問題解決だ。問題解決の技法は読み切れないくらい本が出ていて、基本のところは定式化されている。すなわち、現状→課題→原因→打ち手のプロセスだ。あとは単純に、各プロセスで必要な情報を収集しつつ、演繹的な当たり前の推論を重ねていけば仕事は終わる。意義、意味を正面から考え込むから流れが滞る。
このスタンスを徹底することにして、仕事が爆速になった。苦手意識があった催促も、記号の流れを滞らせない単純タスクとして捉えられるようになった。今までちょっと人間を見過ぎていたのかもしれない。
打合せにも変化があった。これまで、自分が考えた叩き台を修正や否定されるとムッとする感があったが、一切なくなった。仕事に意味や意義を乗せないことで、より効率的な記号操作が可能になるのであれば、誰の意見でもOK。むしろ空き時間が増えてありがたい。
こうして、平日日中にも仕事に追い立てられない時間を手にすることすらできるようになった。しかも、更に記号操作のスキルを上げるためのインプットや思考すらしている。仕事からは逃げたかったはずなのに、不思議だ。
我ながら、思考様式1つでここまで行動が変わるのは、単純で笑ってしまう。でも、あまりに経済、仕事の社会的な重要度が高い今、その価値を気合いではなく思考様式でもって相対化できることは大事じゃないかと思う。
実存を仕事に寄りかからせて、またはそれを強いられてしんどい方に、何かしらの助けになれたら嬉しく思う。
参考図書
『構造と力』には特に救われた。本は人生を変えることがある。
