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高校で読むはじめての『源氏物語』23行幸・藤袴

            《第23回① 行幸》

1、大原野への行幸

 冬になります。「行幸(みゆき)」巻は次のように始まります。

 かくおぼしいたらぬことなく、いかでよからむことはと、おぼしあつかひたまへど、この音無しの滝こそ、うたていとほしく、南の上の御おしはかりごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。(4-147)

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 ところが、源氏の玉鬘に対する密かな恋情を語る場面で、語り手が紫の上がかつて推量した通りになっていると指摘している点が重要です。「南の上」は紫の上を指します。紫の上の懸念は「胡蝶」巻で、「ものの心得つべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ心苦しけれ」(4-49)、「玉鬘が物事の繊細な機微にもよく精通する可能性を秘めているのに、源氏を無邪気に頼りにしているのが心苦しい」と描かれていました。紫の上は「うらなし」の玉鬘が源氏の「いろごのみ」の恋に取り込まれることを恐れていたのです。そういう紫の上の危惧が現実のものになろうとしていると語り手がわざわざ言及しているのです。これは「玉鬘十帖」の主題である源氏の玉鬘への「いろごのみ」の恋が、「玉鬘十帖」の終盤で物語の前面にせり出してきていることを示しているわけです。紫の上は玉鬘と繊細な感受性で共感し合うことによって、玉鬘を「いろごのみ」の恋から救い出すことができるのでしょうか?
 続いて、「その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条の院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ」(同上)と、この年の十二月に冷泉帝は大原野という京都の南西の野原へ行幸へ行くんですね。行幸というのは、「紅葉賀」巻にも出て来ましたが、天皇が御所を出て、他の場所へ出かけることでしたね。源氏は物忌みのため六条院に籠っていて行幸には参加しないのですが、六条院の女君たちが行幸について行きます。

 西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。(4-148~149)

 「西の対の姫君」が玉鬘です。玉鬘も行幸について行きます。そして玉鬘はいろんな男たちを見て、比較するのですね。これは前回の「野分」で夕霧が六条院の女君たちを垣間見するのとシンメトリーの関係なんです。男と女の視線が正反対です。
 最初に冷泉帝を見ます。「なずらひきこゆべき人なし」と、比較を絶した世界でナンバーワンの美しさだと玉鬘は思います。実の父内大臣と比較して見ます。父はいかにも立派で美しげには見え、男盛りだけれども、「限りありかし」(4-149)と玉鬘は思います。帝と比べると限界があって劣る、帝は最上の美しさだというのです。なんといっても、冷泉帝は光源氏とそっくりですからね。

 兵部卿の宮もおはす。右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、胡簶(やなぐひ)など負ひて、つかうまつりたまへり。色黒く髭(ひげ)がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは、つくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。(4-149~150)

 玉鬘に熱心に求婚している兵部卿宮を見ます。ノーコメントです。それに対して、これも熱心に求婚している髭黒大将については、顔が黒くて髭だらけでもう全然嫌だというわけなんです。その後の「若き御心地」というのは玉鬘の気持ちです。若い玉鬘の気持ちとしては、髭黒大将をさげすんでいるのだったと、語り手はわざわざ語っています。なぜなんでしょう?後の巻でわかりますから、覚えておいてください。
 世の中の男たちを一通り見た上で、玉鬘は自らの今後の身の振り方について思いを馳せます。

 大臣の君のおぼし寄りてのたまふことを、いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにやと思ひつつみたまふを、馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたにつかうまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかしとぞ、思ひ寄りたまうける。(4-150)

 「大臣の君」は源氏です。源氏は玉鬘に冷泉帝に内侍(ないしのかみ)として出仕したらどうだと提案していたみたいなんです。それで、内侍として冷泉帝に出仕するのはどうだろうかと、玉鬘は考えます。
 内侍というのは、女御、更衣よりは劣りますが、実質上は帝の妻です。朧月夜も源氏の兄朱雀帝の内侍でした。冷泉帝の美しさに魅了された玉鬘は、冷泉帝の奥さんになりたいと、内侍に気持ちが向いてしまったのかというと、そうではないんですね。実は、ここが重要なポイントです。
 冷泉帝の中宮は源氏の養女秋好ですし、女御は実の父親内大臣の娘の弘徽殿です。姉妹同然の二人と帝の寵愛を争うことを、玉鬘は自分の意志に反することで、見苦しいことになるのではないかと気が進まないというのです。
 次の「馴れ馴れしき筋」と「おほかた」という言葉の対比に注目してください。「馴れ馴れしき筋」は色恋沙汰で、帝の寵愛を受けることです。それを「もて離れて」と、玉鬘はきっぱりと拒絶するわけです。「おほかた」は内侍という一般の官職で、天皇の命令を伝えたり、取次を行ったりする重要な仕事です。つまり、玉鬘はこの当時の内侍という、女官でありながら帝の寵愛も受けるというあいまいなあり方から抜け出し、キャリアウーマンとして冷泉帝に仕えたいということを思いつくわけです。
 そんなことが可能でしょうか?可能か、不可能はいったん置いて、それ以上に大切なのが、玉鬘がこのようなアクロバティックなことを思いついたきっかけが、冷泉帝の美しさに魅了されながらも、異母姉妹たちへの繊細で細やかな配慮を忘れなかったという点にあることでしょう。その意味で、もし内侍として色恋抜きで冷泉帝にお仕えして見られたならば、「をかしうもありなむかし」と、「いろごのみ」の恋の「あはれ」ではなく、「をかし」が用いられている点が重要だと思います。
 紫の上は玉鬘を源氏の「いろごのみ」の恋から救い出し、繊細な感受性で共感し合う「女性の、女性による、女性のための」文化空間を六条院に生み出そうとしているのですが、それに呼応するかのように、玉鬘は「いろごのみ」の恋から自ら離れ、繊細な感受性の「をかし」で冷泉帝と共感する道を選ぼうとしているのです。この当時の女性として、玉鬘はまさに新風とも呼べる、新しい生き方を選ぼうとしているのです。

2、玉鬘の裳着

 「初音」巻の元日から始まって、春、夏、秋、冬と一年がぐるっと回って、翌年の二月に、玉鬘の裳着が行われます。裳着というのは、スカートを履く儀式で、女性の成人式です。玉鬘は、これでもういつ結婚してもOKというように世間に広まるわけですね。
 その裳着の儀式の前に源氏は内大臣(元の頭中将です)に、「今まで意地悪して、ごめんね。うちで養っている玉鬘は、実はあなたと夕顔の娘なんだよ」と、真実を明かします。それで、「あなたの娘だから、腰結いという一番重要な役はあなたがやっておくれ」と言って、父内大臣に腰結いをさせます。
 玉鬘の裳着の日、内大臣の母大宮は祖母として玉鬘に櫛の箱など祝儀の品と手紙を送ります。大宮の和歌は「玉くしげ」の縁語だらけの古風な歌でした。秋好中宮はじめ、六条院の女君たちから様々な贈り物が玉鬘のもとへ届きます。二条東院の住人たちは身の程をわきまえて贈り物を届けるのを遠慮しましたが、ただ一人末摘花だけが玉鬘に祝いの衣装を贈り、次の和歌を添えました。

  わが身こそ うらみられけれ 唐衣 君が袂(たもと)に 馴れずを思へば(4-171)

 「わが身が恨めしく思われます。いつもあなたのお側にいられないと思いますと」ぐらいの意味ですが、いつも通りの型通りの「唐衣」を詠み込んだ歌に、源氏はうんざりします。というのも、末摘花は「末摘花」巻の始めでも、「玉鬘」巻でも源氏への返歌に「唐衣」を詠んでいたからです。「玉鬘」巻では、源氏が「古代の歌よみは、唐衣、 袂濡るるかことこそ離れねな」(3-328)「時代遅れの古めかしい歌詠みは、『唐衣、 袂濡るる』という言葉から離れられないのだな」と批判していました。そんな末摘花に対して、源氏は玉鬘の前で次の歌を詠み、不在の末摘花をからかいます。

  唐衣 また唐衣 唐衣 かへずかへすも 唐衣なる(4-172)

 源氏の詠んだこの歌はまったく意味のない単なる言葉遊びのように見えます。しかし、実は、歌全体が対句になっている、和歌の発生に遡るような根源的な歌に、期せずしてなっている、というより、末摘花の「唐衣」という古風な歌が源氏から根源的な歌を引き出してしまっているという点が重要だと思われます。その意味では、末摘花の「唐衣」と同様に、源氏からの揶揄の対象となっている「玉くしげ」を繰り返し詠む大宮も、和歌の発生に遡るような根源的な魂の持ち主ということになるでしょう。この大宮の根源的な力が最大限発揮されるのが、孫夕霧の恋を語る第三部の「夕霧」巻です。ぜひ覚えておいてください。
 イワナガヒメになぞらえられる末摘花は無口な沈黙の女王でした。末摘花と初めて出会った頃、源氏の求愛に沈黙を押し通していた末摘花に対して、源氏は「古今和歌六帖」の「言はで思ふぞ言ふにまされる」を引歌にした「言はぬをも言ふにまさると知りながらおしこめたるは苦しかりけり」(1-262)という上二句が対句になった歌を詠んでいました。
 折口信夫は「しじま」という沈黙こそが文学発生の源であり、その沈黙の中から無意識に言葉を繰り返すことから和歌、文学が発生したと考えていました。今、源氏は末摘花という永遠の沈黙と対峙することによって、対句的な和歌を詠みます。この瞬間こそ文学の発生する一回性の今の現場に、源氏が立ち合っていることを示しているのではないでしょうか?そして、光源氏の詠んだ「唐衣」の歌こそ、古代などという中途半端な古さではなく、 地中深く埋もれていた文学の発生の原初的な姿を掘り出して、ありのままに再現した和歌の化石とでも呼ぶべき貴重なものなのではないでしょうか?
 源氏は末摘花の本質がそのような沈黙から言葉を生み出す力であるということを、理屈ではなく、魂でくみ取っているのです。 源氏はこの「唐衣」の歌を詠んだ後に、玉鬘に向かって「唐衣というのは、心の底から末摘花が特別に好む言葉なので、詠んだのです」と、末摘花の本質が「唐衣」にあるということを指摘して、玉鬘に自分の書いた和歌を手渡して見せます。それに対する玉鬘の反応が次のように語られます。

 見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、「あないとほし、弄じたるやうにもはべるかな」と、苦しがりたまふ。(4-172)

 玉鬘はぱっと顔を真っ赤に染めてとても美しく笑って、「まぁ、お気の毒な、末摘花をからかっているようですね」と言って、苦しがっていますが、この「苦しがる」というのは、腹がよじれるというおかしさからではなく、中心は「いとほし」という同情です。玉鬘は末摘花を気の毒だと思って、苦しい思いを抱いているのです。
 思い出してください。この場面は、「末摘花」巻で、源氏がもう一つの末摘花の本質である赤鼻をからかって、自分の鼻に紅をつけて紫の上に見せた場面と物語の構造上そっくりなんです。紫の上の反応は、次のように描かれていました。

「まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」とのたまへば、「うたてこそあらめ」とて、さもや染みつかむと、あやふく思ひたまへり。(1ー282)

 源氏が「私がこんな不完全な状態になるような場合は、どうでしょうか」と脅すと、紫の上は「いやなことでしょうねえ」と言って、そのまま源氏の鼻が赤く染まってしまうのだろうと、無心で不安に思っていました。
 一方の玉鬘は、末摘花を気の毒に思って同情しています。「胡蝶」巻で紫の上が、無心に源氏を信じていた頃の自分のように「うらなし」と心配した玉鬘は、そんな心配はいらないとでもいうかのように細やかな感受性で末摘花を気遣っています。源氏の末摘花の本質に対するからかいと、それに対する紫の上と玉鬘の反応を、物語の構造として連関させることによって、玉鬘が新枕前の紫の上と同じ「うらなし」の無垢で純真なだけの女性ではなく、現在の紫の上同様、細やかで繊細な感受性によって相手の女性を思いやれる女性に成長していることを物語は示しているわけです。
 「行幸」巻は、冒頭で玉鬘に対する光源氏の「いろごのみ」の恋心が高まり、紫の上の危惧した通りになりそうだと語るところから始まっていました。しかし、玉鬘は大原野の行幸で冷泉帝を見ることによって、「いろごのみ」の恋抜きの内侍としての出仕を望み、末摘花の和歌を揶揄する源氏と接して、相手の女性を思いやる繊細な感受性を発露して、紫の上の生み出そうとする「女性の、女性による、女性のための」文化的空間への共鳴を、前回の「野分」巻の夕霧に続いて示しているかのようなのです。玉鬘は明らかに、源氏の「いろごのみ」の恋の重力圏から抜け出しつつあります。

            《第23回② 藤袴》

1、玉鬘の悩み

 「藤袴(ふじばかま)」巻冒頭です。玉鬘の悩みは深まるばかりです。

 尚侍(ないしのかみ)の御宮仕へのことを、誰れも誰れもそそのかしたまふも、いかならむ、親と思ひきこゆる人の御心だに、うちとくまじき世なりければ、ましてさやうのまじらひにつけて、心よりほかに便なきこともあらば、中宮も女御も、かたがたにつけて心おきたまはば、はしたなからむに、わが身はかくはかなきさまにて、いづかたにも深く思ひとどめられたてまつれるほどもなく、浅きおぼえにて、ただならず思ひ言ひ、いかで人笑へなるさまに見聞きなさむと、うけひたまふ人びとも多く、とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべきを、もの思し知るまじきほどにしあらねば、さまざまに思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。(4-183)

 玉鬘の尚侍としての出仕を、光源氏だけではなく、父の内大臣も勧めます。もちろんどちらも、将来冷泉帝の皇子を産んでほしいという摂関家としての利害を考えているわけで、玉鬘が望む一職業人としての出仕などまったく念頭にはありません。尚侍としての出仕はどうであろうかと、玉鬘は悩みを深くします。
 ここの「親」は養父の光源氏を指し、親と言っても「いろごのみ」の恋を訴えて来て、気を許せない男女の仲だという認識から、まして冷泉帝の寵愛を受けるようになって、異母姉妹の秋好中宮、弘徽殿女御に隔て心を持たれたら中途半端でみっともないだろうと、先ほどの「行幸」巻での繊細な他者への配慮に基づく悩みを繰り返します。そのうえ、源氏からも父内大臣からも大事にはされず、自分の不幸を願う人たちも多く、「人笑へ」という身の破滅までが想定される頼りない我が身だというのです。
 そんな玉鬘が「わが身はかくはかなきさまにて」と自らを「はかなし」と認識している点が重要です。「はかなし」とは、確かな目当てや頼りにするものがないことを示す言葉で、いずれ第三部の紫の上の場面で詳しく話しますが、実は紫の上の生涯を貫くキーワードなのです。玉鬘は心情的にはどんどんどんどん紫の上に近づいて行っているのですが、はたして内侍として働き、繊細な感受性の共感で冷泉帝、秋好中宮、弘徽殿女御とも良好な関係を築きたいという玉鬘の願いは実現するのでしょうか?それとも、宮中でも「いろごのみ」の恋に巻き込まれるしかないのでしょうか?

2、夕霧、玉鬘へ思いを訴える

 物語には書かれていませんが、「行幸」と「藤袴」の間で、夕霧と雲居雁の祖母で、二人を結び付けようと尽力していた大宮が亡くなります。大宮は内大臣の母ですから、玉鬘にとっても祖母に当たります。喪服を着ている玉鬘のもとを、同じく喪服を着た夕霧が父源氏の使いとして訪ねます。冷泉帝からの手紙が源氏にあり、玉鬘への出仕を促してきました。その返事を夕霧は玉鬘に尋ねるわけです。
 これまで実の姉だと思っていた玉鬘は、実は血はつながっていない、愛する雲居雁の義理の姉だったのです。玉鬘は御簾越しで内に几帳を添えて夕霧と対面します。夕霧は「かの野分の朝の御朝顔は心にかかりて恋しきを」(4-185)と、野分の日に垣間見た玉鬘の顔を思い出して恋しくなります。その顔が逢瀬を暗示する「御朝顔」とわざわざ記されている点に注意してください。ここから「いろごのみ」の恋が始まるというサインです。
 あれっ、「野分」巻で紫の上、玉鬘、明石の姫君を垣間見て、それでも雲居雁との「筒井筒」の恋に走る、紫の上が六条院に作り上げようとしている繊細な感受性の共感を基盤とする「女性の、女性による、女性のための」文化的調和に唯一共感している男が夕霧だったのでは?と疑問に思う人もいるでしょう。その通りなのですが、ここでの夕霧は玉鬘に「いろごのみ」の恋を仕掛けます。
 夕霧は蘭の花を御簾の端から差し入れます。蘭は藤袴とも言って、今二人が来ている喪服の藤衣ともつながります。夕霧は玉鬘の喪服の袖をとらえて、和歌を詠みます。

  同じ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かことばかりも

 「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、

 「尋ぬるに はるけき野辺の 露ならば 薄紫や かことならまし

 かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」とのたまへば……(4-187~188)

 夕霧の詠んだ和歌は、「同じ祖母の死を悲しんで喪服に身をやつす私たちではありませんか、魂の底からのああ~と言葉をかけてください、ほんの少しでよいですから」ぐらいの意味ですが、「いろごのみ」の恋と結びついた魂の根源からの叫びである「あはれ」を用いている点が注目されます。夕霧は本気で玉鬘に恋しているのです。 
 それは玉鬘にも伝わります。夕霧の恋心を玉鬘はさては「道の果てなる」ということか、と想像します。「道の果てなる」には、『古今和歌六帖』の「東路の道の果てなる常陸帯のかことばかりも逢ひ見てしがな」が引き歌になっていて、言いたいことは歌に引かれていない「逢ひ見てしがな」、つまり、夕霧は私と逢瀬を交わしたいと思っているのだと、玉鬘は気づいて、とても不愉快で嫌な気分になってしまいますが、気づかぬふりをして、そっと奥に引っ込んで返歌します。大人の対応です。
 玉鬘の返歌は、「お尋ねになってみて、もしあなたと縁遠い間柄だったならば、この蘭の花の薄紫は格好の口実でもあるでしょうが」ぐらいの意味ですが、続けて「こうして直接お話を申し上げる以上には、深い間柄はないはずです」と玉鬘は言って、ぴしゃりと夕霧の恋心を拒絶しています。
 それでもあきらめきれない夕霧は、言葉を尽くして恋心を訴えます。「私たちの間柄が深いか浅いかは本当はわかっていますよね。恐れ多い冷泉帝への宮仕えは知っていますが、どうしたら私の抑えることができない心の内を分かってもらえるでしょう」。もう夕霧は理性を失っていますね、完全に恋に狂っています。さらに夕霧は言葉を連ねます。
 「今はた同じと思うたまへわびてなむ」(4-188)。この「今はた同じ」には、「澪標」巻で源氏が明石の君に詠んだ歌にも引用されていた、「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ」(『拾遺集』巻十二恋二、元良親王)が引き歌になっています。言いたいことは、「逢はむとぞ思ふ」、「あなたと絶対逢瀬を遂げたい」ということです。
 その後、夕霧は玉鬘の異母弟柏木を例に出します。柏木があれほど熱心に玉鬘に恋い焦がれていたのに、実の姉と分かった瞬間に、柏木はさっぱり思いが覚めた、それがうらやましいと、夕霧は語った後で、「あはれとだにおぼしおけよ」(4-189)と口にします。
 「野分」巻で、夕霧の紫の上垣間見場面について、「若菜下」の柏木、女三宮の密通を準備するものとして、「夕霧が紫の上と密通して子どもが生まれるというのが、六条院物語に底流する可能態の物語である」という高橋亨さんの解釈を紹介しました。「若菜下」でも詳しく触れますが、女三宮との「いろごのみ」の恋を通して、柏木が一貫して言い続けるのが、「あはれとだに」という言葉なのです。今、夕霧はまるで柏木にでもなってしまったかのように、玉鬘に対して「あはれとだに」と口にしています。その意味では、夕霧の垣間見とは、紫の上との間だけではなく、玉鬘との間にも可能態の物語を生み出しているのかもしれません。

3、夕霧、光源氏を問い詰める

 その後、玉鬘は、「どうも気分が悪くて」と言って、部屋の奥へ引っ込んでしまったので、夕霧はひどくがっかりして、源氏のもとに帰ります。

 なかなかにもうち出でてけるかなと、くちをしきにつけても、かの今すこし身にしみておぼえし御けはひを、かばかりの物越しにても、御声をだにいかならむついでにか聞かむと、やすからず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、御返りなど聞こえたまふ。(4-189)

 源氏のもとへ報告に帰る途中で、夕霧は「なまじ言わなくてもよかったことを口に出してしまったことよ」と、後悔すると同時に、野分で垣間見た紫の上を想起します。「かの今すこし身にしみておぼえし御けはひ」というのが紫の上の様子です。玉鬘との対面と同じ御簾と几帳を隔ててでも、せめて紫の上の一声だけでもどんな時にか聞きたいものだと、夕霧は心を乱します。夕霧はこのまま紫の上に対して「いろごのみ」の恋に突き進んでしまうのかというと、夕霧がこのどうにもならない乱れた思いのまま父光源氏と対話する点が重要なのです。
 夕霧は、自分がこんなに大切に思っている紫の上と玉鬘のどちらに対しても誠実に接しているようには思われない源氏に怒りをぶつけてでもいるかのように、「玉鬘をどうするつもりなのか。内侍として出仕しても、秋好中宮や弘徽殿女御と肩を並べるのは無理だろう。それに冷泉帝に出仕したら、今熱心に求婚している兵部卿宮は気分を害するだろう」と、源氏が直面している問題の核心について、一つ一つ論理的に問い詰めていきます。その中でも特に、夕霧が源氏の弟兵部卿宮への共感を示している点が注目されます。源氏は兵部卿宮へのコメントを避けています。
 その上で、源氏と玉鬘のあやしい関係についての世間の噂、父内大臣と髭黒大将の間で交わされた話を口に出します。源氏は見当違いだと噂を一蹴しますが、さらに夕霧は源氏を追い詰めて、内大臣が内輪話として語ったという噂の核心中の核心を源氏に告げます。

「うちうちにも、やむごとなきこれかれ、年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕への筋に領ぜむとおぼしおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、よろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」(4-192)

 玉鬘の実の父である内大臣が、「六条院には身分の高い女君たちが以前からたくさんいるので、玉鬘をその方々と同列には扱うことができないため、半分は捨てた気で私に押し付け、内侍という普通の宮仕えをさせておいて、実は我が物にしようと計画しているのだ。実に賢い、才覚のあるやり方だ」と言って、源氏に感謝しているというのです。これこそ光源氏の「いろごのみ」の恋のグロテスクな核心でしょう。内大臣の源氏への感謝とは、もちろん最大限の皮肉です。それを夕霧は鋭く源氏に突き付けたのです。
 源氏は夕霧に対して、「内大臣はずいぶんひねくれたように考えるのだね。そのうち自然と明らかになることだろうよ」と核心をそらした返答しかできない一方で、心の内で次のように考えます。

 大臣も、さりや、かく人のおしはかる、案に落つることもあらましかば、いとくちをしくねぢけたらまし。かの大臣に、いかで、かく心きよきさまを知らせたてまつらむとおぼすにぞ、げに宮仕への筋にて、けざやかなるまじくまぎれたるおぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかなと、むくつけくおぼさる。(4-192~193)

 源氏は、「やっぱりなあ、このように他人が推量した通りの結果になったならば、はなはだ残念でみっともないことだったろう」と、反省します。推量した通りの結果とは、源氏が玉鬘を我が物にすることでしょう。それに加えて、「宮仕えという名目で、源氏と玉鬘の仲が表沙汰にならないようにごまかしておいたのに、内大臣は賢明にも見破りなさった」と、源氏は内大臣を不気味に思います。源氏が玉鬘を我が物にしようと思っていたことを、内大臣に完全に見破られていたからです。
 「玉鬘十帖」で主題として描かれてきた源氏の玉鬘への「いろごのみ」の恋とは、内大臣に見透かされる程度の薄っぺらいものだったのです。源氏の「いろごのみ」の恋とは、藤壺、紫の上、帚木=空蟬、夕顔、六条御息所との命がけの「いろごのみ」の恋とは似ても似つかないものに変質してしまっているのです。その変質を源氏に突き付けているのが、夕霧なのです。もちろん、夕霧に玉鬘、紫の上への「いろごのみ」の恋心がないとは言いません。しかし、彼の雲居雁への「筒井筒」の恋に現れた真っ直ぐな純真さは、玉鬘、紫の上に向かって恋心を爆発させる方向へではなく、玉鬘、紫の上を大切に扱おうとはしない源氏の「いろごのみ」の恋を告発する方向へと向かっているのです。

4、玉鬘の出仕、十月と決定

 玉鬘の内侍としての出仕は十月と決定します。

 かくて御服などぬぎたまひて、月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし、十月ばかりにとおぼしのたまふを、内裏にも心もとなく聞こしめし、聞こえたまふ人々は、誰も誰も、いとくちをしくて、この御参りのさきにと、心寄せのよすがよすがに責めわびたまへど、吉野の滝をせかむよりも難きことなれば、いとわりなしと、おのおのいらふ。(4-193)

 「内裏」は冷泉帝で、「心もとなし」は「待ち遠しい」という意味の重要単語です。冷泉帝は十月になって玉鬘に会えるのがもう待ち遠しくて仕方がありません。冷泉帝は玉鬘がもう好きになってしまうんですね。「いろごのみ」の恋の方へと玉鬘を誘うわけです。
 一方、玉鬘に求婚していた兵部卿宮や髭黒大将たちはみな残念に思い、内侍としての出仕の前に何とか玉鬘を口説き落としたいと、それぞれ懇意にしている玉鬘付きの女房を責め立てて泣きつきますが、玉鬘の心を動かすのは吉野川の滝をせき止めるのより難しいことなので、「とても無理です」と女房たちは応えます。
 その後も諦めきれない求婚者たちから和歌が届きます。物語では、髭黒大将と兵部卿宮と紫の上の父式部卿宮の息子で紫の上の異母兄に当たる左兵衛督の和歌三首が登場しますが、その中で、語り手は「いかがおぼすらむ」(どういうおつもりか)と批評していますが、兵部卿宮にだけ和歌を返しています。兵部卿宮の和歌、玉鬘の和歌の順で並べます。

  朝日さす 光を見ても 玉笹の 葉分の霜を 消たずもあらなむ(4-199)
 
 兵部卿宮の歌は「光」に帝を象徴させて、「たとえ帝の寵愛を受けても、はかない私を忘れないで下さい」ぐらいの意味です。

  心もて 光にむかふ あふひだに 朝おく霜を おのれやは消つ(4-200)
 
 玉鬘の返歌は、「自分から望んで光に向かう葵でさえ、朝に置く霜を自分で消すでしょうか、まして私は自分の心で出仕するのではないので、あなたのことは忘れません」ぐらいの意味ですが、兵部卿宮の和歌と「朝」、「光」、「霜」、「消つ」という言葉を共有し、宮の心に寄り添う姿勢を鮮明に示しています。冷泉帝への内侍としての出仕は、冷泉帝本人に魅かれたからではない、私は秋好中宮、弘徽殿女御とも繊細な感受性の共感で良好な関係を築きたいだけで、実は魂の底から魅かれているのは兵部卿宮、あなただけだということなのではないでしょうか?そのことを確認するために、ここまでの玉鬘と兵部卿宮との関わりをもう一度確認してみましょう。

5、玉鬘と兵部卿宮

 光源氏の異母弟である兵部卿宮は、絵合の判定者となり、絵合後の宴で箏の琴を、朱雀院への行幸では琵琶を弾き、六条院の春の船楽では「青柳」を謡う、文芸に秀でた繊細な感性の持ち主です。源氏の演出した螢の灯りで玉鬘を見て、心を惑わし、その揺れ動く思いを和歌にして玉鬘に送ります。

 鳴く声も 聞こえぬ虫の 思ひだに 人の消つには 消ゆるものかは(4-64)
 
 「鳴く声も聞こえない蛍の思いでさえも、他人が消そうとして消えるものでしょうか、まして私の思いの火は誰にも消せません」ぐらいの意味です。「消つ」、「消ゆる」を繰り返し、下二句が対句になりかかっている、兵部卿宮の魂の底からの思いを訴えた、根源的な歌になっています。

 声はせで 身をのみこがす 螢こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ(4-65)

 それに対する玉鬘の返歌は、「声など立てないで我が身だけを焦がす蛍の方が、あなたのように口に出して言うよりも深い思いを持っているでしょう」ぐらいの意味で、兵部卿宮に反発して切り返すという、恋歌の典型のような歌になっています。しかも、玉鬘の歌は兵部卿宮の歌と「声」、「虫=螢」、「思ひ」を共有していて、最初の和歌贈答から宮の心に寄り添う姿勢を示しています。
 さらに、鈴木日出男先生の『源氏物語引歌綜覧』では、「言ふよりまさる」の箇所の類想の歌として、『古今和歌六帖』の「心には下ゆく水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」という歌をあげています。この歌は「末摘花」巻でも、沈黙を押し通す末摘花に対する源氏の和歌にも引用されていました。そこでは、源氏は沈黙のヒロイン末摘花と出会い、「沈黙=言葉の発生」の本質である対句表現、「言はで思ふぞ言ふにまされる」という、言葉にならない根源的な思いの部分で末摘花と共感し合おうとしていると説明しました。
 そうであるならば、玉鬘の歌でも、玉鬘は言葉より大切な言葉にできない思いで、兵部卿宮と根源的な部分で共感し合おうとしているのではないでしょうか?この歌での言葉にできない思いとは、「声はせで身をのみこがす螢」の思いです。実は、玉鬘はこの螢に自分を重ねているのではないでしょうか?「自分はあなたのことを言葉には出さないが、沈黙の中で身を焦がすように恋焦がれている」。恋歌の典型の切り返しに見せて、実は言葉にならない兵部卿宮への思いを玉鬘はこの歌に託していたのではないでしょうか。繊細な感受性での共感を目指す玉鬘の恋の「思ひ(=火)」は、源氏の「いろごのみ」の恋の燃え滾るような「篝火」ではなく、言葉にできないくらい微かな螢の光程度の恋だというのです。しかし、その微かな螢の光は、燃えさかる篝火よりもずっと強い光なのです。
 そう考えると、兵部卿宮が螢の灯りで玉鬘を見た翌日の五月五日の二人の和歌贈答も意味深に見えて来ます。兵部卿宮、玉鬘の順です。

 今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふるあやめの ねのみ泣かれむ(4-67)
 あらはれて いとど浅くも 見ゆるかな あやめもわかず 泣かれけるねの(4-68)

 兵部卿宮の歌は、「五月五日の今日も引く人のいない水の中に隠れて生える菖蒲の根のようにあなたに相手にされない私は、今日も声をあげて泣くだけなのでしょうか」ぐらいの意味です。それに対する玉鬘の返歌は、「はっきりといよいよ浅いものだと見えることですね、分別もなく泣かれたというあなたの気持ちは」ぐらいの意味です。その裏にはやはり、私は言葉にも出さないで、もっと深いところであなたのことを思っていますという意味が含まれているでしょう。
 この歌でも、一見玉鬘は兵部卿宮に反発して切り返しているように見えますが、実は玉鬘が反発しているのは、兵部卿宮の「ねのみ泣かれむ」という声に出して泣いているという点です。それは、「声はせで身をのみこがす螢」である玉鬘の「言ふよりまさる」沈黙に耐える思いの真逆だからです。「あやめ」、「ね」、「泣かれ」を共有し、宮の心に寄り添っている点は一貫しています。でも、玉鬘は言葉に出しては言えないのです。「言はで思ふぞ言ふにまされる」を察してください、と願うだけなのです。
 この沈黙の中で「身をのみこがす螢」の姿勢を一貫する玉鬘は、兵部卿宮から贈られた最初の和歌、「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消つには消ゆるものかは」をずっと胸に刻み続けていました。そのことは、冷泉帝の内侍として出仕し、兵部卿宮との別れを決意した歌、「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ」に現れています。というのは、この玉鬘の和歌は、遠く離れて、兵部卿からの最初の和歌への返歌にもなっているからです。
 どちらも反語表現と「消つ」という言葉を共通に用い、兵部卿宮の「私のあなたへの思いは消えるものでしょうか、いや消せません」という思いに対して、玉鬘は「私もあなたへの思いを自分で消したりするでしょうか、いや消しはしない」と、今まで一度も口にすることのできなかった兵部卿宮への思いを「おのれ」の意志で表現しているのです。つまり、最後の最後になって、ずっと「言はで思ふぞ言ふにまされる」で、心の奥底に隠していた玉鬘の「言ふよりまさる」沈黙の真実が、この和歌でようやく剝き出しになって露出したのです。玉鬘は薄っぺらい言葉では表現できないくらい深く、魂の奥底で兵部卿宮を愛していたのです。
 ですから、私を含め読者全員が騙されたと思いますが、大原野への行幸の場面で、玉鬘が冷泉帝に心を奪われたと思い込んでいた、髭黒大将の無骨さと対比された冷泉帝の美しさの描写とは、玉鬘が言葉で表現できる心の表層的部分での絶賛に過ぎなかったのです。二人に挟まれた兵部卿宮に関しては、ただ「兵部卿の宮もおはす」(4-149)とだけ語られていました。作者紫式部はただ「兵部卿の宮もおはす」と記すことで、玉鬘が「言はで思ふぞ言ふにまされる」という言葉にできない魂の根源で兵部卿宮を思っていることを暗示しようとしていたのかもしれません。言葉にならない心の深層で、ずっと玉鬘は兵部卿宮を思っていたのです。その起源はどこでしょうか?
 兵部卿宮は玉鬘が六条院に迎えられた当初から、熱心に恋文を送っていました。「胡蝶」巻で兵部卿宮からのラブレターを読んだ源氏は玉鬘に次のように述べます。

 「……なほ、御返りなど聞こえたまへ。すこしもゆゑあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交はすべき人こそ世におぼえね。いとけしきある人の御さまぞや」(4-41~42)

 「多少とももののわかる女が、兵部卿宮以外で、歌のやり取りをするのにふさわしい人はけっして思い当たらない。とても風流な人のご様子であるよ」と、源氏は弟宮を教養人として大絶賛します。玉鬘は「つつましくのみ思いたり」と無言を貫いたまま、ただ恥ずかしがっています。この時玉鬘は、兵部卿宮の文化的教養に、漠然とではありますけれども、興味を持ち始めているのではないでしょうか?
 ところが、「螢」巻の源氏が螢のほのかな光で玉鬘の姿を兵部卿宮に見せる場面の直前では、兵部卿宮から熱心に送られてくる恋文に対して、源氏が「そっけないのではない返事を時々はなさりなさい」と言って、言葉を教えて返事を書かせようとしますと、玉鬘は気分が悪いと言って返事を書きません。その理由が、「いとどうたておぼえたまへば」(4-60)と語られています。「うたて」というのは、嫌だ、不快だというマイナスの感情を表す語です。玉鬘はますます嫌なことに思われるというのです。何がでしょうか?兵部卿宮がではありません。真逆です。源氏が自分に言い寄りながらも、宮との交際を勧めることが嫌だというのです。つまり、源氏の「いろごのみ」の恋心に対して、玉鬘は嫌悪を感じているのです。
 そんな玉鬘の兵部卿宮への思いが、次のように語られています。

 正身は、かくうたてあるもの嘆かしさののちは、この宮などは、あはれげに聞こえたまふ時は、すこし見入れたまふ時もありけり。何かと思ふにはあらず、かく心憂き御けしき見ぬわざもがなと、さすがにされたるところつきておぼしけり。(4-61)

 「正身」というのが、玉鬘本人という意味です。玉鬘は源氏の懸想という
不快なことが起こった後は、兵部卿宮から情のこもった手紙が届くと、少し目を止めるときもあると語られています。またしても「うたて」です。玉鬘の心の中で、源氏の「いろごのみ」の恋への強い嫌悪感と兵部卿宮の繊細な感受性への微かな関心が二律背反的に同居し始めているのです。
 続いて、まだ玉鬘は兵部卿宮に特別な関心があるわけではないけれど、こうした光源氏の不愉快なふるまいを見ないで済ますすべがあればなぁと、思っています。ここでも重要なのは、玉鬘の兵部卿宮の文化的教養への微かな関心の起源に、源氏のがさつな「いろごのみ」の恋への嫌悪があるという点です。源氏の真逆の存在への憧れとして、兵部卿宮への関心が玉鬘の心に芽生えるのです。
 この後、源氏の玉鬘への「いろごのみ」の恋が露骨になればなるほど、かえって源氏とは正反対の文化的教養の塊のような兵部卿宮と繊細な感受性で共感し合いたいという玉鬘の思いは強まって行きます。
 そして、今回の「藤袴」巻末の「心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ」(4-200)の時点では、魂の底から兵部卿宮と繊細な感受性で共感し合いたいと思っているのだと思われます。
 そのことを証明するように、語り手はこの和歌を手にした兵部卿宮の心情を、「みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり」(同上)と語ります。「玉鬘自身が兵部卿宮の魂の底からの思いを分かっているように歌を詠んだので、兵部卿宮は少しばかりではあるが、とてもうれしかったということだ」。玉鬘と兵部卿宮は、最後の最後に、微細な感受性でほんの少しだけ、「あはれ」を共有し合ったのです。

6、玉鬘=かぐや姫

 この場面は『竹取物語』を想起させます。それは結婚拒否の論理を貫くかぐや姫が無理難題を出して、五人の貴公子の求婚を次々に拒絶していく挿話の最後の中納言石上麻呂足(いそのかみまろたり)のエピソードです。
 かぐや姫から燕の子安貝を求められた石上麻呂足は、子安貝を手に入れようとして、足場を組ませて吊り下げた籠に自ら載って、燕が巣を作った大炊寮の屋根に近づきますが、そこから落下して死に瀕します。その時、かぐや姫は女の方から石上麻呂足を気遣う和歌を詠み、届けさせます。その和歌への返歌を詠み終えると同時に、石上麻呂足は息絶えます。石上麻呂足の死の知らせを聞いて、「かぐや姫、少しあはれと思しけり」と語られます。
 ここが『竹取物語』全体の中で極めて重要なのは、この場面が月という心の存在しない別世界からやって来たかぐや姫に、初めて人間としての感情「あはれ」が発生する瞬間を切り取っているからです。この後かぐや姫は、一度生まれてしまった「あはれ」という感情を爆発させるかのように、帝と出会い、八月十五日の別れのシーンでの「今はとて尼の羽衣着る折りぞ君をあはれと思ひ出でける」まで、帝に対して「あはれ」という感情を持ち続けるのです。
 感情を持たなかったかぐや姫が初めて「あはれ」を感じるこの場面と、これまで求婚者たちの思いを拒絶し続けてきた玉鬘が初めて兵部卿宮に「あはれ」という感情を示すこの場面は、物語の構造として連動しているように見えます。
 これまでずっとそう考えて来ました。しかし、疑問が一つ生じます。なぜ、玉鬘はこれほどまでに兵部卿宮に魅かれているのに、兵部卿宮と結ばれることを望まなかったのか、という疑問です。兵部卿宮は石上麻呂足のように死んでしまうわけではありません。先ほど父光源氏を問責していた夕霧も二人の結婚を擁護していました。その答えは、やはり『竹取物語』との物語の構造上の連動を考えると、見えてくると思います。
 これまでの『源氏物語』研究の中でも、「玉鬘十帖」が『竹取物語』を引用して成立しているとしばしば指摘されて来ました。かぐや姫に玉鬘がなぞらえられていることは共通しているのですが、『竹取物語』の帝になぞらえられている人物は冷泉帝と光源氏でした。
 玉鬘が冷泉帝と会う大原野の行幸は、鷹狩を目的とした行幸でした。この大原野への行幸が、『竹取物語』で帝がかぐや姫に会うために竹取の翁の邸を訪ねる口実として、「御狩の行幸し給はむやうにて、見てむや」と言ったのを承けてのものだと考えるわけです。この場合、『竹取物語』の帝に相当するのは冷泉帝です。
 『竹取物語』の帝に相当する人物のもう一人は光源氏です。帝が一度だけかぐや姫と会う場面があります。求婚する帝にかぐや姫は「きと影になりぬ」と、消えます。これまでも繰り返し言いましたが、かぐや姫の「かぐ」は光でもあり、影でもあったのです。これはかぐや姫の結婚拒否でしたが、かぐや姫が人間とは異なる異世界の住人だと悟った帝は、かぐや姫を諦めるどころか、かえって深く思うようになり、それはかぐや姫の月への帰還時の「君をあはれと思ひ出でける」を頂点に、かぐや姫無き後まで続きます。
 物語の結論を先取りしてしまって申し訳ありませんが、光源氏はあんなに「いろごのみ」の恋で玉鬘を求め続けましたが、結局二人は結ばれません。そして、結ばれなかった後で玉鬘は、光源氏のこれまでの自分への配慮はめったにないほど素晴らしかったと感謝します。結局、光源氏と玉鬘は結び合わないことによって、かぐや姫と帝同様、プラトニックな稀有の愛情関係を実現していると考えるわけです。しかし、かぐや姫である玉鬘の帝は、ほんとうに冷泉帝か、光源氏なのでしょうか?私はそうは思いません。
 『竹取物語』の帝=冷泉帝説も帝=光源氏説も、どちらもその根拠として、鷹狩を目的とした竹取の翁邸への行幸での帝とかぐや姫の一回性の出会いの場面をあげていますが、この場面が『竹取物語』のクライマックスであることは間違いありません。
 しかし、この帝とかぐや姫の一回性の出会いの場面を、「玉鬘十帖」の中で最も忠実に再現した場面があるのです。それは、光源氏演出の螢の灯りで、兵部卿宮が玉鬘を目の当たりに見た場面です。玉鬘のかぐや姫は、部屋中を光で充たしたり、突然影になって消えたりはしません。ただ微かな螢の光に照らされて、恥じらって扇で顔を隠すだけです。しかし、文化的に洗練された繊細な感受性の持ち主である兵部卿宮には、それだけで十分なのです。
 また、二人はかぐや姫と帝のように、「あはれ」で強く結ばれた「いろごのみ」の恋へ走ったりはしません。螢の場面の直後で、玉鬘は螢に自分を重ねて、言葉に出せない、沈黙の中で身を焦がす恋心を歌に託していました。和歌を詠み合って、お互いに「あはれ」が微かに伝わるか伝わらない程度で、少しうれしいと感じる、篝火のように燃え上がる光源氏の「いろごのみ」の恋と対極にある、繊細な感受性の沈黙のかぐや姫と帝が玉鬘と兵部卿宮だったのです。
 兵部卿宮は石上麻呂足ではなくて、帝だったのです。かぐや姫の玉鬘は、帝の兵部卿宮と一回性の出会いをすでに済ませてしまい、お互いに微かな「あはれ」を感じてしまいました。そうであるならば、かぐや姫の玉鬘に残された道は、月へ帰ることだけでしょう。玉鬘は兵部卿宮と結ばれることを望まなかったのではありません。かぐや姫が帝を魂の底から「あはれ」と思いながらも月へ帰るしかなかったように、玉鬘と兵部卿宮もお互いに微かな「あはれ」を感じながら引き裂かれるしかないのです。続きは次回です。

補説~この授業後の生徒からの質問~

生徒A 先生、以前に「末摘花」で、源氏が自分の鼻に紅をつけた場面について話した時、この場面の意味が長い物語のどこかでわかる時が来るって、言ってましたけど、それが今回の「行幸」の、末摘花が「唐衣」の歌を詠んだ場面ってことですか?

 びっくりしました。よく覚えていましたね。たしかに、「末摘花」でそう言いました。しかし、あの時は、実は「行幸」の「唐衣」の歌の場面を想定していたわけではないんですよ。

生徒A  えっ、ここではないんですか?他にある?

 そうなんです。ヒントは今日も末摘花の赤い鼻の場面に出てきた「かたはなり」という言葉なんです。「かたはなり」は二つで一揃いとなるものの一方を欠いた状態を指していて、不完全だという意味なんです。
 今回の玉鬘の場面には「かたはなり」という形容動詞が出ていませんね。 たいへんよく読めているので、「かたはなり」という言葉に注目して、もう少し『源氏物語』を読んでみて下さい。もう少しで、必ず見つかります。
 もう一つだけ、最大のヒントを言ってしまうと、『源氏物語』において、一番不完全な状態というのは、どういう状態か、ということを考えてみてください。

生徒A  あっ!

 今は答えは言いませんよ。ゆっくり、読みながら考え続けて下さいね。


 


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