選択式小説『まだ、名前で呼べない』第9話
第9話 『松下ハル』という新入社員
営業部長である斎藤から見せられた履歴書には、年より幼い印象を受ける女性の写真と、彼女の履歴が書き連ねられていた。
「造形学部……?」
「そうだ。やっと正式に基礎を学んだ社員が入るな」
「そうですね。みんなも頑張っていますが、独学ですから」
「お前と大塚から始まって……新入社員を入れると六人になるか」
「はい。ですが、今は印刷物とウェブサイトだけでなく、SNSや動画もありますから、人手は足りないくらいです」
「新人に期待するとしよう」
「そうですね」
インターネットの普及から、すごい速さで様々なものが追加された。
すべてを外注に任せるのは費用がかかりすぎると、できたのが広報グループ。初期は蓮と菫の二人のみ。外注先のデザイナーにノウハウをなんとかして教わったりもした。
その後、吉川、前田、沙織と続き、なんとか広報グループを回している状態だ。人員が増えるのは望ましい。
ましてや、造形学部というデザインの基礎を学んだ者なら、即戦力へ繋がるかもしれない。
蓮は少しだけ心が軽くなったと感じて、部屋に戻り皆に新入社員が一人配属されることを通達した。
***
配属日、彼女は緊張した面持ちで斎藤営業部長から紹介された。
「広報グループのグループ長を務めている小宮です。よろしく」
「ま、松下ハルと申します。よろしくお願いします!」
思いきり頭を下げて挨拶する彼女に、緊張しなくていい――と言いたくなるほどだった。
広報グループの部屋に着くと、待っていた菫たちにハルを紹介する。
広報グループの面々は、性格に癖はあるものの、悪い人たちではないことを、蓮は良く知っている。きっと、ハルもすぐに察して、仲良くできるだろう。
沙織に頼み自分の仕事をしながら、ハルの仕事の様子を見ていたが、彼女がずっとパソコンに向かい合っているのに気付く。もう、昼休みだ。
蓮はハルに声をかけたが、すぐに返事をすることはなく、何度目かの呼びかけに「はいぃいぃっ!?」と少々間の抜けた声が返ってきた。
「あの……すみません、主任」
「小宮でいいですよ。それにしても、すごい集中力ですね」
「え?」
「もう昼休憩です」
「え? もうそんな時間?」
本人に至っては、それほど気にしていないようだった。
とはいえ、グループの人間の健康管理も蓮の仕事だと認識している。沙織にハルを食堂に案内するように頼んだ。
そして、お約束のごとき失敗を、ここで発揮した。持ったバッグがファイルに引っかかり、ばさりと落ちる。
「ご、ごめんなさいっ」と慌ててハルが手を伸ばしたが、二次被害が出そうな予感がして、蓮はハルを止めた。
「休みは無限じゃない。ファイルは机に置いておくから、まずは食事に行ってきなさい」
ハルは申し訳なさそうな顔をして、何度も謝罪してから沙織についていった。
蓮は小さくため息を吐く。
(造形学部というのは魅力だけれど……少しばかり行動に問題があるな)
「松下さん、かなり慌ててしましたね」
「吉川さん、ああいうのをドジっ子属性って言うんですよ。可愛いですよね~。見た目もいいし」
「前田は少し口を閉じなさい」
「吉川さん、冷たっ」
吉川と前田が先ほどの様子を見て、感想が漏れ出る。
(ドジっ子属性?)
聞いたことはあるが、そんな漫画じゃあるまいし――と思うが、先ほどのことを考えれば、なぜか納得してしまった。
次の日は、公園で一人でいるのを見かけ、気になって声をかけた。
菫と沙織の性格から、ハルの面倒を見るのを嫌がったとは思えないが、万が一そうであればグループ内での問題になる。
そう思って声をかけると、沙織から弁当持参なら公園で食べるのはどうかと提案されたらしい。
確かに、この公園は整備されているが人が少なく、ゆったりと出来る。
そのおかげか、ハルの読んでいた本の話になり、午後の始業時間を忘れて喋っていたことについては、蓮自身も驚いていた。
慌てるハルに、落ち着いた口調で説明し、会社の制度を利用して慌てずに午後の仕事に戻る。ハルはその失敗から学んだのか、いつの間にかスマートフォンにアラームをセットし、昼休み終了五分前には自分で気づくようにしていた。
今まで近くにいた女性とは少し違ったハルに、蓮は変わった子だと思うものの、根は正直で素直なため憎めないなと思った。前田の言った『ドジっ子属性』というのを理解してしまった気がする。
***
そんなハルとは本という趣味で合うせいか、土曜日の午前中に図書館で出くわした。
声をかけると、一瞬きょとんとした顔をした後、「あ、小宮さんっ。お疲れ様です」と慌ててお辞儀をする。
会社ではないのだが――と思いながら、蓮は苦笑した。
その後も、出入口を間違ったり、重そうな本を抱えて移動しようとしているのを見かねて、蓮は送っていくと提案した。
これには、自分でも驚いていた。
危なっかしくて、つい口が、手が出てしまうんだろうと位置付ける。
しかも、それを証明するかのように、送っていった彼女のアパートで、コーヒーでもどうかと誘われた。
無防備すぎる。
蓮は他人――特に異性を簡単に部屋の中に招かないよう、ハルに説明して、彼女のアパートをあとにした。
「本当に……一人暮らしなんかして大丈夫なのか? 不用心すぎる」
帰り道、信号待ちで停車した時に、つい呟いてしまうほどに。
それでも、あの裏表のない笑顔で言われると、断るのが難しいと感じてしまった。
***
その罪悪感からか、月曜の朝はハルから『お礼』だと言われて出された手のひらサイズの水色の袋を、つい受け取ってしまった。
「コーヒーです。美味しいのでどうぞ」
「……朝、飲んでみます」
「良かった!」
参った。
土曜日に沈んだ表情をしていたのに、もう切り替えていた。
どうも、ハルに振り回されている感じがする蓮だったが、同じ職場なのだから仕方ない。それに彼女は他の人にも同じように接している。
蓮だけが特別ではないのだから、気にする必要はないのだと改めた。
昼休みになり、蓮は馴染みの牛丼屋に行った。早く食べて午後の打ち合わせの資料の用意をしようと思っていた。
けれど――。
「あ、小宮さん」
「……松下さん、よくここで食べていますね」
「本をゆっくり読むなら、こういう所の方がゆっくりできるので」
「そうですか。それは土曜日に借りた本ですか?」
「はい、そうなんです」
汚さないためか、丁寧にブックカバーが付けられている本は、タイトルが隠れていて分からなかった。
そして、またもや弁当にほぼ手が付いていない状態だった。
「……松下さん、先に食事をされた方がいいと思いますが」
「あ! つい、忘れちゃって」
ハルは思い出したとばかりに、本を置いてサンドウィッチに手を付け始める。
おにぎりにしろ、サンドウィッチにしろ、片手で摘んで食べられるものを持ってきているようだが、本を読みながらは無理だろう。
「そういえば、小宮さんはまた牛丼ですか?」
「はい、楽なので」
「楽、ですか」
ハルが何か引っかかったように言うのが、蓮は意外に思えた。彼女は相手の意思を否定するようなことは言わないから。
「サラダも付けるといいと思いますよ」
「サラダですか」
「はい。やっぱり野菜も大事ですし」
「そうですね。早く済ませたいときはどうしても偏ります」
「そうなんですね。でも、私も牛丼屋行ってみたいです」
入ったことないんです――と続けるハルに、女性一人で来店している人もいたことを教える。
すると、ハルは驚いた顔をしていた。
「知らなかったです。なんか、男の世界のような感じかと……」
「男の世界……」
彼女の頭の中は、いったいどうなっているのか――そう思うと、思わず笑みがこぼれた。
「あ、小宮さん、酷いです」
「酷い、ですか?」
「だって、今笑いました!」
「見間違いではありませんか?」
自分がそんなことで笑うなんて――と信じられない。
それなのに、ハルは「見間違いなんかじゃありません」と言う。
「小宮さんって、意外と顔に出るんですね」
「顔に?」
「ええ。今もそうだし、土曜日の時も私にどう説明しようかちょっとオロオロしてました。新鮮な小宮さんを見れました」
笑顔で言うハルに、蓮は固まる。
今まで、考えが顔に出るなどと言われたことがなかった。
『蓮君って、表情が変わらなくて何考えているか分からない』
昔、付き合った女性に言われた言葉。
同じようなことを、他の女性にも言われたのに。
『小宮さんって、意外と顔に出るんですね』そう言って笑うハルは、他の女性と全く違うことを言ったのだった。
「小宮さん?」
「いえ、とりあえず、話をしているとまた遅刻しますよ。俺も資料の準備があるので、もう行きます」
「あ、はい。用があるのに引き止めてすみませんでした」
蓮は「それでは」と言ってからベンチから立って会社に向かう。
心の中は、少し複雑な心境だった。
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今回は蓮視点でした。次回はまたハル中心に戻ります。
そして、次の選択は……お仕事に戻って(タグの#オフィスラブが詐欺にならないように)
A. 外注先のデザイナーのところに二人であいさつに行く
B. 新規プロジェクトに参入。ハルが初めて最初から携わることに。
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