マゾヒストの私が外の世界で「自分勝手な忠誠心」を自覚した話
お久しぶりです。前の記事から早いもので、10日以上の期間が経ったようです。私にとっては、昨日のような感覚を覚えていますが、それだけ私の内に秘めていたものだったということなのでしょう。
私の核心部分ということで、前の記事はプロフィールということにしておこうかなと思いました。私のハンドルネームも「アラタ」という名前に固定したいと思います。
そしてありがたいことに、私の届かない祈り・届かないであろうと思った手紙が数少ないの方々に届いているようで、とても嬉しい限りです。私の拙い言葉を見てくださり、ありがとうございます。
さて今回は、外の世界に飛び出した話をしていこうと思います。
久しぶりに尋ねた外の世界
信頼できるパートナーを得てから、私は外の世界にパートナーを求めることをパタリと止めていました。時折、頭をよぎる妄想はあっても、そこには常に「良心の呵責」が私を引き止めてきました。
前回の記事で書いた通り、今の私はマゾヒストの性を抑え込んで過ごしており、息苦しい平穏の中で生活をしています。ずっと水中に潜り続けていれば、いつかは呼吸困難になってしまいます。
私にとってのSMは、生きるための「呼吸」に等しいものなので、一呼吸でいいから…と検索バーを叩きました。
「〇〇(地域)+ SM」
そこで見つけたのは、数年前には存在しなかった地元のSM会のホームページ。私はその「外の世界」の扉をノックし、代表の方と直接お会いする機会を得ました。
実際にお会いした会長さんは、この世界の普及に情熱を燃やす、とても活動的な方でした。身分を明かし、安全性を説く彼の姿は、この界隈にありがちな不透明さによる不安を和らげてくれました。
しかし、彼が大切にされているリズムと、私の心の深淵で求めているモノの違いを感じました。私の中の「楔(くさび)」が拒絶するように強く疼くのを感じました。
「演じてしまう自分」という副作用
お会いしている最中、私の中に奇妙な感覚を呼び起こします。
私はマゾヒストでありながら、相手のものを瞬時に察知し、その場にふさわしい自分を演じてしまいます。普通の方も、社会で生きていく上で必要な共感能力の一つだと思います。
その日の私は、無意識に「聞き手」に周り、時には場をコントロールせねば!という「強気な自分(サド性)」を演じてしまいました。これはお会いした方の問題ではなく、私自身の過剰な共感能力です。
相手に合わせすぎると疲れ切ることは明白なのに、何故か過剰に反応してしまうのは、マゾヒストとしての「応えたい」という気持ちなのか、それとも自分自身を「いじめたい」というサド性なのか…。
兎にも角にも、これは私にとって、激しい疲弊を招く「副作用」でしかありませんでした。自分を解放しようと思い外へ出ましたが、皮肉にも「完璧に自分を偽り、コントロールする自分」を再確認する結果となり寂しさを感じました。
私が求めているのは、接待のようなコミュニケーションではありません。
言葉を超えた場所で、自分の命の手綱を預けられる「圧倒的な静寂と支配」なのだと、改めて痛感させられました。
突きつけられる忠誠心
外の世界を覗いた代償は、想像以上に重いものでした。
「一度くらい、外で発散してもいいはずだ」という理性の言葉を嘲笑うかのように、翌日に激しいパニック発作に襲われました。元々メンタルの調子もよろしくなかったので、自業自得といえばそうです。
喉が乾いているからといって、今の私はもう、泥水を啜ることはできません。昔、自暴自棄の頃は、ただ刺激があればいい。あわよくば、そのまま命さえも消えてしまえばよいと、性行為を重ねていた時期もありました。
けれど今は、どうやらそういう行為もできなくなりました。これが良いのか、悪いのか。一般的に見たら「良いことだと」いうのは一目瞭然、寧ろそれが一般的であります。
かつての自分のように、身体を粗末にできなくなりました。そこには、私を支え助けてくれる存在があるからこそ、という事にやっと、この歳で気づいたのです。
会長との対面で鳴り響いたアラームは、私の中で「今のパートナー以外を受け入れられない」と叫んでいる声だったのですね。
今の生活は、確かに息苦しいものです。本能を抑え込む「楔(くさび)」は、時に胸を締め付けます。けれど、その息苦しさこそが、私が彼を選び、彼と共に生きているという「忠誠心」の証であることに、やっと気付きました。
「誰でも良いわけではない」という、あまりにも頑なな自分自身の発見。
それは不自由なことかも知れないですが、同時に、私の中に確かな「今のパートナーけと重り(忠誠心)」が根付いているのだと、救われた気分にもなったのです。誠に、自分勝手な犬であります。
「裏方」という新しい距離感
今回の経験を踏まえて、私は自分自身の立ち位置を定義し直しました。私は誰かに導かれる「プレイヤー」として、外に出るべきではない。ということです。
むしろ、会長のような情熱ある方の活動を支えたり、私と同じように扉の前で立ち尽くしている方の力になる「裏方」としての距離感が、今の私には最もふさわしい立ち位置だと思いました。
自分の聖域(家庭やパートナーとの絆)を犯すことなく、外の世界とは「サポーター」という境界線を引いて接する。それが、私という人間が自分を削らずに、この世界と関わっていくための「新しい呼吸」なのでしょう…。
この事を会長に伝えると、快く受け入れてくれました。これからは、沖縄会に所属する相談役として活動できればと思います。
楔の場所へ
外の世界を覗いたことで、私は再び、自分の打ち込んだ楔の場所へと戻ってきました。少し前までは「絶望」だと思っていた場所ですが、今は少し違う見え方をしています。
パートナーとは今、お互いの持て余した衝動をどう扱うか、二人だけのルールを少しずつ構築中です。完璧な調教も支配も、まだここにはありません。
けれど、壊れていることを自覚している二人だからこそ作れる領域があるのだと思います。私はこの楔を抱えながら、自分だけの領域を守り続けられればと思います。
いつかこの「届かない手紙」を読み終えたあなたが自分自身の境界線を、ご主人様に侵食されることを悦びと感じられれば、私も嬉しいと思います。
