聴く愉しみ 3
シャンソニエde赤坂
40年来の友人U子さんが、赤坂のシャンソニエ「バルバラ」に出演すると、お知らせくださったので、久々に夜遊びに出かけました。

ときどきシャンソン歌手。
大学生のときには、関東関西の
シャンソンコンクールに
いつも上位入賞。
伝説の『銀巴里』に出演しました。
美しいフランス語には
今でも定評があります。
登場して最初に歌ったのは「パリの空の下」など、パリをめぐるメドレーでした。
パリのおしゃれな空気が、染み出すようにシャンソニエに広がり、とくに低音部の歌声のソフトさニュアンスの深さに魅了されました。
シャンソンというと、ドラマチックに激しい情念を歌い上げるものと、思いがちではないでしょうか。
しかし彼女の歌は違います。
日々の中の小さな喜びや哀しみ、愛を、細やかにすくい上げていく。
味わいが、エリック・サティの楽曲に似ているかもしれない。
U子さんは、幼稚園のママ友でした。
入園してほどなく、子供たちがお互いの家を行き来するようになったのをきっかけに、親しくなりました。
彼女が大学の後輩だとわかってから、お付き合いがさらに深まりました。
やがて下のお子さんを身ごもりましたが、出産後しばらくして彼女は結婚を解消し、シングルマザーとして生きることを決意。
生活と格闘したあと、郷里に英語教師の職を得ます。
U子さんが困難な状況の最中にあるとき、尋ねたことがあります。
「あなたが大切にしているのは何?」
即答で
「まごころ」
と返ってきました。
還暦を迎えて再びプロの道へ
U子さんが東京から関西へ移居したこともあり、しばらく年賀状のやりとり程度で、お会いすることがありませんでしたが、我が家で催した心理学のワークショップに参加してくれました。
ワークの終了後
「子どもたちも社会人になったし、教師としての定年を前にして、再びプロ歌手として活動します」
と宣言しました。
それから数か月後、ワークショップにお招きしたカウンセラーと、U子さんのライブにうかがいました。
とても驚いた。
歌唱力や表現力はもちろん、レベルの高さ、完成度に二人とも圧倒されました。
10年近く前に内幸町で催された、プロアマを交えたシャンソンコンクールで、彼女の歌唱力は高く評価されます。
曲目は「さくらんぼの実る頃」。
恋の思い出をつづった楽曲です。
感情に倒されることなく淡々と歌いながらも、切々とした心情が伝わってくる。
会場で聴いていて、深く心を揺さぶられました。
このとき、優秀歌唱賞と観客賞のW受賞を。
審査員の、著名な歌手クミコさんはU子さんが学生時代から、実力あるプロ歌手であったと語り
「私がデビューする時、事務所の社長から何度も真似するように、と手渡されたのがU子さんの若かりしころのデモテープだったのです」
と昔のエピソードを添えました。
私は号泣をこらえた。
その後はつぎつぎと、プロアマを交えたコンクールで上位入賞を果たして、今日にいたります。
「まごころ」は自分自身にも
U子さんは、今も勤務先の学校から請われて、教師を続けています。
生徒から慕われており、東京でライブを開くたびに、教え子たちが集まるほど。
プロとして歌ってきた人が、そのキャリアを傍らに置き生活に戻った。
それでも歌への思いを手放さず、60歳を迎えてから、もう一度舞台へ戻った。
彼女が教え子たちに囲まれた姿を見て、そう感じました。
彼女が困難の渦中にいたときの言葉を思い出します。
「まごころ」。
それは、周囲の人々だけでなく、自身へも向けられた言葉だったのではないか。
苦労によって人は変質してしまうことがありますが、この心を支えにして生きてきたのではないか。
言い換えれば、彼女は彼女のままを守り続けた。
だから彼女のシャンソンは、日々の営みの悲喜交々がこめられ、聴く人の心のヒダに優しく浸透していくのかもしれません。
教師と歌手という二足の草鞋を履き始めたころ、U子さんはフェイスブックにこう投稿しています。
「教師は天職、歌手は天命」と。

京都料亭製の昆布は
評判の美味しさでした。
お心遣いありがとう
U子さん。
