「満点じゃない」と思ったとき、僕はエゴの側に立っている HWM#61
「いまの毎日に、
点数をつけるなら何点ですか?」
そう聞かれて、まず出てきたのは減点だった。
目が疲れる。以前はこんなふうじゃなかった。
身体のケアも、後回しにしている自覚がある。
部屋は片付いていない。
あることについては、正直けっこうピンチだ。
そして、十分に遊べていない。
数え出すとキリがない。
マイナス5点、マイナス10点と、勝手に頭の中で電卓が動く。気づけば70点あたりをうろうろしている。
でも、途中で手が止まった。
この採点、誰がやってるんだろう。
僕はどこかに「満点」を置いている。
片付いた部屋。
整った身体。
余裕のあるお金。
ちゃんと遊べている時間。
それが揃った状態を満点と決めて、そこから引き算している。
その満点、全部カタチの話だ。
カタチの上での完全を求めること。
外側の成功で自分を満たそうとすること。
それをやっているあいだ、内側の完全性——自分の内側にすでにあるもの——を見失っていく。
というより、「今は足りていない」という前提を、自分で採用してしまっている。
エゴの視点だ。
欠乏の視点だ。
最近は、こう思えるようになった。
「満点じゃない」と感じたとき、それは毎日の点数が低い、という話じゃない。
いま僕がエゴの側に——欠乏と自己否定の側に立って、物事を見ているというサインだ。
これは、けっこう使える。
「エアコンが汚れてる。掃除もできてない、ダメだなぁ」
そんなダメ出しに気づいた瞬間、それは失点ではなく、発見になる。
自己否定というエゴの視点が、一つ見つかったということだから。
手放せるものが、ひとつ増えたということだから。
減点材料だと思っていたものが、そのまま気づきの材料に変わる。
出来事は何も変わっていない。
エアコンは汚れ、部屋は散らかったままだし、目も疲れたままだ。
変わるのは、それをどこから見ているか。
それだけ。
でも、エゴの視点を手放し、内側の完全性を思い出したとき。
罪悪感なしに、エアコンを掃除する自分が出てくる。
目をいたわる自分が出てくる。
じゃあ、今の毎日は何点か。
こういう視点が持てるようになってきた、その一点において。
たぶん、満点だ。
そして、あなたの毎日も、たぶん。
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