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【考察】「運が悪い」のではなく、ただ「運が詰まっている」だけかもしれない

少し前に「運」について考えた記事を書きました。

その記事に、幹夫さんからこんなコメントをいただきました。

「運」は「運ぶ」と書きますよね。
野球でも「センター前に運ぶ」「ライトスタンドに運ぶ」という表現があります。

また、GAGO-276-さんからは、

《運》が悪い…と考えると、今自分のいる出来事が全て悪いものになっているように感じるので、どちらかというと《運》が詰まっていると考えます。

という言葉をいただきました。

「運が悪い」ではなく、「運が詰まっている」。

この表現が、とても印象に残りました。

考えてみると、詰まりというのは、何かがなくなった状態ではありません。

水路もそうです。

水がなくなったわけではない。

ただ、流れる場所が塞がることで、そこに溜まってしまう。

排水口も同じです。

水はある。

でも出口がふさがると、流れなくなる。

もしかすると、人の中にも同じようなことが起きるのかもしれません。

何かが足りないのではなく、抱えすぎたり、流せなくなったりすることで、流れが止まってしまうことがあるのではないでしょうか。

詰まった打球から考えること

野球には「詰まった打球」という言葉があります。

バットの芯で捉えられず、タイミングやポイントが少しずれることで、力がうまく伝わらない打球です。

ただ、詰まった打球がすべて悪い結果になるわけではありません。

詰まってもヒットになることがあります。

相手の守備の間に落ちることもあります。

だから、詰まり=悪いこと、ではないのだと思います。

でも、詰まり続けると流れは悪くなる。

大切なのは、「詰まったこと」ではなく、なぜ詰まっているのかを見ることなのかもしれません。

とらえる、とらわれる

野球では「ボールをとらえる」という言葉も使います。

「とらえた当たり」とは、バットの芯でボールを捉え、力がうまく伝わった打球のことです。

ここで面白いと思ったのが、「とらえる」と「とらわれる」は似た言葉なのに、意味が全く違うことです。

とらえるためには、適切な距離が必要です。

近すぎても見えない。

遠すぎても力が伝わらない。

ちょうどいい距離で向き合うからこそ、力を伝えることができます。

一方で、とらわれるというのは、何かに心を奪われ、そこから動けなくなる状態です。

過去の経験。

理想の未来。

周囲からの評価。

自分への期待。

それらは決して悪いものではありません。

でも、距離が近くなりすぎると、今いる場所が見えなくなってしまうのかもしれません。

流すことは、手放すことではない

人は、うまくいかない時ほど何かを足そうとするのかもしれません。

新しい考え方。

新しい方法。

新しい目標。

でも、本当に必要なのは、足すことではなく、流れを取り戻すことなのかもしれません。

水は、流れるから綺麗になります。

滞れば、大切なものでも淀んでしまう。

過去を捨てる必要はありません。

経験も失敗も、自分を作ってきた大切なものです。

ただ、一度流して、今の自分に合う形へ変えていく。

それが必要な時もあるのだと思います。

自分の図面に戻る

以前、「強い人とは何度でも自分の図面に立ち返れる人なのかもしれない」という記事を書きました。

図面を見るということは、理想だけを見ることではありません。

今の自分はどうなっているのか。

どこがズレているのか。

そこを確認することです。

詰まっている時、人は「何かが足りない」と思ってしまうのかもしれません。

もっと頑張らなければ。

もっと変わらなければ。

もっと何かを手に入れなければ。

でも、本当は足りないのではなく、流れていないだけなのかもしれません。

出口を確認する。

距離を見直す。

自分の図面に戻る。

そうすることで、また自然と流れが生まれることもあるのだと思います。

「運」は、ただ待っているものではなく、自分自身も流れの中で動きながら出会っていくものなのかもしれません。

詰まっている時は、終わりではなく、流れを見直すタイミング。

出口を見つけて、少しずつ流れを取り戻せばいい。

そんなことを考えました。



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