戦争中、天気予報は禁止されていた|気象報道管制と「天気予報は平和の象徴」という気づき
夏は気象担当記者の活躍どき!
気象ネタは視聴者の関心も高く、
ボツになりにくい。
気象庁担当記者だった頃、
当時は
記者クラブの隣に天気相談所があって、
暇さえあれば行き来していました。
暑い日が続くと
「なぜこんなに暑いんですか」
と聞いて、
「夏だから」とからかわれる。
「暑さはいつまで続くんですか」
と質問すれば
「暑さ寒さも彼岸まで」と返される。
そんな風に、
予報官の方々に
可愛がってもらっていました。
ある日、
雑談の中でふと、
こう言われたんです。
「戦争中は、
天気予報が発表されなかったんだよ」
「えっ?」
耳を疑いました。
調べてみると、
1941年12月8日、
真珠湾攻撃と同時に
気象報道管制が敷かれ、
天気予報も
観測データも、
いっさい公表が禁止されていました。
観測データは暗号化して
中央気象台(気象庁の前身)に送るだけ。
国民は、
今日の天気すら
知らされないまま暮らしていたのです。
情報がないことの怖さは、
数字にも表れています。
1942年、
山口県・福岡県・大分県に囲まれた
周防灘(すおうなだ)を襲った台風では、
1000人を超える方が亡くなり、
行方不明になりました。
当時は気象報道管制下。
被害のことを話すことも
禁止されました。
台風情報が届いていれば、
被害が軽減されたかもしれません。
管制が解けたのは、
終戦から1週間後の
1945年8月21日。
陸海軍大臣と運輸大臣の連名で
解除の通達が届き、
翌22日、
NHKラジオの正午のニュースで
天気予報が復活しました。
「東京地方、
今日は天気が変わりやすく、
午後から夜にかけて
時々雨が降る見込み」
国防の理由で
予報の発表が禁止されてから、
3年8か月ぶりのことでした。
「今日は晴れそうです。」
「明日は雨でしょう。」
当たり前に聞いているその一言が、
かつては
国民に届かなかった時代があったんです。
天気予報って、
実は平和の象徴なんですよね。
あなたが今日、
何気なく見た天気予報は、
当たり前にあるものですか。
8月22日の
天気予報復活の日を前に。
