お前の「作品」じゃない(創作とかの思想性について)
『ぼっち・ざ・ろっく!』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”https://t.co/aeKppQuqXJ
— KAI-YOU(カイユウ) (@KAI_YOU_ed) September 14, 2025
覇権を狙うため『ぼざろ』から排除したノイズとは?──最新作『前橋ウィッチーズ』まで、吉田さんが独自の哲学を明かしたトークショーの模様をレポート🗣️ pic.twitter.com/k4LQUqapay
(https://x.com/KAI_YOU_ed/status/1967145440530641311より引用)
創作に思想を入れることは適切なのか。
これはいわゆるアーティストやアスリートの政治的発言についても発想としては同じだと思います。
発信力を持つ者は政治的な発言をすべきか、すべきでないのか。
していいのか、よくないのか。
これについて先に言いますが、僕は創作者、アスリートやアーティストもそうですが、
本人がいかなる思想を持ち、それをどう発信しようとも自由
だと思っています。
それを作品そのものに込めようが、作品はノンポリだけどSNSの発信は思想ゴリゴリ、と区分しようがその辺も当然に自由です。
なぜなら、作品世界の神は創作者だからです。
その作品にいかなる思想を込めようとも、作者の自由です。
もちろん何も込めないのも自由。
また、
主張をすることによりビジネス的に有利かどうかという観点
も勿論必要です。
そうすることによってファンが離れるのか、増えるのか、損得はどうか。
アマチュアならそんなことを気にせずどこまでも好きにすればいい。
でも、プロならその観点はどうしても避けて通れない。
それに対して、ビジネスナントカとか、創作者なら斯くあるべきだ、と批判したり理想像を押し付けるのは簡単です。
しかし、その活動で生計を立てている相手に対して、リスクを負わない周囲が、創作者なら信念を貫け!思想を語れ!というのは無責任でしょう。
創作者やアーティスト、アスリートは自分の責任下で好きに言えばいい。
そして、周囲が「創作者やアーティストたるもの斯くあるべき」と規範を押し付けるのはお門違いです。
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そして、このトピックにはもう一つ重大な論点があります。
もし、創作者が作品に思想を入れたり、アスリートやアーティストが思想を表明したり、脚本家が原作に対して何らかの思想を入れることは問題ないとするならば、例えば
脚本家が原作に対して、保守的、右派的思想を入れても同様の対応でなくてはいけない。
例えば、作品に込められた保守思想、右派思想には反対したとしても、作品に脚本家の思想を入れる行為自体は許容しなくては筋が通らない。
でも、ぶっちゃけ、この脚本家を擁護している意識高い皆さんは超絶激高してその脚本家を吊し上げると思うんですよね。
それはお前の作品じゃない!お前にそんな権利はない!とか言ってね。
かなり高い確率で、多分99.99%くらい。
こういうのは世間では二重基準と呼ばれるのですが、これについては、
我々の思想は「正しい」が、お前らの思想は「正しくない」
だから、その行為を批判しているのではなく、お前らが「正しくない」から批判しているのだ、という感じで彼らの中では正当化されるでしょう。

そんな意識の高いJ・リベラルの皆さんには、百万回このセリフを音読してほしいのですが、あの手の人たちの、「自分は正しい」というのは
宗教的な信念
に近いものがあるので、言うだけ無駄だとは思います。
相互理解は100%無理です。宇宙の果てまで行っても平行線。
何度も書いた通り、「自分は正しい」というのは、宗教的信念みたいなものですからね。
統一某とかそういうのとの同じく、「自分達は正しい」という神を奉ずる一神教の宗教です。
そんな彼らが
異教徒と妥協なんてするはずはない
わけですよ。
一神教の立場からすれば、異教徒は殲滅するか改宗させる以外に道はありませんからね。
先方がそんな感じなので、こちらも相互理解は諦めて、
うるせえんだよ!このダブスタ野郎!
と1000倍の強度で言い返し続けるしかないと思います。
ていうかね、二重基準って個人でやってる分にはいいんですよ。
そもそも、都合のいい二重基準を全くもってないなんて人は絶対にいない。
しかし、ひとたび外に出せば二重基準は通じないし、批判されます。
世間一般は正しさ教の信徒ではないので。
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ここからはあくまで個人的な主張になりますが、
脚本家は自分の思想を原作付きの作品に込めるべきではない
と思います。
それは右派的なものでも左派的なものでも同様です。
これまた個人的な感覚になるのですが、創作物を世の中に出すというのは三段階に分かれると思っています。
一つ目は0から1を生み出す作業。
まっさらな何もないところから、キャラクター、世界観、ストーリー等などを生み出す、多分根源的な創作行為です。
二つ目は1を10にする作業。
如何なる魅力的なキャラも世界観も美しい絵も、世間に知られなければお話になりません。
1をブラッシュアップしその良さを世の中に伝え10にする工程が必要です。
ここには勿論創作的な要素もありますが、運もかなり絡むと思います。
誰もがすぐその良さを分かるような超絶傑作であればこの作業は不要な時もあるでしょうが……そんなものはなかなか無い。
三つ目は10を100とかそれ以上にする作業
10の認知度を獲得した作品をメディアミックスとかしてさらに周知させる。
此処が上手ければ100ではなく1000、10000とかにもなるでしょう。
ではこの3つでどれが難易度が高いのか。
一つ目と二つ目のどっちが大変かは個人的にはかなり議論の余地があると思っています。
無から有を生み出すのは生みの苦しみもあって大変ではあります。
しかし一方でコンテンツのあふれかえる当世では、知ってもらって一定の評価を受けるというのは相当難しい行為なんですよね。
素晴らしいキャラも設定も絵も、知られなければ埋もれて消えてします。
web小説とか見てると、昨日まで無名だったのに突然ランキングを駆け上がってくる作品とかあります。
あれは1の作品が何かの拍子に人目に触れて10になったという状態と言えます。
芸術分野の絵画とかでもそうですよね。
今は偉大なる芸術家として評価されていても、生前は不遇で、没後に何らかの形で脚光を浴びるなんて言うケースは多々あります。
世の中には1として生み出され、人目に触れさえすれば10として評価される可能性があるものは結構あると思います。
そして、日の目を見ずに1のまま消えてしまうものも多いんでしょうね……悲しいことですけど。
そして、この中で
3つ目は、申し訳ないですが、創作としての難度は一段下がる
と僕は思っています。
勿論、10を100、1000に飛躍させるのはそれはそれで素晴らしい素養ですし、創作に必要なものです
しかし、0から1を生み出し、1の状態の物を10にする方が恐らく難易度が高い。
脚本家は創作者か、という点についていうなら、脚本家が創作者であるということは間違いありません。
ここについて議論の余地はない。
その作品世界を理解し放送時間や各種制約のある中で再編集し面白いものに作り直すのは立派な創作です。
漫画原作とかの映画とかを見れば一目瞭然ですが、脚本がアレで死屍累々ですからね。まあ脚本だけのせいではないと思いますが。
それに、既存の作品を組みかえて、既存のファンが満足してくれるように再構成する……しかもこの三つ目は商業的成功することが要求されます。
一から好きに書くよりある意味難しいところもあるでしょう。
それでもなお、漫画原作の脚本は、0から1を生み出し、1を10にする、一番難しい部分をカットしている。
すでに10となっている……つまり、一定の人気を獲得した世界観、キャラクターを使って脚本を書いているんですからね。
10に達している時点で、すでにその作品のクオリティは保証されている。
その良さを信じて、上手く行くか分からないままに1を10にする活動をする必要はないですよ。
その原作が最初から思想性を帯びていて、それと同種の思想を入れるというなら別にいいと思います。
しかし、原作者が作中で明示していない、自分の思想を作品に埋め込むのは明らかに越権行為ですよ。
漫画原作の作品の脚本は脚本家の創作物でいいですけど、その作品そのものは脚本家のものではない。
あくまで第一義的には原作者のものです。
一番難しいところをショートカットしているんだから、そこは謙虚に自分の思想を注入するのは控えるべきでしょう。
こういう意味では、脚本家は
創作者と職人の中間的な位置かな
という気はします。
思想強すぎだろ
— チョコミント撲滅 (@ChocoMINT7474) September 15, 2025
他人の原作使わせて貰ってる時くらい自分を出すなよ
NHKのドラマなんか、思想出過ぎてて肝心の物語が破綻してるの脚本家としてどうなのと思ったわ
(https://x.com/ChocoMINT7474/status/1967500876391858331より引用)
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ともあれ、自分の思想を作中に入れたければ、自分の完全オリジナルの作品で好きにやればいい。
0から1を生み出し、1を10にすればいい。
僕は、いわゆる創作のポリコレ汚染に強い嫌悪を持っていますが、それはこれが理由です。
世界的名作とかのようなすでに名声を獲得した作品に、自分の思想を混ぜ込むのは、一番難しいところを人にやらせて、その名声に寄生して自分の思想を垂れ流す行為です
端的に言って卑劣です。
ていうか、チートでしょ。
自分で作れ。
一から世界観もキャラも設定も考えてオリジナルで作れ。そしてそれを世に問えばいい。
僕は押しつけがましいポリコレは嫌いですが、最初からポリコレてるオリジナル作品には文句は一ミリもありません。
既存作品に上から目線でポリコレ要素を入れたらより良くなるなんて死ぬほど大きなお世話です。
まあそういう作品はコケてばかりなイメージですけどね。
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ていうか、今回のについては、搾取とか性加害がどうとか、私がこう思うとか、そういう余計なことを言わなければ良かったんですよ。
性加害がどうというのは記事の見出しですけど。
より幅広い人に見てもらうために、いわゆる性的な描写は控えめにしました、と言えばいいだけだった。
それなら、脚本家が10を100にするための改変という範囲内としてとらえられたでしょう……ノイズといういい方は批判されたでしょうけど。
現実問題として、性的な描写に拒否感を覚える人がいるのは確かですからね。
当初からエロをアピールした作品でないならば、門戸を広げるための対処と言えます。
インタビューでちょっと思想を迸らせてしまったのが失着でした。
心の中で思っておけば良かったのにね。
