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「AIのイラストだから価値がない」のではなく、「手描きのイラストだから価値が生まれる」のでは説

※本記事のヘッダ画像は画像生成AI『Anima』の生成物を利用しています。



■はじめに

表題のことをふと思い、下記内容の文章を俺の思想を学習しているChatGPTに投げ、記事として体裁を整えてもらいました。

Xではよく
「AIイラストには手描きのような価値はない」とか
「AIイラストに価値がないから手描きと偽ってるんだろう」とかって言説がまあまああるんですが、
俺くんふと思ったんですけど「AIのイラストだから価値がない」んじゃなくて「手描きのイラストだから価値がある」んじゃないでしょうか。
そして「価値」とは、社会的・個人的に関わらず受け手が決めるものです。
たとえば子供の落書きでも、赤の他人の子供のものと我が子のものだったら、感じる価値はまるで違うみてーなもんです。
なんで誰でもないAIが描いたものが「イラスト本来の価値」じゃあないんでしょうか。
つまり、イラスト自体には大した価値はない。
どんな人が描いたか、どういう思想を持っているか、どういう表現をしようとしているか。
そういった付随する情報と合わせて価値が出るんでないでしょうか。

以下に監修したChatGPT執筆による記事を掲載し、最後に一番伝えたかった俺自身のまとめを記します。


■ChatGPTによる「AIのイラストだから価値がない」のではなく、「手描きのイラストだから価値が生まれる」のでは説

Xを眺めていると、ときどきこんな言説を見かけます。

「AIイラストには手描きのような価値はない」
「AIイラストに価値がないから、手描きだと偽る人が出てくるんだ」

生成AIを使って漫画を制作している身としては、この手の話を見るたびに少し引っかかるものがありました。

そして最近、ふと思ったことがあります。

もしかすると順番が逆なのではないか。

「AIのイラストだから価値がない」のではなく、「手描きのイラストだから、そこに追加の価値が生まれる」のではないか。

今回はそんな話です。

そもそも「価値」は誰が決めるのか

最初に一番大事なところから。

作品の「価値」というものは、最終的には受け手が決めるものだと思っています。

社会全体で共有される市場価値もあれば、極めて個人的な価値もあります。

たとえば、子供がクレヨンで描いた落書きがあるとします。

赤の他人の子供が描いたものなら、

「子供らしくてかわいい絵だな」

くらいで終わるかもしれません。

でも、それが自分の子供が初めて描いてくれた家族の絵だったらどうでしょう。

技術的な完成度は何も変わっていません。

線が急に上手くなるわけでもなければ、色使いが洗練されるわけでもない。

それでも持ち主にとっての価値はまるで違います。

そこには、

「誰が描いたのか」
「いつ描いたのか」
「なぜ描いたのか」
「自分とその人にどんな関係があるのか」

といった、絵の外側にある情報が乗っているからです。

要するに、我々は普段から「画像そのもの」だけを見て価値を決めているわけではありません。

同じ絵でも「誰が描いたか」で価値は変わる

もっと分かりやすい例があります。

好きな漫画家の直筆色紙。

紙とインクという物質だけ見れば、それほど高価なものではありません。

同じ絵柄を高精度で印刷した複製品があったとして、見た目だけならほとんど変わらないかもしれない。

それでも直筆の方に強い価値を感じる人は多いでしょう。

なぜなら、

「あの作家本人が、この紙に実際に描いた」

という事実そのものに価値があるからです。

好きなアーティストのサインも同じです。

自分でペンを使って全く同じ形を再現できたとしても、それは同じ価値にはならない。

そこには「その人が書いた」という来歴がないからです。

つまり、手描きのイラストには最初から、

「人間が、自分の意思で、自分の手を動かして描いた」

という情報が付随しています。

そして、その情報に価値を感じる人がいる。

これは別に不思議なことでも、不合理なことでもありません。

AIイラストには本当に「価値がない」のか

では、AIが生成したイラストには価値がないのでしょうか。

俺はそうは思いません。

綺麗な景色を見て「綺麗だ」と感じるように、AIが生成した画像を見て、

「かわいい」
「かっこいい」
「エロい」
「壁紙にしたい」
「こういうデザイン好きだな」

と思うことは普通にあります。

その時点で、少なくとも鑑賞物としての価値は発生しています。

実用品として使えるなら実用価値もあるでしょう。

ただし、AIは非常に高品質な画像を大量かつ低コストで生成できます。

そのため、

「綺麗な絵である」

というだけでは、それ自体の希少性はどんどん低くなっていきます。

これはAIの画像が劣っているという話ではありません。

むしろ逆で、ある程度以上の見栄えの画像を作ることが簡単になったからこそ、見た目以外の部分が以前より強く問われるようになるという話です。

「絵そのものの価値」と「絵に乗る価値」

俺はイラストの価値を、ざっくり二種類に分けて考えると分かりやすいと思っています。

一つは、画像そのものから得られる価値。

美しい。
かわいい。
エロい。
面白い。
情報が分かりやすい。
部屋に飾りたい。

これはAIでも手描きでも発生します。

もう一つが、画像の外側から付加される価値です。

誰が描いたのか。
どんな意図で描いたのか。
どんな経験から生まれたのか。
どれだけその作家を応援しているのか。
その絵が作品全体の中でどんな意味を持つのか。
どんな物語や思想が背景にあるのか。

こちらは、画像の見た目だけからは分かりません。

そして手描き作品は、「人間が描いた」という時点で、この二つ目の価値を自然に帯びやすい。

だから、

「手描きの方が価値がある」

と感じる人がいるのは当たり前だと思います。

でもそれは必ずしも、

「AI画像には価値がない」

ということではない。

より正確には、

「手描き作品には、人が描いたという追加の価値を感じる人がいる」

なのではないでしょうか。

だから「手描き詐称」が問題になる

ここまで考えると、「AIで作ったものを手描きだと偽る」という行為がなぜ嫌われるのかも整理しやすくなります。

もし本当に「完成画像だけ」が価値のすべてなら、制作方法を偽る必要なんてありません。

見た目が同じなら同じ価値のはずだからです。

それでも手描きだと偽る人がいる。

ということは、その人自身が、

「人間が描いたという情報には、受け手が追加の価値を感じる」

ことを知っているわけです。

そして本来持っていないはずの、その追加価値まで受け取ろうとする。

だから問題になる。

俺が「生成物が主体となる作品ならAI利用を公表するべき」と考えている理由の一つもここにあります。

見る側が、

「手描きだから見たい」
「AIでも面白ければ構わない」
「AI作品は避けたい」

と判断するのは自由です。

ならば制作側は、その判断に必要な情報を隠さない。

その上で見てもらえるなら、それでいい。

AIを使った作品に「作者性」は生まれないのか

では、AIを使った瞬間に作者性は消えてしまうのでしょうか。

これも、俺はそうは考えていません。

たとえば漫画なら、一枚の画像だけで作品が成立しているわけではありません。

誰を主人公にするのか。
どんな性格にするのか。
どんな関係を描くのか。
どこで笑わせるのか。
どこで感情を揺らすのか。
どんな構図の画像を使うのか。
どの生成物を採用し、何を捨てるのか。
どこを修正するのか。
どうコマに配置するのか。
何という台詞を言わせるのか。

そういう判断の積み重ねがあります。

何の背景も知らない状態でAI生成の女の子の絵を一枚見れば、

「かわいい女の子だな」

で終わるかもしれません。

でも、一本の漫画を読んだ後なら、その同じ人物の笑顔が、

「このキャラクターが、この出来事を経て、この相手に向けて笑っている」

という意味を持つ。

同じ画像でも、そこに物語が乗ることで価値が変わるわけです。

だからAI時代の創作者にとって重要になるのは、単に「綺麗な画像を出せるか」だけではなく、

その画像に何を背負わせることができるか

なのかもしれません。

AI時代ほど「誰が、なぜ作ったか」が重要になる

これは少し皮肉な話です。

生成AIによって、見栄えのいい画像そのものは以前より簡単に作れるようになりました。

もし今後さらに技術が進めば、その傾向はもっと強くなるでしょう。

すると逆に、

「誰が作ったのか」
「何を表現したかったのか」
「なぜこの作品を作ったのか」

という、人間側の情報の価値が上がっていく可能性があります。

AIによって作者が不要になるどころか、

AIによって画像そのものの希少性が下がるほど、作者の存在が重要になる。

そんなこともあり得るのではないでしょうか。

だから俺は、

「AIイラストには手描きのような価値がない」

という言葉を見ると、少し違うんじゃないかと思います。

AIだから価値が失われるのではない。

手描きには、

「この人が描いた」

という価値が追加されている。

そしてAI作品でも、

「この人が、こういうものを作ろうとして、この技術を使って形にした」

という作者性や物語を積み上げることはできる。

それをどこまで価値として受け取るかは、見る人次第です。

結局、価値を決めるのは受け手である

俺は生成AIを使っています。

だからといって、

「AI作品にも手描きと同じ価値があると思え」

と言うつもりはありません。

そんなものは俺が決めることではないからです。

手描きに特別な価値を感じる人がいていい。

AI作品を好む人がいていい。

制作手段には興味がなく、完成品だけを見る人がいてもいい。

AI作品を避けたい人がいてもいい。

価値判断は受け手のものです。

だからこそ制作側は、価値判断に必要な情報をごまかさない方がいい。

そしてAIを使う側が考えるべきなのは、

「AIでもこんなに上手い絵が作れるぞ」

だけではなく、

「この画像に、自分は何を乗せられるのか」

ということなのではないでしょうか。

俺自身は、そこに物語やキャラクターや自分なりの表現を乗せることで、生成画像をただの「綺麗なAI画像」で終わらせず、一つの作品にしていきたいと思っています。

「AIのイラストだから価値がない」のではない。

「手描きだからこそ生まれる価値がある」。

そしてAIを使うなら、AIを使うなりに別の価値を積み上げればいい。

今のところ、俺はそんなふうに考えています。


■まとめ

以上、ChatGPTによる本文でした。
それにしてもこの構造、何かに似ているとは思いませんか?

ご存知の通り――おっぱいですね。

おっぱいに貴賤はありません。ですが愛する人のおっぱいなら、大きくても、小さくても、性癖と合致しなくても愛おしいでしょう。
イラストもこの理屈と同様です。

やはりおっぱいは、万物に通じますね。

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