小説【Y】(佐藤正午著)を読んでしまった…。改訂版〈ネタバレなし〉
知らなくていいことは、知らないほうがいい。
ひとが生まれて死ぬまで、どのくらいの人数のにんげんと知り合っていくののでしょう。「ともだち百人できるかな」という歌詞は知ってはいるけれど、実際に友達を百人作った人にわたしは会ったことはありません。
しかし『ともだち』と呼べるにんげんは難しいかもしれませんが、知り合った人数ならそのくらい達成されうるでしょう。
わたしは大学まで進学しましたが、クラスメイトだけでも300人は超えることに少しゾッとしました。「ともだち百人できるかな」は無理難題だと思っていましたが、やろうとすればできたのです。
しかし不思議なもので、年を重ねれば重ねるほど、無邪気に交流することは少なくなり、だんだんとともだちづくりは下手くそになっていく。
年齢により、友情より恋愛を優先していくからかもしれません。
小学校と中学校の卒業アルバムを見ると、クラスメイトの顔と名前をなんとなく覚えていますが、高校だと確かに記憶に薄いひとが何人かいます。おそらく相手もわたしを知らないでしょう。
大学ではおよそ『ともだち』と呼べる相手は数人で、学びの場での出会いはそっと閉じていく。
それでも学生生活の中で知り得たひとは、今日もどこかで生きている。関係性は無くなったとしても、目の前からいなくなっただけで、どこかで生きている。もはやそれはある意味『パラレルワールド』ともいえるのではないでしょうか。
人生は二者択一の連続。
選ばなかった方の人生はどうだったのか?という謎は一生解くことはできません。
しかし、この『Y』の主人公である 北川健 は、見事人生を繰り返すことに成功したのです。
(わたしはいつかに戻りたいと思うことがあるだろうか)
執念の末18年前にタイムリープできた北川健ですが、この物語は”単なるタイムリープもの”ではありません。
ふたつの物語が同時に進行しているようなものです。
ひとつひとつも重厚ですが、ふたつ重ね合わせると、より ひととしての本性 があらわになります。
二者択一、『Y』の世界。
あのときの選択がいまの人生を決めた といえるようなことはだれの人生においてもどこかしこに転がっています。
その選択の先にあるものは、そのときにはうっすらしか見えない。いや、見える人と見えないひとと、見ようとしない人の三パターンか。
わたしがまだ女性の本性を見たことのない年齢のころ、選択の連続にあっけにとられていたのは間違いありません。
わたしが初めて女性とお付き合いできたのは、ひとつの選択でしたし、その女性と別れるきっかけになったのも、ひとつの選択でした。
選んでるつもりはなくとも、もはや 選ばされてる。
どうするの?と問い詰められているのです。
そんな思い出をふりかえりたくなる小説『Y』
ここには一人の男が抱く、
あこがれの女性への強い想いと、
それに振り回されるもう一人の
男の物語が綴られている。
そしてそれは、
男が男に抱く”嫉妬”のかたまり
のようなもので、うまくいかない
テレビゲームのリセットボタンを
押してしまうような癇癪だったり、
つまらない飲み会から黙って帰って
しまうような衝動だったりする。
一度読み終えた後、
冒頭をもう一度読むことで、
きちんと完結する。
佐藤正午先生、最高です。
