詩┆湯気の中でだけ
鍋の底で、おたまが引き摺られる。
ずぅ、ずぅ。
この音が、私をいまへ引き戻す。
ふと、スープの色を見て安心した。
やわらかな赤が、そこにあった。
ただいま。
声にしてみても、返事はない。
当たり前だ。
この部屋には、私しかいない。
けれど、あの日とは違う。
同じ赤なのに、わずかに色がずれる。
トマト。ビーツ。キムチ。
私の頭には、
いくつもの赤いスープが焼きついている。
パラパラ漫画みたいに。
母と一緒にかき混ぜた、赤いスープ。
君を見ながらかき混ぜた、赤いスープ。
君は、笑っていたのだろうか。
それとも。
誰かと食卓を囲み、
やがて、ひとり分をよそう。
……少しだけ辛い。
ただいま。
玄関のほうで、君の声がする。
おかえり。
キッチンから、私は返す。
いつか、このやり取りも
きれいに消えてしまうと知っている。
湯気の中でだけ、
ふたりに戻ってしまう。
気づけば、
手の中に唐辛子があふれていた。
目をこすると、
遅れて涙がこぼれた。
