見出し画像

『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を観て思うこと

「いま、そちらはどんなお天気ですか?」

久しぶりに記事を書こうと思いテキストを開いたら、 note のAI?が勝手に映画にまつわるような書き出しを提示して来た。

AIは、予知機能まで付いたのだろうか?

人間の心には日常生活では消化しきれない感情が有ると言われている。
それを演劇などを観ることで昇華する作用がカタルシスと言われるのだけど、まさに私にとってのカタルシスだったな、と感じた。

最近、よく映画館に足を運び映画を観ている。

以前、他の映画を観た際の予告編として出ていたのだけど、何だか気になって観に行ってしまった。

正直、最初は、単なる青春映画かな?と思い興味が無かったのだけど、原作本の紹介サイトを読んだりしているうちに、何だか心惹かれて観に行った。

それも1週間で2回も観に行ってしまった。

インターネットの映画レビューを観ると、ぜひ映画館で観ることを勧められていた。爆音でスピッツの曲を聴いたことがありますか?と。

異論なく映画館向きの映画だと思う。

内容を端的に書くと、『セレンディピティ』を軸に置いたほろ苦い恋愛青春映画だった。だけど、心理描写とストーリー展開が小気味よくて、最後まで飽きずに没頭して観てしまった。

そう、「観てしまった」と表現するのにピッタリな映画だった。
世界観に吸い込まれるように、なんというか純度が高い作品だと思った。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること[1]。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。

Wikipediaより

大学生になったけど、何だか学校に馴染めない。
周りは、グループが出来ていて自分はどこか浮いている気がする。

がんばってパリピのフリをしたり、大勢のグループのメンバーになれたら・・・そんな気持ちを潔く捨てて、自分を貫くのは勇気がいると思う。

だけど、その自分を貫く、自分軸でいることこそがセレンディピティの始まりなのだと、教えてくれた映画だった。

初回に観た時は、先の読めないストーリー展開で最後の最後までドキドキしながら、わたし自身もセレンディピティのお裾分けを味わいながら観ることが出来た。

2回目は、最後の結末やストーリー展開を知っているからこそ、ストーリーを書き換えられないもどかしさを感じた。

しかし、セレンディピティを起こすには、時には、手堅く上手くいく方法や堅実さを手放し、主人公たちのような本心に従った行動を取る必要があるのかもしれない。

もし、もう一度、学生時代に戻れたら、わたしは別の選択をしたのだろうか。
映画を観ながら、ふと我に返る瞬間があった。

知っていたら、分かっていたらシナリオを書き換えることは出来るのだろうか?

登場人物の1人が過去を後悔しているシーンがあったが、分かっていても、知っていても上手く出来ない、思うようにならないことは往々にしてあると思う。

わたしが振り返った過去も恐らくそうだろう。

特に、「好き」という恋愛感情は、わたしたちの目をくもらせ判断を鈍らせる。誰かに恋をしていると、全てが人智を超えた神の采配かと思うような出来事、運命なのかも!と思いたくなる時がある。

でも、冷静になってみると、実は、答えはすでに出ていることが多い。
嬉しい思い込みは、残念ながらハズレてしまうことが多い。

だけど、諦めずにセレンディピティの片鱗を見逃さず人生を進めば、本当に欲しかったものは手に入る、そんなことを教えてくれた映画だった。

まだやっている劇場あると思うので、ぜひ一度映画館でご覧ください!
今年のイチオシです!


いいなと思ったら応援しよう!