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メガネを忘れた朝の教訓

朝の空気は、早くも容赦ない夏の日差しを予感させていた。

いつもの駅までの道を、いつものペースで歩いている。思考はすでに今日のスケジュールや、これから始まる会議の段取りへと向かっていた。

その時だ。

ふと、胸のあたりに小さな「違和感」が走った。

(……あれ? パソコン用のメガネ、持ったっけ?)

私は普段かけているメガネとは別に、デスクワークで画面を見続けるための度数を落とした「パソコン用メガネ」を愛用している。

一度その考えが頭をよぎると、途端に足取りが重くなった。カバンの中を手探りしてみる。感触がない。ポケットにもない。

(やばい、家に忘れたか……?)

そこから会社までは、まだ距離がある。今引き返せば、10分以上のロスタイムだ。だが、もし会社に着いてメガネがなかったら? 一日中、目の奥が重い状態で画面と格闘することになるのではないか?

歩道の真ん中で、ピタリと足が止まる。

葛藤はほんの数秒だった。「念のため」という声に押されるようにして、私はくるりと踵を返した。

住宅街の道を、少し早歩きで戻る。玄関を開け、靴を脱ぎ捨ててデスクに向かう。カバンの底をひっくり返し、棚を捜索し、寝室まで見に行った。

——ない。

どこを探しても、パソコン用メガネは見当たらない。

「おかしいな……」と呟きながら、ふと嫌な予感が頭をよぎった。腕時計を見る。すでに相当な時間をロスしている。これ以上探すのは無理だと諦め、ため息をつきながら再び家を出た。

結局、いつもより遅れて会社に到着した。 自分のデスクに向かい、引き出しを開ける。

……あった。

黒いケースに入ったパソコン用メガネが、何事もなかったかのようにそこに鎮座していた。昨日、退社する時に引き出しへしまっていたのだ。完全に自分の記憶違いだった。

オフィスに漂うコーヒーの香りの中で、私は自分のデスクにポツンと佇んでいた。

じわじわと湧き上がってきたのは、強烈な徒労感……というよりも、「なんで急に、あの歩いている途中で気になっちゃったんだろう?」という自分への呆れと不思議さだった。

あの朝の道端で、もし私が「まあ、なくてもなんとかなるか」とスルーできていたら? そもそも、余計な心配を思いつきもしなかったら?

私は家に戻ることもなく、無駄な汗をかくこともなく、穏やかな気持ちで会社に着いていたはずだ。

「気にならなければ、戻らない。そして時間を捨てることもなかった」

メガネを探して彷徨った15分間。私が捨てていたのは、時間だけではない。「起こってもいない未来への不安」に振り回され、目の前の時間を楽しむ心の平穏までも、自ら投げ捨てていたのだ。

ふと、この「メガネ事件」は自分の仕事そのものではないか、と思った。

特に、若い世代や後輩たちの仕事を見ているときの、自分の立ち振る舞いだ。

彼らに仕事を任せているはずなのに、進捗の途中でどうしても気になってしまう。

「あそこ、ちゃんと確認したかな?」 「お客様への連絡、抜け漏れがないだろうか?」 「あの資料のロジック、少し甘い気がする……」

一度気になり始めると、居ても立ってもいられない。「念のために」と先回りして確認のチャットを入れてしまったり、頼まれてもいないのに「ここはこうしておいた方がいいよ」と手を差し伸べてしまったりする。

まさに、歩いている途中で不安になり、家へ引き返している状態だ。

先回りして口を出すことで、私自身は「安心」を得られるかもしれない。だが、その代償として何を失っているだろうか?

一つは、マネージャーとしての自分の時間とリソースだ。

プレイヤーとしての細かい確認や手出しに追われ、本当にやるべき「未来への投資(戦略構想や組織づくり)」に使うべきエネルギーを使い果たしてしまう。

そしてもう一つ、もっと致命的なのは、相手の「成長の機会」だ。

先回りして障害物を取り除いてしまうことは、彼らが自ら気づき、考え、時には転んで学びを得るチャンスを奪うことと同義だ。私の「過剰な心配(先回り)」は、彼らの可能性を狭める過干渉でしかなかったのだと痛感する。

なぜ、私はあんなにも「気になって」しまうのだろう。

根底にあるのは、「失敗させたくない」「確実にやり遂げたい」という責任感かもしれない。しかし、その裏返しとして「相手を信じ切れていない」「自分がコントロールしていないと不安だ」という自分自身のもろさがあるのだと思う。

全ての細かなリスクを事前に排除することはできない。 メガネが家にあろうが会社にあろうが、着いてから考えればどうとでもなったように、仕事のトラブルだって起きてから対処すればいいことがほとんどだ。

手放すことは、決して放任や無責任ではない。

「もし転んだら、その時に一緒に起き上がればいい」と腹を括ること。「気になっても、グッとこらえて見守る」という忍耐を持つこと。

それこそが、相手を信じて「任せる」という本当の覚悟なのだと思う。

朝のあの無駄足は、私に大切な教訓を残してくれた。

これからは、歩いている途中で不安が顔を出しても、安易に引き返さないようにしたい。 職場でも、若い後輩たちの背中を見ながら、「大丈夫かな」と口を出しそうになったら、一度深呼吸をして手元に引き寄せるのをやめてみようと思う。

目の前の小さな不安を手放す勇気を持つ。 職場の仲間を信じ、じっと見守る忍耐というコストを払う。その先にしか、人が育つ未来も、チームが大きくなる未来もないのだから。

デスクのメガネをケースから取り出し、ゆっくりと掛け直しながら、私は今日やるべき「未来のための仕事」に意識を向け直した。


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