日本の知能はだれのものか?
スティーブ・ジョブズの来日は、いつも静かだった。お忍びで京都に通い、定宿の俵屋に泊まり、蕎麦を啜り、新版画を買い込んで帰った。若き日の彼にとって日本は仕入れ先であり、なにより教室だった。ソニーの工場を見学し、盛田昭夫に心酔し、シンプルさの美学を持ち帰った。
ビル・ゲイツも似たようなものだ。1970年代末、まだ無名だった彼はアスキーの西和彦と組み、日本のPCメーカーを回った。当時のマイクロソフトの売上の相当部分は日本からのものだったという。
つまり彼らは、学びに、あるいは稼ぎ場を求めて、この国に来た。テクノロジーの巨人にとって日本は、師匠か、さもなくば主戦場だった。
2026年7月15日、ジェンスン・フアンの来日は、静かではなかった。35度の猛暑のなか革ジャンで秋葉原を歩き、街ゆく人と写真に収まり、たちまち人だかりをつくった。夜は神田の居酒屋で日本の経営者たちと杯を交わした。
行きつけのラーメン店を記者に問われ、「たぶん今夜かな」と笑ってみせる。完璧なサービス精神である。ブルームバーグはこれを「人心掌握術」と評した。
ジョブズは学びに来た。ゲイツは売りに来た。フアンはどうか。彼は、歓迎されに来たのだ。そして僕らは、盛大に歓迎した。
翌16日、経産省の国産AIプロジェクト「FRONTia」が始動した。ソフトバンク、ソニー、NEC、ホンダを中核とする44社出資の新会社Noetraと産総研が開発を担い、NVIDIAの最新GPU約27,500基からなる国内最大級の計算基盤を使う。政府は5年で1兆円規模を支援する。フアン氏は言う。
「日本の知能は、日本にとって根源的な知的財産だ。ここで開発し、ここで育てるべきだ」。
正論である。ただしこの正論は、世界20カ国以上で語られてきた。NVIDIAのソブリンAI関連売上は前期比3倍超の約300億ドル。各国に「主権」を説いて回ることが、そのままこの会社の収益源になっている。
国産AIの心臓部は、輸入品のGPUで動く。主権を買って、主権を目指す。構図としては、なかなかの捻れである。
とはいえ、反対する理由も見当たらない。米国が先端AIモデルの外国利用に制限をかけはじめた以上、自前の基盤を持たないリスクはもはや観念論ではない。
引っかかるのはむしろ、この国の政府が「半導体」のそばで旗を振ったときに何が起きてきたかを、僕らがよく知っていることのほうだ。
国策で束ねられたエルピーダは2012年に破綻し、官民ファンド主導のジャパンディスプレイは赤字を重ねた。遡れば、通産省が10年と500億円超を投じた第五世代コンピュータ計画がある。
国が旗を振り、企業が呉越同舟し、世界一を目指し、そして市場が別の場所へ行ってしまう。このパターンを、僕らは一度ならず見てきた。
FRONTiaが過去と違い得るとすれば、その根拠はGPUの数でも予算の桁でもない。唯一、誰からも買えないものがあるとすれば、それは現場のデータである。世界一の製造現場、高齢化の最前線、災害対応、福島第一原発の廃炉。
フィジカルAIの性能を左右するのは、モデルの賢さ以上に、現実の手触りを知るデータの質と量だという。過酷な現実を大量に抱えていることが競争力になるというのは、素直に喜んでいい話なのか分からないが、少なくともそれは、シリコンバレーの誰も持っていない。
ジョブズが日本から持ち帰ったのは、版画と、シンプルさという思想だった。40年後にAppleという果実になったのは、京都で買った土産物ではなく、持ち帰った問いのほうである。
フアン氏が居酒屋で振る舞った気さくさの対価として、僕らは1兆円分のGPUを買う。それ自体はいい。問題は、テープを切ったあとに手元に残るのが、減価償却の終わった計算機の山なのか、それとも「日本の知能」なのか、である。
巨人が学びに来る国から、巨人を接待する国になった。次に誰かが学びに来る国へ戻れるかどうかは、あの晩の酒の味ではなく、この5年の使い方が決める。
【参考文献】

