私がつい最後まで読んでしまうnote記事〜歴史好き読者のわがままな好み
私がつい最後まで読んでしまうnote記事〜歴史好き読者のわがままな好み
最近、自分で記事を書く一方で、いろいろな方のnoteを読む機会が増えました。
歴史、寺社、展覧会、食べ物、旅行記,クラシック音楽、アートなどなど。気になったことがあると検索して、ふらりと記事にたどり着きます。
そんな読書(?)を続けているうちに、
「最後まで読んでしまう記事」
と
「途中で閉じてしまう記事」
には、自分なりの傾向があることに気づきました。もちろん、これは完全に私の好みです。正解ではありません。ただのイチ読者のわがままです。
自己への反省を踏まえ、この感覚を文字にまとめてみました。
まず知りたいのは、あなたが誰なのか
検索から記事にたどり着くとき、私はほとんどプロフィールを見ません。
Googleやnoteの検索結果から、そのまま記事へ飛びます。
だから最初に気になるのは、
「この人はどんな人なんだろう?」
ということです。
note執筆者には,プロの方も大勢いらっしゃいます。歴史学の研究者なのか。学芸員なのか。長年の愛好家なのか。
あるいは私と同じように、興味を持ったことを調べながら学んでいる人なのか。
実は内容そのものより先に、そこが気になります。別に立派な肩書が欲しいわけではありません。むしろ逆です。
「京都のお寺巡りが好きです」
「展覧会の予習として調べています」
「◯◯専門家のnoteです」
そんな2行くらいの自己紹介があるだけで、なぜかこちらは安心して読み始められます。
私はどういう人の話を読んでいるのか。
それが分かると、文章がぐっと頭に入ってくる気がするのです。
〜〜読み飛ばしてもいい脱線〜〜
話は変わりますが、日経新聞や経済ニュースやテレ東のビジネスニュースを超まめにチェックしていた時には,どこの所属している人物がどのスタンスで話していたかを、とても重要視していました。「新聞にこう書いてあったからそれを信じている」という人に「それは記事なの?識者か関係者のコメントなの?誰が言ってたの?」と、突っ込みたくなる性分でした笑笑。
これ、歴史からいきなり今の経済の話に飛びましたが、もしかすると共感してくれる人も多いのではないでしょうか?
〜〜〜〜脱線おわり〜〜〜〜
私は目次が大好きです
これは完全に個人的な好みです。
私は長文記事が嫌いではありません。
むしろ好きです。
一万字でも二万字でも、面白ければ読みます。でも、その前に知りたいことがあります。
「この記事はどこへ向かうの?」
本を買うと、まず目次を見ます。
博物館へ行くと、まず展示構成を見ます。
歴史番組を見るときも、今日どんな流れなのか気になります。テレビ番組だとこの日の流れを冒頭数分で紹介されることが多いです。なので、
目次があるnote記事はとても安心します。
最初に全体像が見えるからです。
この記事は何について書かれていて、どこまで話が広がるのか。今、自分は全体のどのあたりを読んでいるのか。それが分かるだけで、不思議と最後まで読みやすくなります。たぶん私は歴史そのものだけではなく、構成を見るのも好きなのだと思います。
「なぜ調べたのか」が見える記事が好き
私が最後まで読んでしまう記事には、共通点があります。それは、
「この人がなぜこれを調べたのか」
が分かることです。
目的持って現地に行ってきたから。
展覧会へ行く予定だから。
たまたま現地で見かけたから。
テレビ番組で紹介されていたから。
本を読んで気になったから。
好きでずっと追いかけているから。
理由は何でもいいのです。
でも、その入口が見えると、急に記事が身近になります。私は専門家の論文を読みに来たわけではありません。
誰かが興味を持ち、調べ、学び、驚いた過程を読みに来ています。だから、
「気になったので調べてみました」
という一文があるだけでとても親近感を覚えます。むしろ私は、そういう記事が好きです。
歴史好きのわがまま
ここからは完全に歴史好きとしてのわがままです。
私は歴史創作も好きです。
時代小説も読みますし、大河ドラマも好きです。史実だけでは見えない人物像を想像する楽しさはよく分かります。
ただ、調べものをしている時は少しだけ話が違います。史実について知りたい気持ちで読み始めた記事が、
途中から創作だったと分かると、
正直に言うと少しだけ戸惑います。
創作が悪いわけではありません。むしろ好きです。でも最初から「歴史創作です」と分かっていたら、そのつもりで楽しめます。
タイトルや本文を数行読めばすぐわかる創作は、たいへんありがたいです。
ごめんなさい、ここは歴史好きだからこその、ただのわがままです。結局、私は人を読んでいるのかもしれないです。
まとめ わたしの好み
こうして振り返ると、私が最後まで読んでしまう記事は、知識量が多い記事とは限りません。
どんな人が。
どんなきっかけで。
何に興味を持って。
何に驚いたのか。
歴史の記事を読んでいるつもりが、実はその向こうにいる書き手の好奇心を読んでいるのかもしれません。
だから今日書いたことは、noteの書き方ではありません。
ただのイチ読者の好みと、自己への反省
です。古い自分の記事を読み返しても反省ばかりですが(笑)、最近たくさんの記事を読んでいて、そんなことを考えるようになりました。
ここまで長い呟きにお付き合いいただき、ありがとうございました。
