Web3はどこに消えたのか?
2018年10月、ロンドンのサザビーズ。バンクシーの「風船と少女」が104万ポンドで落札された、まさにその瞬間だった。額縁に仕込まれたシュレッダーが作動し、キャンバスは裁断されながら額の下へとずり落ちていった。会場は騒然となった。競売にかけられる自分の作品を、落札の槌が鳴った直後に、作者みずから破壊してみせる。アートを投機の対象としてしか見ない市場への、これ以上ないほど痛烈な批評だった。
ところが、話はここで終わらない。裁断は途中で止まった。バンクシー本人が後に明かしたところによれば、本当はすべて裁断されるはずだったのだという。つまりシュレッダーは故障した。そして半分だけ裁断されたこの作品は「愛はゴミ箱の中に」と改題され、破壊される前よりも価値を上げた。3年後、同じサザビーズで再び競売にかけられ、1858万ポンド。およそ18倍である。市場への批評は、市場によって咀嚼され、市場最大の商品として陳列棚に戻された。バンクシーの仕掛けは半端に失敗したが、それを飲み込んだ市場の胃袋は、一度も故障しなかった。
Web3の話をしたい。
ブロックチェーンという技術は、本当にすごかった。中央の管理者なしに、互いを信頼しない者同士が、たったひとつの台帳を共有できる。計算機科学が長らく抱えてきた難問への、実装をともなった鮮やかな回答。あれを初めて理解したときの、背筋がすっとする感じを覚えている人は少なくないはずだ。国家も銀行もプラットフォーマーも要らない。世界の設計図を書き換えうる発明が、論文とコードのかたちで、誰の手にも届く場所に置かれていた。
だが、その設計図に値札が付いた瞬間、何かが変質した。NFTは「デジタルの所有」を謳いながら投機の回転率を競い、Play to Earnのゲームは遊びよりも先に稼ぎを設計し、DAOと呼ばれた組織の多くは、蓋を開ければ資金調達の器だった。「分散」「所有」「透明」という理念は、ホワイトペーパーの冒頭を飾る美辞麗句となった。NFTの売上はピークから1年で8割近く消え、ブロックチェーンゲームは次々とサービスを終了した。技術が悪かったのではない。技術に群がった欲望の速度が、技術が社会に根を張る速度を、あまりにも大きく上回っただけだ。
では、Web3は死んだのか。皮肉なことに、死んでいない。ステーブルコインの年間取引額はいまやVisaを超える規模に膨らみ、資産のトークン化には銀行と資産運用会社が列をなす。生き残ったのは「国家からの自由」を捨て、規制に順応したクリプトだった。反体制の思想は、体制の配管として採用されることで生き延びた。
そして先週、2026年7月10日。改正犯罪収益移転防止法の罰則強化が施行された。口座売買への刑罰が引き上げられ、「送金バイト」が新たに処罰の対象となった。注目すべきは条文の射程だ。規制対象には、暗号資産交換業者のウォレット情報が明記された。譲り渡せば、預貯金通帳と同じように罰せられる。銀行のいらない世界を夢見た技術は、法律のなかで、通帳の隣の棚に収められた。
バンクシーが額縁に仕込んだのはシュレッダーだった。Web3の額縁に仕込まれていたのは、最初から値札だったのかもしれない。それでも、あの台帳の発明そのものは、いまも故障していない。静かに、金融の配管のなかで動き続けている。
Web3はどこに消えたのか。消えてなどいない。ゴミ箱の中で額装され、以前より高い値で、売られている。
【参考文献】
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