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わからないまま、応援する

昨日の試合後の伊藤大海投手のコメントを読んで、いろいろと考えてしまいました。

「原因をつくろうと思えばいくらでもつくれはしますけど、自分の性格的に自分で消化したい。自分に責任をつけて消化したいというのがあるので。自分の心が壊れないように、自分の中でうまく消化してやるっていうのはやっていかないと、一年間気持ちが持たないので、自分のことは自分で守ろうかなとは思います」

伊藤大海投手の性格的なものもあると思います。

自分に責任がある。
自分で何とかしたい。

そんなイメージがあります。

その言葉を読んでいたら、急に

「信じるってなんだろう」

と思いました。

昔、友達が言っていた言葉を思い出しました。

「信じるって楽なんだよ」

当時は、あまりピンときていませんでした。

信じるって大変じゃない?
信じるって怖くない?
信じ続けるって難しくない?

ずっとそう思っていたのです。

でも、今は少しだけ、その言葉の意味がわかる気がします。

「信じる」と「安心する」は、少し違う

信じるって、わからない状態を終わらせる言葉なのかもしれません。

わからない状態が続くのは怖い。

だから、誰かや何かを「信じる」と決めることで、自分の立場が決まる。

少し安心できる。

そういう意味では、信じるって楽なのかもしれません。

でも、

「この人を信じたいから信じる」

というのと、

「わからないのが怖いから信じる」

というのは、同じ「信じる」でも、出どころが違うんじゃないかなと思いました。

前者は、自分の意思から来ている。

「私はこの人を信じたい」

と、自分で選んでいる。

一方で後者は、

怖いから、信じるものを決める。

そう考えると、安心するために「信じる」を選んでいるとも言えるのかもしれません。

「わからない」を終わらせるために、何かを信じる。

でも、それでまたわからなくなったら、今度は別の何かを信じたくなる。

「あの選手が」
「監督が」
「チームが」

と、自分が安心できそうなものを探してしまう。

もしかしたらそれは、「信じる」というより、安心を探しているだけなのかもしれません。

信じることと、丸投げすること

そう考えると、「丸投げ」という言葉はよくできているなと思いました。

不安も、判断も、責任も、結果も。

いつの間にか、相手に預けてしまう。

「あなたを信じてるから任せる」

と言って、結果が悪かったら、

「あなたに任せたのに」

となる。

もちろん、誰かに期待すること自体が悪いわけではありません。

好きだからこそ勝ってほしいと思うし、期待しているからこそ、うまくいかなかったときに悔しくなる。

チームや選手への批判がすべて悪いとも思いません。

ただ、外から見ている私たちには、その人が本当は何を思っているのかなんて、わからないのかもしれません。

大切な推しを守りたいから、誰かのミスを探してしまうこともある。

信じていた結果がよくなくて気持ちが揺れるから、「何かのせいだ」と思うことで落ち着こうとすることもある。

だからこそ、自分の不安や期待まで、相手に預けてしまわないことが大切なのかなと思います。

信じるって、キャッチボールなのかもしれない

そんなことを考えていたら、昔、部活でキャッチボールをしていたときのことを思い出しました。

先生に、

「相手の取りやすいところに投げなさい」

と言われました。

当たり前のことだけど、これって「相手を見る」ということなんだと思います。

自分が投げたいところに投げるんじゃない。

相手が今どこにいるのか。
どんな状態なのか。
どこなら受け取りやすいのか。

それを見て投げる。

キャッチボールは、自分が投げたらそれで終わりじゃない。

相手が受け取って、返してくる。
その球を自分が受け取る。
そして、また投げる。

だからキャッチボールをするには、

「この人は受け取ってくれる」

と信じていないと投げられないんですよね。

もちろん、投げた球を必ず受け取ってもらえるわけではありません。

それでも、「受け取ってくれるかもしれない」と思うから投げることができる。

そして、返ってきた球を自分も受け取る。

私は、これが「丸投げ」と「信じる」の違いなんじゃないかなと思いました。

丸投げは、投げたら終わり。

でも信じることは、

投げる

受け取ってもらう

返ってくる

自分も受け取る

もう一度投げる

という繰り返しなのかもしれません。

返ってきたものを受け取って、

「それでももう一度投げたい」

と思えば投げる。

「もう投げるのをやめよう」

と思えばやめる。

それも自分で決める。

信じることは、相手に全部を預けることではなくて、相手とのやり取りを続けることなのかもしれません。

「当てるため」じゃなく、「好きだから」

少し前に、マイナビオールスターゲームをテレビで見ていたとき、dボタンでゲームができました。

この回でパ・リーグが得点するかどうか。
この打者が打つかどうか。

そんな予想をして、ポイントを賭けるゲームです。

私はパ・リーグを応援したいので、

「パ・リーグは得点するでしょうか?」

という予想に、持っているポイントをすべて賭けました。

見事に外れました。

でも、すごく面白かったんです。

パ・リーグが好きだから、パ・リーグに賭けた。

ポイントがなくなっても、それすら面白かった。

あれはたぶん、

「当てるために信じた」

のではなく、

「好きだからこっちを選んだ」

ということだったんだと思います。

「信じてるから勝ってね」

と、

「勝つかどうかはわからないけど、私は応援したい」

は、似ているけれど少し違うのかもしれません。

前者は、結果まで相手に求めてしまうところがある。

でも後者は、結果は相手のもの。

自分は、自分の意思で応援する。

だから、負けたとき、うまくいかないときに、

「誰かが悪い」

と決めつけなくてもいい。

結果を受け取って、

それでもまた応援するのか。
少し離れるのか。
別の見方をするのか。

そのときまた、自分で決めればいい。

昔、友達が言っていた、

「信じるって楽なんだよ」

という言葉。

今なら、少しわかる気がします。

ただ、私が思う「楽」は、わからないことを誰かに預けることではない。

結果がどうなるかわからなくても、

「私はこっちを応援したい」

「私はこの人を信じたい」

と、自分で決めること。

そして、返ってきたものを受け取って、また自分で決めること。

信じるって、答えを決めることではなくて、

わからないままでも、自分がどうしたいかを決めること

なのかもしれません。


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