選択式小説『まだ、名前で呼べない』第5話
第5話 大学の友人とインドカレー
「ハルちゃん?」と沙織に名前で呼ばれて、ハルははっとした。
「あの、すみません。今日、大学の友達と会う約束をしていて。……せっかく誘ってくれたのに……」
勝手に落ち込んで、視線が下に下がっていく。
その様子を見て、菫は小さく息を吐いた。沙織は菫よりも大げさにため息をついた。
「別に気にしてないわよ。誘ったのは急だもの」
「そうよ、気にする必要ないわ」
「でも」
「そうね、これがあなたの歓迎会だったら、主役がいなくてどうするの、とは思うけど」
「そうよ。でも、悪いと思うなら、今度ご飯に行きましょう?」
菫と沙織が軽い口調で言ってくれたため、ハルはやっと持ち直して、顔を上げた。
「はいっ」
「うん、元気ね。ハルちゃんはそっちの方が合うわ」
「やっぱり、若さは良いわね」
「……菫さん」
半ば茶化すように言う菫に、軽いツッコミを入れる沙織。いい人たちだ――とハルは素直に思った。
「ありがとうございます」
「じゃあ、金曜日とかどう?」
「あ、大丈夫です」
「それじゃ、金曜日にしましょうか」
「そうですね」
「はい」
話はとんとん拍子に決まって、金曜日に菫と沙織と夕食の約束になった。
ハルはカレンダーアプリに予定を入れる。
「お店とかは、また今度決めましょう」
「そうですね。もう休み時間も終わっちゃうし」
「分かりました」
「ハルちゃんも、行きたいところがあったら言ってちょうだい」
「はい」
話は決まった――とばかりに、菫と沙織はハルの席から離れた。
沙織は席に着いたが、菫は吉川の所へ行き話しかける。
「ハルちゃんに振られちゃった。吉川君と前田君、今日暇?」
「大塚さんのお誘いなら断れませんよ」
「あら、それはどういう意味かしら?」
「別に他意はありません」
吉川はあっさり答え、前田に向かって「前田はどうです?」と声をかけた。
前田も「大丈夫でーす」と答える。
菫は満足そうに笑みを浮かべ、「じゃあ、仕事の後でいつもの居酒屋なんてどう?」と尋ねた。
二人とも「問題ありません」「オッケーです」と答えた。
ハルはそんな様子を見て、軽い気持ちで十分なんだと思い改めた。飲み会や食事会は大学時代の時にもよくあった。
けれど、会社に入ってからは、これが初めてだったので重く受け止めてしまったようだった。
***
三十分の残業を終え、ハルは美也子と会う予定だった店へと向かった。
電車に乗り、二駅先の駅前のインドカレー屋に向かう。美也子が「インドカレー食べたい」と言い出して、一番近い店になった。初めてなので、味はどうかわからない。
南口から駅を出るために階段を下りていくと、美也子が下で待っていて手を振っていた。
「美也子、久しぶり」
「ハル、元気だった?」
互いに声をかけあうと、一瞬で大学時代に戻ったかのようだった。
けれど、美也子はスーツを着て一目見てOLと分かる格好だった。
「美也子って、社会人って感じだね」
「ハルはあまり変わってないね。そういう服でいいの?」
「うん。営業じゃないから。あまり奇抜な格好はできないけど。スーツといえば、主任の小宮さんくらいかなぁ?」
広報グループの中、蓮だけがしっかりとスーツを着こなしている。
吉川や前田は、スーツを着ててもすぐに上着は脱いでしまうし、ネクタイも外してしまう。
そのことに蓮は注意することもなかった。
たった二日だけれど、見えるところは見えるものだ。
「とりあえずお店に行こ。お腹すいた、早くビリヤニ食べたい」
「カレーじゃなくて?」
「カレーならファミレスでも食べられるよ。私はビリヤニが食べたいんだよね。ビリヤニはインドカレーのお店じゃなきゃメニューにないよ」
「へぇ」
ハルはビリヤニを食べたことがなかったので、美也子の言うビリヤニがどんなものかわからない。
どんなのだろう――と疑問に思いつつ、お店の扉を開けるとスパイシーで食欲を刺激する香りが漂ってきた。
「美也子、お腹が急に空いたみたい」
「私もだよ」
カレーのスパイスは食欲を刺激されるようで、二人は席に着くなりメニューに飛びついた。
「……どうしよう、ビリヤニ食べたかったけど、ディナーセットとか惹かれるね」
「うん。どのカレーも食べてみたい。……ビリヤニってこういう料理だったんだ」
メニューの写真を見て、ハルは初めてビリヤニを知った。
それ以外にはディナーセットが大きく載っている。よく見ると、二種類のカレーを選べるセットもあるようで、ハルはそれにしようと決めた。
「私、この二種類のカレーにする」
「ふうん。カレーはどれ選ぶ?」
「うーん……ダルカレーとマトンカレーかな」
「マトンって羊肉でしょ。美味しい?」
「うん。特にカレーの場合はスパイスが効いてるから、あまり気にならないと思うよ」
「うーん……私はチキンビリヤニにする」
二人はそれぞれ頼むものを決めると、店員を呼んで注文をした。
店員は日本語が片言で、外国人だとわかる。それでも日本語はわかるようで、きちんと伝票に記入して、しばらくするとセットのサラダが出てきた。
「で、どう、ハルの方は? 広報グループになったって喜んでいたけど」
「うん。面白いよ。でも、まだイラストレーターとかどれくらい使えるかを見ている感じかなぁ? まだ二日だしね」
「そうだね。私の方は営業だから、なんとなく空気が殺伐としているんだよね」
「そう? うちは……穏やか、かな。雰囲気いいよ」
「いいなぁ、羨ましい」
最初は心配していた。
広報担当といえど、営業部に属する。売り上げ第一な営業が近くにあったら、雰囲気にのまれそうだと思った。
けれど、広報グループは六人の割には広めの部屋で、個性はあるけれど、きつい性格の人はいない。ハルは居心地がいいと感じていた。
それに。
(固そうに見えていた小宮さん、あんなに喋るとは思わなかった。本が好きなんだなぁ)
昼間の蓮の様子に、ハルは蓮に対して近寄りがたいと思っていた気持ちが消えていた。
「ハル?」
「あ、ごめん。上司の人がちょっと堅苦しいかなって思ってたんだけど、全然違ってたから」
「へぇ。名前は? どんな人?」
「名前は、小宮さん。主任で広報グループのリーダーをしているの。穏やかな話し方なんだけど、仕事の時は最低限の会話しかしませんって感じだったけど、本の話で盛り上がって喋りこんじゃった」
蓮の口調はいつもですます調で、他人と距離を取っているように感じた。上司なのだから、部下との間に線を引いているのかもしれないし、本来の話し方なのかもしれない。
それでも、本の話になった時には、口調は変わらなかったけど、話し方に温かみを感じた。
「ホント、いいなぁ……と、ハルの方もう来たよ」
美也子が言いかけたところに、店員がカレーとナンのセットを持ってきた。
「カレーセットです」
「ありがとうございます」
ハルはそう言って、食べかけのサラダを横に置いた。目の前に二種類のカレーと大きなナンがでん、と置かれる。なかなかに食べ甲斐がありそうだった。
続いて美也子のビリヤニが届いた。
もともとスパイシーな香りに包まれていたが、さらに香りが濃くなる。
「美味しそう」
「うん。味はどうかな?」
美也子がビリヤニをスプーンで掬って口に入れる。辛かったのか、熱かったのか、美也子は口元を手で押さえた。
ハルはそんな様子を見ながら、ナンをちぎってダルカレーに付けて口に入れた。辛さは中辛くらいにしたけれど、意外と辛かった。
「……美味しいけど、辛い」
「うん。辛い。思ったより辛いね。よく行っていたお店より辛い」
「うん。『マサラ』はもうちょっとマイルドだったね」
二人とも水を飲んで、一息ついた。
そこで、美也子は意を決したように口を開いた。
「そういえば、さ」
ハルはナンをちぎりながら「うん?」と尋ねた。
美也子は少し言いにくそうに、少しの間ためらった後。
「桜庭を見かけたんだ」
「桜庭君を?」
「うん。アイツ、また別の女連れてた」
「……そう」
桜庭――桜庭弘樹は、大学時代にハルが付き合った人だ。
ハルは当時を思い出して、少しだけ気持ちが沈んだ。
次回の選択:ハルの大学時代の彼氏の話が出たよ⁉ 続きをどうする?
A:美也子が「この話はやめよう」と切り上げる。
B:ハルが「どんな感じだった?」と話を続ける。
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