はじめて炎を見たかのような
その日は荒れていた。
荒れたのはサッカーと、
前日に飲み過ぎた私の胃だ。
大学のサークルの夏合宿に来ている。
社会人2年目。OBとしての参加だ。
OBは偉ぶれる。
疲れたら休んでればいいし、
自由に動き回れて最高だ。楽しい。
当時の同期たちと一緒に参加し、
いわゆる老害ムーブをかましていた。
最終日の今日はグラウンドでサッカーだ。
新入生として入ったときには
「卓球サークル」だったはずだが、
卒業する頃には「オールラウンド系卓球サークル」
大学のサークル紹介誌で、
正式にジャンルが変わっていた。
後者の方がより実態に沿っている。
まあいい。楽しければいい。
合宿最終日は午前中にサッカーをして、
昼食後、バスで大学に帰るというプランだった。
サッカーは荒れた。
素人が慣れないスポーツを本気でやると
怪我しがちである。
「小指の骨やっちゃったかも」
と、骨折者も出ていた。
(その時は、気づかず。)
素人だらけの中に、
一人だけサッカー経験がある、長身の後輩がいた。
4チームに分かれたトーナメントは、
彼のチームが無双する形となった。
チーム競技のサッカーやバスケでも、
個の力は大きい。
特に素人だけの場合、
一人経験者が混ざるだけで、
圧倒的なパワーと経験でねじ伏せられてしまう。
私のチームは、1回戦を運良く勝ち進み
無双チームとの決勝に臨んだ。
私は監督兼プレイヤーとして、頭をひねらせた。
出した指示はこうだ。
「ボールを持ったら前に蹴る」
監督も含め、素人の寄せ集めだ。
難しい指示は出せないし、守れない。
でも、ボールを持ったら前に蹴る。
これだけだったら出来そうだ。
パス回しなんか、うまくできないんだから。
考えるだけムダ。
ボールを持ったら相手の陣地へ蹴る。
どんどん、どんどん蹴る。
蹴って蹴って蹴って、
隙あらばゴールネットにボールをねじ込む。
この作戦にすべてを賭けた。
「大きな声を出す」
これもオプションとしてつけた。
元気があれば何でもできる。
かつて燃える闘魂も、
そう言っていたではないか。
いよいよ無双チームとの試合が始まった。
前半10分ほどで、私の率いる、
「前に蹴るだけチーム」が先制した。
完全に勢いの勝利だ。
ここぞとばかりに、
皆で大声を張り上げ、
相手をさらに威圧していった。
ハーフタイムになって、
私は再度指示を出した。
「いい感じ。もっと前に蹴ろう」
一点を守るとか、
そんな器用なことできるわけないんだから。
とりあえず、もっと前に蹴る。
相手チームが攻めに転じるための
時間稼ぎもできる。
その間に、誰かがボールを奪ったり、
また前に蹴ればいい。
シンプルにいこう。
あわよくば追加得点だ。
この指示を守るソルジャーとなった
「前に蹴るだけチーム」は、
なんと、後半にもう一点追加した。
最後は意地で一点を返されたものの、
2対1で勝利を収めた。
試合後サッカー経験者、
長身の後輩が私のもとに来た。
「先に点取られて、完全にペース崩されました」
采配の勝利である。
大声のことは特に言ってなかったが、
きっと効果はあったはずだ。
次の日本代表監督への招集を待っている。
サッカーで大汗をかいた後、
シャワーを浴びたくなった。
みな同じ気持ちだったので、
宿泊施設のオーナーに頼んで、
お風呂に入らせてもらうことにした。
だが蛇口をいくらひねっても、
一向にお湯は出なかった。
しばらく待っても水しか出ない。
「つめてえ!」
「ひーーーっ!」
ざわめきだけが、むなしく響いた。
オーナーさんに確認すると、
「最終日は使わないと思って、ガス閉めちゃった。今から開けるけど、ちょっと間に合わないかも。時間かかるからね」
と言われた。
なるほど。
詰めが甘いぞ。現役生の諸君。
対応は人それぞれだった。
諦めて水のシャワーで
修行のように汗を流す者。
「水ならいいや」
と、タオルで汗を拭き取る者。
私は、
ちょろちょろちょろと水を出しながら、
手のひらで温度をずっと確認していた。
私は寒がりだった。
サウナは好きでも水風呂は少し苦手。
ジリジリに身体を温めないと、
水風呂が浴びられず、ととのわない。
夏でも少し厚めの布団をかぶるし、
冬は、モコモコの部屋着をいつも着ている。
私は負けず嫌いだった。
水しか出ないということに対して、
敗北感を抱いていた。
せっかくサッカーで勝ったのに、
ここで負けるのは嫌だと思い、
水をただひたすら流していた。
ちょろちょろちょろちょろと、
お湯に変わるのをじっと待ちながら。
私は忍耐強かった。
歯医者で虫歯治療の際、
麻酔がうまく効かなかったのか
信じられないくらい痛かった。
麻酔がはじめてだったので、
こういうものかと、声を上げられず、
痛さに震えて無言で涙を流していた。
大人になってから
痛みで泣いたのはこの時くらいだ。
私は面白さを求めていた。
「こうなったら面白いんじゃないか」
という想像や期待を動機に
動くことがよくあった。
スキューバダイビングをやりたいと
ずっと言っていた友人がいた。
先にこっそりとスクールに通い、
友人が始めるまで、黙っていた。
「俺もライセンスとったわ」
というひとネタがやりたすぎて、
黙々と海に潜っていた。
この時も、
「絶対出ないはずのお湯が出たら、きっと面白い」
みんなはとうに諦めている中、そう確信していた。
私は……
……ん?
ずっと水を触っていて、麻痺したのか、
冷たさを感じにくくなっていた。
でもさっきから、
ちょっとだけぬるさを感じる気がした。
いや、ぬるいとまではいかない。
ぬるそうでぬるくない、でも少しぬるい。
まるで桃屋のラー油のような絶妙な具合い。
そんな温度を、一瞬だけ感じた気がした。
引き続き水のちょろちょろを確かめる。
1分ほど経ったとき、今度は明らかなぬるさを感じた。
「きた」
「お湯になってきたぞ!」
私は叫んだ。
今日は大声を出してばかりだ。
そこからは早かった。
すぐにお湯が出た。
ぬるくない。
まごうことなきお湯。
大勝利である。
その瞬間はまるで、
原始人が、はじめて炎を見つけたときのようだった。
今から100万年前の旧石器時代。
人類は火を手に入れた。(諸説あり)
後に言葉も獲得し、
狩猟中心の生活から農耕へ、
石器から金属器へと
進化を続けていった。
彼らのDNAは時代を越えて受け継がれ、
今も私の中に生きている。
火を通じて、
原始人と現代人が手を取り合った
奇跡の瞬間だった。
「ああ、勝ったんだ。」
合宿場の大浴場。
私は、そこに炎を感じた。
「粘ったねえ」
お風呂から上がると
合宿所のオーナーにはそう笑われた。
私はへへへっと笑みを返した。
昼食の時間も、
私は小さな勝利を噛みしめていた。
まだ少し荒れていた胃に、
チャーハンがよく染みた。
おわり
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターの活動費に使わせていただきます!