臓器の役割〜「心臓編」感情の話〜
以前から「からだ」のことを発信していきたいと考えていました。
人体で起こる現象には、まだまだ現代医学では解明できないことがたくさんあります。
肉体的なことや霊的なこと。一体どうなっているのでしょう。とてもじゃないですが、私ごときが紐解くことはできません。
これから私の発信していく「こころとからだ」の内容は、私の元々知っている知識を、さまざまなメディアから得た情報と照らし合わせ、備忘録的に綴っていくものです。
答えの出ない「人体」という不思議について、一緒に考えていきましょう。
イタリアの神経外科医、セルジオ・カナベーロ博士の「頭部移植」
カナベーロ博士の「頭部移植」は、博士が2013年に論文を発表し話題になりましたが、2017年に死体を使ったリハーサル手術を行い、再度注目を集めました。
カナベーロ博士の「頭部移植」は、博士が2013年に論文を発表し話題になりましたが、2017年に死体を使ったリハーサル手術を行い、再度注目を集めました。
それは、病気になった人の頭部(脳)を、脳死したドナーの身体に移植するという、極めて野心的というか、倫理観を問われるような手術です。
これは、厳密には「頭部移植」というより、頭の無いドナーが「全身を提供する」という形なので、「全身移植」と表現した方が正しいかもしれません。
現実的に不可能の思える話ですが、”寿命延長”の愛好家たちは、案外関心を持っていたようです。
健康な肉体だけど、脳死で「死んだ人」の体に、自分の頭部を移して新しい体を手に入れる──。凄いですよね。

カナベーロ博士は、理想は「脳だけ」の移植だということを語ってますが、頭部まるごとの方が「自分の顔」のままなので、術後の人生はそっちのほうが過ごしやすいでしょうね。
手術の候補者として手を挙げたのが、ロシア人のヴァレリー・スピリドノフさんという方。
その方は脊髄性筋萎縮症という進行性の難病を抱えていて、長い間車椅子生活を強いられていました。だから新しい身体を手に入れようと、名乗りを挙げたようです。
結局、「倫理的に大問題だ!」という批判が多く、生体手術には至りませんでした。それにスピリドノフさんも結婚し、それを機にその計画からは離脱したらしいです。
いや、本当にしなくて良かったと思います。
東洋医学を学んでる私からすれば、こんなの「違う」ってすぐに分かります。この博士は何を「自分」だと思ってるんでしょう。
「自分」とは何でしょうね?
西洋医学的には「脳」が「自分」になるのでしょうか?
「脳=自分」って、まるで身体が”部品”のような感じがします。
「脳」さえあれば(体のデザインは変わっても)「自分」のままでいれる──。
本当にそうなのでしょうか?

身体を「機能」と考える西洋医学と、「気」や「精神」を宿していると考える東洋医学では、人間観が随分と違っているようです。
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「五神(五臓の精神活動)」について
西洋医学では、臓器を「機能」として考えています。
例えば心臓なら「素晴らしポンプ」であると。そして「思考」や「感情」はあくまでも「脳」で起こり、その他の臓器は関係ないと──。
「東洋思想」では見方が全く違っていて、「五臓」が精神活動を司ると考えます。「五臓」とは臓器、つまり「肝臓・心臓・脾臓・肺・腎臓」です。
そして「神(しん)」とは、各臓器に納まっている「気」のことで「精神」と置き換えてもかまいません。
東洋思想はこういう概念が根底にあるので、臓器はただ「機能」だけの役割じゃないという考え方です。
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心臓、こころ、ハート

心臓の心(しん)は「こころ」とも読みます。
こころには「感情」や「気分」という意味もありますよね。
英語でいえば「ハート:heart」。
「ハート」も心臓という意味もありますが、「感情」「こころ」という意味を持っています。
感情を表すとき、言葉として「ハート(心臓)」が使われるのはなぜでしょう?
「傷心」という言葉がありますが、例えば愛する人を亡くしたとき、残された人が心臓発作にかかる可能性は21倍高くなるという研究もあるようです。
文字通り心(臓)が傷つくんです。
本当に心臓の役割は、血液を送り出すための「ポンプ」だけ?。
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ジェリーとカーターの話
心臓が「単なるポンプ」の役割だけではないと思えるエピソードがあります。これはジェリーの母親と、ジェリーの心臓を移植したカーターという男の子の物語です。
ジェリーの母親は、愛する我が子を亡くしました。しかしジェリーの心臓はカーターの胸で今も動き続けています。
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手術を終え、動けるようになったカーターは、初めてジェリーの母親に会いました。
初めて会ったにも関わらず、カーターはジェリーのママを見るなりすぐに駆け寄っていき、抱きつき、鼻を押し付け何度も擦り付けました。それはジェリーがいつもそうしていたことでした。
ジェリーのママがカーターを抱きしめたとき、そこに確かなジェリーの存在を感じました。
そしてカーターはジェリーのママにこう囁いたのです。
「大丈夫だよ、ママ」

カーターの母親はこう言ってます。
「カーターは、決して知らない人に抱きつくようなことはしません。あの子はとても内気なんです。」
しかし、ジェリーの母親に抱きつき、「ママ」と呼んだのです。
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また別の日、カーターの両親とジェリーの両親が教会に行った時のことです。
それまでカーターはジェリーの父親に会ったことがありませんでした。
カーター家族は遅れて教会に着き、ジェリーの父親は集まった人々の中に座っていました。カーターはそこに向かって走って行き、男性の膝の上に登り、
「抱きしめて、パパ」
と言ったのです。
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臓器移植をおこなった後、このような話はよくあるそうです。
ドナーのかつての恋人に恋をする…。
ドナーと同じ趣味を始める…。など。
東洋思想では、肉体に宿る「魂」を「魄」とします。そして肉体がなくなり天に帰るのは「神」であり、これが「魂」とされています。
東洋思想的に考えると、臓器にはドナーの魂が宿り、移植先の肉体で生き続けていることになります。

臓器移植してから味の好みがかわったり、行ったことのない町のことをなぜか知ってたりという話もあるので、「記憶」だって、本当はどこに保存されているのかはわからないですよね。
こういうエピソードが本当だとするならば、やはり心臓がポンプ機能以上の”何か”の役割がある証明だと思いませんか?
人工心臓(補助人工心臓:VAD)に置き換えた人が、愛していた人たちを気にかけなくなったという症例もあります。
ただ思考ははっきりしているため、「このような態度でいなければならない」といった社会的通念はあります。
なのでおかしな行動を取ったりはしませんが、いわゆる「こころを通わせる」ということがなくなった。あるいはできなくなったようです。
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